壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『偶然からモノを見つけだす能力』を読んだ

2010年05月10日 | 読書
ある何かを探していて、より価値が高い別の何かにブチ当たる、という現象があります。みなさんも経験があるのではないでしょうか。セレンディピティという用語があります。「偶察力」とでも訳すのでしょうか。ノーベル賞級の発見は、セレンディピティによるものが多いそうです。

『偶然からモノを見つけだす能力 「セレンディピティ」の活かし方』(澤泉重一著、角川ONEテーマ新書)を読みました。

以下、気になった部分を引用および要約。
一見無駄が多いと見られる“修行の旅”の中に、カリキュラムでカバーしきれない「偶然に対応する要素」のあることが、セレンディピティを薦める理由である。(ガチガチのカリキュラムの学校教育にも、ちゃらんぽらん教師の脱線にも、何か意味があるということです)

セレンディピティの本質を追いかけることは、青い鳥を探す旅にも似て、いくら(イタリアで出版された『遍歴 セレンディップの三人の王子』という本を)読んでも「セレンディピティ」がとらえられる感じではないのである。ただその(本を読む)過程で目的にしていなかった多くのものが見えてきたことは事実であり、これぞセレンディピティの本質なのである。(どんなにつまらない本でも、無用な読書はない、ということです)

(オードリー・ヘップバーン主演の映画、「パリで一緒に」の中で、登場人物の会話として)
口述する脚本家 「これがセレンディピティだ」
タイピスト 「セレンディピティ?」
脚本家 「セレンディピティとは、人生を二倍楽しめる言葉さ」
欧米でもあまり知られていない言葉で、タイピストは首をかしげたのです。著者の澤泉さんは、「日本語字幕では意訳されている」と残念そう。確かに、「人生を二倍~~~」は、なかなか味がありますね。

イギリスの化学ジャーナル誌で、日本人の研究開発を揶揄して、「ジャパン+セレンディピティ」で、「Japanity」という造語が使われたそうです。意味は、セレンディピティの反対語。偶然の発見でなく、誰もがやっている研究を追い掛けて必然の発見をするということで、「日本人の独創性の乏しさと、流行りの研究テーマに飛び付く性向を指している」のだとか。著者の澤泉さんならずとも、これには多いに反論したいところです。

発想法として、一つ学びました。なぜ、そうなのか? を考えるだけでなく、逆の立場から、なぜ、そうでないのか? を考えるといいとうのです。

8世紀、世界には技術的にも経済的にも、大仏並みの建造物を造ることができた文明がたくさんあったのに、なぜ日本にだけ大仏が作られたのか? これが、外国人から見ると、不思議でならないそうです。なぜ、日本に大仏が作られたか、でなく、なぜ諸外国で大仏が作られなかったか。誰か、お教えください。

著者の経験だから、もう何十年も前ですが、1日分の新聞には、2,000種ものカタカナ語が使われているそうです。著者の澤泉さんは、三菱電機で海外プラント建築に従事というキャリアの持ち主。海外赴任中、計画通りプロジェクトが進まず、ヒマを持てあますことも。そこで、船便で数日遅れで送られてくる日本の新聞で、数えてみたそうです。転んでもただでは起きない。そういう精神はまねたいです。

南極越冬隊の隊長を務めた西堀栄三郎京都大学名誉教授の言葉に、「歩いて得た情報は役に立つ」というのがあります。(以下引用)現場に立つことは、情報の質を変えることでもある。行動してきた経験を基にレポートを読む人と、机上だけでこれを読む人には大きな差異が見られることが多い。マニュアルを作る先輩は現場を見て状況を織り込んで記述するが、これを読む後輩は書かれたとおりに動くことしかできずに、かえって緊急時の対応力が無くなることも珍しくない。(引用終わり)

マニュアルが悪なのでなく、それ自体は中立であり、命を吹き込まないこと(後輩が自身の経験に照らし合わせて考えないこと)が悪だ、ということだと思います

(要約)「自分の仕事は日本の発展に今後十年は大きく貢献する」でも、「雨が降ると応援しているサッカーチームの勝率が上がる」でも、気軽にどんどん仮説を立ててみるとよい。仮説があって初めて検証しようという意識が働き、世の中がよく見えてくる。

セレンディピティの幸運は、誰の下にも降りてくることはなく、つねに何かを意識している人の下に降りてきます。たとえ弱くとも広く多くの事象を意識しているからこそ、その網の目にかかるというのです。

本日は、ちょっと長くなりました。「あるく みる きく」読者の皆さんの元にも、セレンディピティの幸運が訪れますように。

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