壁際椿事の「あるくみるきく」

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『永田町の回転ずしはなぜ二度回らないのか』を読んだ

2010年05月25日 | 読書
『永田町の回転ずしはなぜ二度回らないのか』(伊藤惇夫著、小学館)を読みました。サブタイトルは「政治家の名言・格言に学ぶ最強の処世術100」。現役・過去を取り交ぜ、政治家の一言を取り上げ、周辺事情も織り交ぜて綴った解説風エッセイです。

著者は、長年、自民党本部に勤務し、その後、新進党、太陽党、民政党、民主党の事務局長を歴任。2001年に退任し、現在は大学の講師です。

以下、印象に残った内容を。
本のタイトルは、ずばり、他人が食べてしまうから(二度回って来ない)。大臣ポストが目の前に示されたら、一つ返事で受けてしまえ、という教えです。躊躇しているうちに、目の前を流れ過ぎ、ほかの誰かがかっさらう、というのです。食事など、出されたものをすぐ取るのは、がめつさが過ぎ、奥ゆかしさを重んじる一般的日本人にはなかなかできなことですが、それでは政治家は務まらまい、というのです。

「政治の世界では、常に誰かが何かを仕掛けている。権力を巡る争いは休まることがない。何かが動く時、目に見えるかどうかは別にして、そこには誰かの「意図」、あるいは組織的な思惑が働いていることがほとんどである」(以上引用)

「理由のない現象はない、全ての現象には理由がある」とはいいますが、ハメた、ハメられた、操った、操られた、というもの何だかなぁ、と思います。

「マスコミは自分で壁(国民)にボールを投げておきながら、跳ね返ってくると『世論印のニュー・ボールが飛んできた』と大げさに驚いて見せる、というわけである」(以上引用)

マスコミによる世論誘導に対する皮肉です。世論は、世の中の人が作るのではなく、マスコミが作る。自分たちが作っておきながら、壁に投げかけて、反響を待ち、さも世の中で作られたように装う、というのです。「世論と結託した」という河野謙三氏の発言(1971年)に触れて書かれた文章ですが、現在の民主党政権に対するマスコミの姿勢を重ねてみるに、「なるほどな」と思わずにおれません。

「よく、『その国の政治は、国民を映す鏡である』といわれるし、また『山より大きい猪は出ない』という諺もある。要は、それぞれの国の政治家のレベルは、結局、その国の国民の“民度”に比例するということだ」(以上引用)

政権交代前は、マスコミも期待していた民主党。もう少し温かい目で見てやってもいいのではないでしょうか。じっくりウォッチしたいと思います。

おまけ。
音楽家、芸術家、彫刻家など、「家」のつく仕事は一代限り。いくら親が優れていても、子どもが同じ程度に優れている保証はない。一方、魚屋、八百屋、旅館など、「屋」がつく仕事は、代々継がれることで、風格も重みも増す。だから、内実はともかく二世政治家は、「政治屋」だ、といった主旨のことも書かれていました。中学校で習う、ステイツマンとポリティシャンですね。なるほどな、と思いました。

もし自分の父が政治家なら。世間から曲解される後継は、したくないですね。もし選挙に出るとしても、全く関係ない地から出たいです。こういう発想だから、書生っぽと言われるのかな。昼間、表を通り過ぎた鳩山御殿。「鳩山太郎」と、ポスターが貼ってありました。いやはや。

著者は、長年、党に勤めた経歴ですが、かなり古巣に対して辛口な内容。いろいろ勉強になりました。

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