【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

復興

2015-03-11 06:46:21 | Weblog

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【ただいま読書中】『西サハラ ──ポリサリオ戦線の記録』恵谷治 著、 朝日イブニングニュース社、1986年、2000円

 1月7日に書いた『世にも奇妙なマラソン大会』で「西サハラ」について聞いたものですから、もう一歩知識を深めるためにもう一冊読んでみることにしました。
 かつて「スペイン領サハラ」と呼ばれた地域の物語です。スペインに対する独立運動は、最初は平和的な運動でしたが、それが弾圧され、武装闘争を是とするポリサリオ戦線が結成されました。1974年スペインは、住民投票で西サハラの独立かどこかに帰属するかを決定する、と発表します。それに対してモロッコとモーリタニアは国際司法裁判所に提訴し住民投票を延期させます。さらに75年「35万人の大行進」をモロッコ国王ハッサン二世が計画。「非武装の“住民”デモによる領土回復運動」です。同時期、スペインのフランコ総統は危篤状態にありました。ハッサン二世が“敵”としていたのは、実はスペインではなくて独立を叫ぶポリサリオ戦線でした。スペインとは領土割譲の密約を結んでいたのです。76年にスペインは完全に撤退し「西サハラ」に対する興味を失います。モロッコとモーリタニアは「治安維持活動」として軍事侵攻。「西サハラ」の住民は難民となってアルジェリアへ。アルジェリアは独立派への軍事支援をしますが、すぐに中止、難民支援に専念することになります(この時期、キューバやベトナムがポリサリオ戦線を軍事支援している、という記事が流されました(私はそれを読んだ記憶を持っています)が、著者によるとそれは憶測によるもので根拠はないそうです)。スペイン領サハラには植民地議会がありましたが、そこは「独立宣言」をしていました。しかしモロッコ・モーリタニアへの強制併合によって「西サハラ」も「独立宣言」も地球上から消滅しました。しかしポリサリオ戦線は亡命政権を樹立、モーリタニアは軍事費の増大に耐えきれず79年に和平協定を結びます。その年に著者はサハラ解放区にアルジェリア経由で入りました。当時の「西サハラ」にいた日本人はおそらく著者一人だっただろう、と著者は推測しています。しかしそこで見たフランス人テレビクルーの要求に、著者は驚きます。当時のフランスはモロッコ寄りの立場でした。そのフランスでポリサリオ戦線の現状を伝えるためには、視聴者に強烈に訴える場面、つまり戦闘シーンが必要だから、自分たちが撮影できる状況で戦闘をしろ、という要求なのです。著者はここに「ジャーナリストの“原罪”」「西洋合理主義」「西欧の植民地主義」を感じ取っています。
 ポリサリオ戦線は国際的に受け入れられていました、その原因の一つは「共和国宣言」をしていたこと、それと民族や階級にこだわらなかったことにあるようです(難民キャンプでも部族や階級は無視されていました)。そういった「ゲリラの実態」も著者は目撃をします。
 『世にも奇妙なマラソン大会』にも書かれていましたが、西サハラの上空をかつてサン=テグジュペリが飛んでいました。さらに本書では、騙されて外人部隊の契約にサインした二人の日本人の話も登場します。「騙されてサイン」と言うと、「エリア88」(新谷かおる)ですか?
 モロッコは砂漠に長大な砂の壁(長城)を築き、鉄条網と地雷原で西サハラを実効支配しています。著者はモロッコに入国し、そちら側から西サハラにアプローチします。そこで見たのは、モロッコが自信を持って支配地を管理している姿でした。膨大な軍事費を費やす見返りはブ・クラ鉱山の豊富なリン鉱石です。モロッコ自体が世界一位の埋蔵量を抱えていますが、世界三位の西サハラを加えたら、資源を梃子にした世界戦略が展開できる、とハッサン国王は考えたのでしょう。さらに「大モロッコ主義(かつての王朝は現在のモーリタニアあたりまで版図があった)」により西サハラの領有は正当化されています。
 本書が発行された80年代、状況は膠着状態になりました。そして現在でもその膠着状態は継続しているようです。ただ、こういった膠着状態の継続は、ゲリラや難民の側の閉塞感と絶望を深めることでしょう。そういったものがたとえば現在の「イスラム国」の活動を許す素地になっているのかもしれない、と私はちょっと気になります。



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