夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

痴漢の冤罪はなぜ晴れないのか

2009年04月16日 | Weblog
 14日、最高裁で痴漢事件の上告審で逆転無罪の判決を出した。笑顔で記者会見する防衛医科大学の名倉正博教授の笑顔が新聞に載っている。いい顔である。無実が認められた晴れ晴れとした、そしてそんなちゃちな犯罪などとは関係の無い顔である。
 それにしても、60歳を越えた男性が電車の中で痴漢をやるとは、なかなかに元気の良い事である。被害に遭った女子高生にはそれほどの魅力があったらしい。テレビで大々的に報道された痴漢事件では、電車内で携帯電話で話をしていた女性が注意をした男性を痴漢だと突き出した事件があった。注意をして気まずくなった男性は場所を変えたし、社内で携帯で話をするくらいの混雑だった訳だ。そこで痴漢をやった。ぎゅうぎゅう詰めではなかったのに、見ていたのは誰もいない。被害者だって、その男性が痴漢である事を明確に認識していた訳ではない。車内で、この人痴漢です、と声を上げたのでもない。男性が降りた駅で彼女も降りて、最寄りの交番に駆け込んだのである。一人の女と一人の男しか居ない場所を彼女は選んだのである。

 被害に遭ったと言う女性の証言しかそこには無い。それなのに、男性の言い分は全く無視されてしまったのである。痴漢事件ではいつもこうした同じパターンになる。やった、やらない、の押し問答にしかならないのに、いつも一方的に女性に軍配が上がる。先の事件では、車中で公衆の面前で注意をされた女性が腹いせに痴漢事件をでっち上げた可能性は十分にある。
 思うのだが、警察も検察も、男はみんな痴漢の要素を持っていると考えている。自分がそうだからそう考えるのである。自分がそうではなかったら、こんな一方的な理不尽な事を認めるはずが無い。
 女性は被害者、男性は加害者、と言う図式からいい加減に足を洗ってはどうなのか。痴漢事件に関しては、確かにどこかに加害者がいる場合がある。あるいは単に女性が被害妄想だった場合もある。しかし、中には被害、加害の関係にはならない場合だってあるはずだ。一回も痴漢に遭った事がない女性が内心悔しい思いをしていると言うジョークさえある。
 犯罪の捜査はあくまでも事実に即して行われるべきである。いかなる先入観もあってはならない事は言うまでも無いのに、それが守られていない。

森田千葉県知事に何で今頃文句を付けるのか

2009年04月16日 | Weblog
 森田健作知事が自民党所属なのに、無所属として当選した事に今になって市民団体がクレームを付けている。党の公認を受けられない、あるいは受けない候補が無所属になるのは昔から決まっているではないか。だから党の公認を巡って、時には見にくい争いになる。
 森田氏は前回も知事選に打って出て、惜敗した。それほどの知名率の高さである。選挙民が同氏をその政治信条を知らなかったとは言わせない。おかしいと思うなら、選挙戦中に声を上げるべきである。今頃になってそんな事を言うようでは、自らのいい加減さを暴露しているだけである。
 自民党と言ったって、しっかりと一本筋が通っている訳ではない。言うならば、烏合の衆である。ただ、自民党と名乗れば得にはなる。共産党とか民社党とか名乗って有利になるだろうか。それに今、自民党も民主党もほとんど変わらない。大事な事で対立するから異なる政治信条の党かと思うと、そうではない。私は「同じ穴のむじな」だと思っている。むじなには失礼だが。
 政党なんてかなりいい加減な物である。公明党は正真正銘宗教団体である。それと自民党の政治信条が同じはずが無い。それなのに、与党として協力体制にある。そうした事を認めておいて、自民党籍にある森田氏が無所属で当選すると牙を剥く。そうした人々は、多分、森田氏がお嫌いなのだろう。そして千葉県を日本一にするのもお嫌いなのに違いない。
 大事な筋を間違えてはいけない。