壁際椿事の「あるくみるきく」

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『勝つ兵法、負けない兵法』を読んだ

2009年09月27日 | 読書
敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず――。中国の古典『孫子』の、この有名な一文をはじめ、多くの古典の名文句を解説した『勝つ兵法、負けない兵法』(守屋洋著、PHP研究所)を読みました。兵法とは、狭義では戦争のやり方、戦略のことですが、広義には国家の統治法、組織の管理法、ビジネスのマネジメント法まで含みます。

同書を読んで、発見したことは、2つ。

1つ目は、統治には、バランス感覚が大切だということです。アメとムチ、厳と寛。プリンシプル(原理原則)を軸に、状況に応じて使い分けることが大切だと説きます。

有能なリーダーは、アメとムチを使い分けるのが上手なのは、みなさんも実感しておられることでしょう。ただ、「厳しく当たって恐れられ、やさしく接して慕われる」のは当たり前。これでは、まだまだ凡庸なリーダーです。「厳(げん)にして愛せられ、寛(かん)にして畏(おそ)れらる」リーダーこそが本物だと同書には書かれています。なるほど、その通りだと思いました。

兵法には、「欲キン姑縦の計」(キンは手ヘンに禽で、ヨクキンコショウのケイと読む)という考えがあるそうです。「禽(とら)えんと欲すれば、姑(しばら)く縦(はな)つ」です。政治でいえば、国民から税金を多く取ろうと考えると、国民に嫌気がさし活力が失われる。税金を納めてもらう前に、まず国民が生活を成り立たせられる政治を行わなければならない。そういうことです。今回の民主党の子ども手当、亀井金融相の借入返済の3年間の猶予(モラトリアム)などは、当面はありがたい政策ですが、いずれ、増税という形で取り立てられることになるのでしょうか?

著者によると、バランスが大切とはいえ、中国では厳しい方にウェイトがあるそうです。「泣いて馬ショクを斬る」(ショクは言ベンに田、ム、久)という格言があるほどですから。原理原則に反した者は、たとえ目をかけていた部下でも斬る。とても厳しい処遇です。建前では、バランス感覚が大切といいつつ、現実には、プリンシプルを信奉する教条主義なのかもしれません。信賞必罰です。これでは綱紀は正されるでしょうが、兵員はかなり息苦しいでしょうね。

2つ目は、日本人と中国人は、姿形は似ているけれど、考え方は非なるものだ、と改めて感じたことです。数々の放伐で歴代の王朝が変わってきた中国に対し、日本は名目上、天皇家が国家を治め続けています(現在は象徴ですが)。だから、天皇を「大きな親」とすれば、子たる国民はみな家族です。だから仲良くできる。聖徳太子の言った「和をもって尊(たっと)しとなす」です。他人を警戒する必要性を、感じ得ないのです。他国からの侵略をほとんど受けた経験のない島国だからこそ生まれた国民性だといえるでしょう。

一方、広大な土地に多くの民族が住む中国は、いつ、どこから、誰に攻撃を受けるか分からない。昨日の味方が、今日、寝返るかも分らない。だから、アメとムチの「統治法」が発達した。それが「兵法」なのだ。私は、このように解釈しました。

同書には、リーダーの仕事は、中国では重く、日本では楽勝だったとも書かれています。日本では、みな仲が良いことが前提だから「やれ行け、それ行け」と旗を振っていれば、まじめな兵の奮闘で何とかなり、将の無能が表面化しないが、中国では、統治を一歩間違えば部下が「いち抜けた」と離反してしまうということです。

現在は、いろいろなバックグラウンドを持った多様な考え方の人でも、必然的に交わらねばならないグローバル化の時代です。日本的な付き合い方では、一方的に損を押し付けられかねません。中国的な、あるいは契約を重んじる欧米的な付き合い方が、ますます大切になるでしょう。現代のリーダーが、改めて「兵法」を学ぶ意味は大きいと感じました。

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