夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

パソコンてホントは馬鹿じゃないのか

2009年04月13日 | Weblog
 と言うのは、ここの所、私はパソコンにいいようにやりくられているからだ。事の起こりは先述したようにマックの新型で親指シフトキーボードが使えるようになった事である。新型と言うのはマックのOSのXと9の両方で立ち上げられる機種で現在では十分に旧型に入るが、私としては新型になる。旧型と言うのはOS9しか使えない機種の事だ。印刷業界、それも大手になるとおいそれとは新しいOSとそのソフトに乗り換えられない。私はDTPの仕事を大手の印刷会社からもらっていたから、古いOSの古いソフトで仕事が出来ていた。その仕事が無くなった。そうしたら、偶然にも古いキーボードで新型機種でしかも最新のOSで親指シフト入力が出来る事を発見した。これ幸いと乗り換えた。
 ところが、新機種でのOSでは同じOS9なのに(マイナーのバージョンは違うが)、OutlookExptessでメールの送受信が出来ない。使っているソネットに問い合わせたら、Outlookの新バージョンでなければお答え出来ません、と言う。しかしインターネットを使ってもその新バージョンが手に入らない。そこで、古いOSを新機種に導入する事にした。そこではメールの送受信が出来ていたからだ。
 OSXでも簡単にメールの送受信が出来るのだが、添付ファイルの表示の仕方とか、送信結果などの表示が出来ないなどで大きな不満がある。古いOSの導入だが、「システム」は容量が大きくてとてもMO一枚には入らない。外付けハードディスクを使うのは、片方がUSB接続で、もう一方がSCASI接続なので、駄目だ。そこで分割してコピーし、新機種に入れた。ところがそのOSでは立ち上がらない。エラーになってしまう。システムに故障があるらしい。で、マックのインストールCDでシステムだけ、機能拡張を除いて、新規インストールしようと考えた。機能拡張にOutlookExptessの機能が保存されていると考えたからだ。だが「この機種ではこのバージョンのインストールは出来ません」とのメッセージが出てしまう。冗談じゃない。前にちゃんとこの機種でOS9.1をインストール出来た。それをインターネットからダウンロードして9.2にバージョンアップしたのだ。

 OSの説明本は何冊も持っている。それぞれにもっともらしい事が書かれている。しかし、それを実行しようとすると、多くの場合に失敗する。なんでだろう。で、これ以降はそうした説明本は信用しない事に決めた。「チップス」と称して、それらの本には素晴らしい事が書かれている。しかしパソコンが立ち上がらなくなっては元も子もない。
 大体、こうした本の説明はとても大雑把である。多分,パソコンに詳しい、頭の良い人が書いて読んでいるのだろう。私などが分からなくても当然なのだ。パソコンは0と1だけですべてを支配している。電気が通るか通らないかで判断しているのである。だから正確ではあるが、融通が利かない。我々は正確ではないが、融通は利く。そこに食い違いの大きな原因がある。
 パソコンは、決まり通りに使っている限りにおいてはすごく頭が良い。しかしちょっとでも道を外れると、とたんに物分かりが悪くなる。0と1以外の指令を受けても対応する事が出来ない。だから馬鹿なのである。
 外食の店に行ってごらんなさい。マニュアル通りの対応しか出来ない店員がごまんと居る。0か1か、にしか対応が出来ないのである。2とか3の要求が出て来たら、途端に駄目になってしまう。それと同じ事がパソコンに起こっている。

 パソコンは確かに進化している。しかしそれは0と1の計算においてだけである。それ以外の事には対応が出来ない。パソコンが進化したって、それは決まり切った事だけに対してなのだ。決まり切った事なんだから、そのスピードが少しばかり速くなったとしても、それほどのメリットは無い。そうではなく、決まりから外れた事、普通はとても考えないような事、に対して対応出来なければ、駄目なんだ。結局は、それを使う人間が進化しなければどうにもならない。そしてその進化はまずは難しい。
 機械が優秀なばかりに、我々人間が油断して、能力の開発を怠っている。そんなお粗末な能力が、機械の持っている、単純だが非常に正確な能力に太刀打ち出来る訳が無い。
 パソコンには二つの使い方がある。一つはいわゆる計算機としてである。これには情報の分析が該当する。持っている情報を正確に様々に分析して見せてくれる。絵を描いたりするのも同じだ。二つ目は考える能力を育てる事である。と言っても簡単には分からないだろうが、パソコンで文章を書くのである。手書きよりずっと速いし、常に清書した形に出来るから、自分の考えを整理し推敲する事が可能になる。考えは、こうしてきちんと筋を通して理詰めにして行かないと、おかしな方向に行ってしまう事が多い。多くの分からない文章や考え方はこうしたパソコンでの文章を書く事が上手に出来ていないからだと思っている。
 一つ目の能力に頼っている限り、自分で考えようとはしない。考える事は邪魔になりこそすれ、何のメリットにもならない。だが二つ目の考える能力なら、バソコンに頼るのは、「速く、きれいに」と言う事だけで、パソコンが考えているのではない。考えているのはあくまでも、自分の頭なのである。