壁際椿事の「あるくみるきく」

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『一澤信三郎帆布物語』を読んだ

2009年11月25日 | 読書
学生時代のことだから20年近く前。「一澤帆布」のカバンを持っている友だちがいて、「シャレたかばんだな」と思っていたんです。京都にあるカバンメーカーで、京都大山岳部のザックを作った過去もあると知りました。

「兄弟による骨肉の争い」「老舗の遺産相続騒動」……。一澤帆布の、こんな見出しの記事を目にしたのは数年前。どうなったのだろうかと心配しつつも、今に至っていたのですが……。こんな本を見つけ、つい手に取ってしまいました。『一澤信三郎帆布物語』(菅聖子著、朝日新聞新書)です。

相続をめぐるゴタゴタが起こる前に、先代の一澤信夫さんを取材し、その人柄に魅せられていた著者。親しく付き合う中で、騒動が勃発し、「事件を追うタイプの書き手ではない私」ではありますが、期せずして遺産相続のゴチャゴチャへも筆を進めます。

それにしても、先代、一澤信夫さんの帆布に関する博識ぶり。明治時代初期の写真に、村上水軍の紋章があるテントが写っていて……、といった一連の下りには驚きました。牛乳配達屋、バンドの楽譜入れ、戦中には軍需品(嚢、吊り床〈ハンモッグ〉、海軍浮力兵器〈浮き〉など)、京都大山岳部ら用の登山ザック、そして現代のかばん……。同じ帆布からも時代ごとに、いろいろなものが作られます。祖父、父が大工だった我が家にも、腰に巻く帆布製の釘入れがありました。「○○屋」などと金物店の屋号が染めてありました。あれも一澤帆布製だったのでしょうか。

製造直販の家族経営。マニュアルはなく、阿吽の呼吸で進んでいく仕事……。中小企業診断士の試験だと、「職人の暗黙知を形式知化する」「マニュアル化する」「需要に応えるため協力工場を探して量産体制を整える」というのがマルなのでしょうが、私は大反対。「今のままがいい」と思います。老舗だからこそ変えずに大切に守りたい部分です。

「そういえば信三郎帆布がオープンしたてのころ、毎日あっという間に品物が売り切れるのに、夕方になるとその日の分の、できたてホヤホヤのかばんが運び込まれていた。色や形が違う品種が少しずつ。その様子がまるでパン屋みたいで、製造直販や対面販売の底力に感動したものだ」。著者は、信三郎帆布の店先の様子をこう表現します。パン屋なら多くの人が買い物経験があるので、一澤信三郎帆布に来店経験のない人にも、その雰囲気が伝わります。女性の書き手ならではの表現だと感心しました。

巨大企業、日本コカ・コーラとはまた違った意味で、中小メーカーのマーケティングの面白さがあふれています。元気が出てくる本でした。

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