【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

種痘の威力

2015-10-30 07:53:30 | Weblog

 『解体新書』によって「蘭方(西洋医学)」が江戸時代の日本ではブームになりましたが、治療成績の点では実は東西格差はあまりありませんでした。消毒も麻酔も抗生物質もありませんから、下手すると漢方薬を駆使する古い医学の方が症状を上手く取ることができたりしていたのです。それを覆したのが、「目の手術」(江戸末期に長崎で白内障の手術がおこなわれています)と日本中でおこなわれた「種痘」です。どちらも文字通り「目に見える結果」を日本にもたらしました。その道は平坦ではありませんでしたが、種痘によって初めて「蘭方」が勝利宣言をすることができた、と私は考えています。医学はやはり、理論より実績ですよね。

【ただいま読書中】『緒方洪庵の「除痘館記録」を読み解く』緒方洪庵記念財団除痘館記念資料室 編、思文閣出版、2015年、2300円(税別)

 ジェンナーが牛痘接種による天然痘予防法(種痘)を発表したのは1798年。当初は「種痘をしたら牛になる」などと言われて広まりませんでした。しかしその有用性が認められ、1800年代に世界中に普及します。日本に持ち込まれたのは1849年、オランダ商船の外科医モンニッキ(オットー・モーニケ)がワクチンをもたらし、長崎で子供に接種しました。福井藩主松平春嶽はそれより先に幕府に種痘の輸入を願い出ていましたが、そこにモンニッキがやって来たわけです。牛痘苗は人から人に植え継がれ、京都の医師日野鼎哉(ていさい)のもとへ。そこから福井藩医笠原良策に話が届き、さっそく上京した良策は京に接種・普及の拠点を設けます。それを聞いた大阪の日野葛民(たつみん・鼎哉の弟)と緒方洪庵は、大坂でも同じ活動をしようと考えます。こうして大坂に「除痘館」ができました。しかし、悪い噂(「種痘なんか効かない」「子供に悪いことが起きる」)によって除痘館の活動は停滞します。それでも協力者の粘り強い活動によって、数年後には信用ができます。1858年には奉行所から官許がおります。これは59年の堺、60年の江戸より早く、日本最初の官許種痘所でした。
 実は牛痘だけではなくて、すでに人痘による種痘もおこなわれ、こちらでも天然痘の予防効果は認められていました。ただ、「予防」ではなくて「天然痘発生」になることもあり、そこから大流行になることもあったので、予防効果だけの牛痘が期待されていたのです。
 現代日本でさえ「ワクチンなんか効かない」「ワクチンは危険」と言う人がいます。それが江戸時代のことですから、もっと迷信がかった噂が流れるのは、当然のことだったでしょう。そういった時代に、信念を持って粘り強く行動した人たちがいたことを、私は尊敬の念を持って見ます。