耳が聞こえない作曲家として知られている佐村河内守さんが、実はゴーストライターに作曲を依頼していた、というニュースがありました。私も“彼”の「交響曲1番 HIROSHIMA」のCDを持っています。ただこの曲、作曲家の“属性”で価値があるもの(「障害者の作品」だからすごい!)ではなくて、その曲自体が好きだ、というのが私の判断なので、自分の判断を尊重してそのまま聞き続けることにします。
それにしてもなんで今頃“自白”することにしたのでしょう? もっと早い時期に「共作」としておけば、誰も傷つかずに済んだのになあ。
【ただいま読書中】『海底美術館』ジェイソン・デカイレス・テイラー、ジェームズ・バクストン 著、 内山卓則・尾澤和幸 訳、 日経ナショナルジオグラフィック社、2013年、2400円(税別)
ちょっと不思議な本です。
「海底美術館」は、本当にカリブ海のあちこちの「海底」にあります。“展示”されているのはジェイソン・デカイレス・テイラーの彫刻。それらは海底に沈められ、やがてその表面は海藻に覆われ、その周囲を魚たちが泳ぎ回ることになります。さらにこの彫刻は、人工の礁となって珊瑚の成長を促し、魚の数を増やします。この「美術館」が評判となって観光客が集まれば、天然珊瑚への人の集中が緩和されその分もろい珊瑚礁のストレスは軽減されます。
アクアラングを使わないフリーダイビングの場合、文字通り「息を呑」んでいるため、鑑賞は時間の制約との戦いとなり、どの作品も「はかなさ」を感じさせます。さらに時間の経過によって彫刻はどれも変化し最終的には自然に溶けこんでなくなってしまいます。これもまた「はかなさ」を感じさせる要因です。
「わび」「さび」を日本人なら持ち出したくなります。
「海底に展示された彫刻の写真」は、それだけ見ると、きれいでもあり、不気味でもあり、シュールな光景でもあります。さらにそれらが時間経過によって、海藻が生え、漁礁となり、そして崩れていきます(その過程も写真で私たちは目撃できます)。しかしこれらの彫刻は「無」に帰するのではありません。それらは「未来」に近づいているのです。「地球環境」という、長く持たせたい「未来」に。海底に、円環を作って手を繋いで並んでいる人々の彫刻があります。その中の一人は、もしかしたら「私」や「あなた」かもしれません。
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