【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

蚊帳、蠅帳

2012-03-09 18:39:35 | Weblog

 同じ「帳」なのに、「や」と「ちょう」と読みが違うのはなぜなんでしょうねえ。
 私の子供時代(昭和の中頃)を思い出すと、タイトルに挙げたもののほかに、蠅叩き・はえ取り紙・ドブ・水たまり……今の「清潔志向」の日本とは別の国のようです。今はドブは下水管になって、他のものもほとんど姿を消しました。ただ、窓を見たら網戸がはまっていますが、あれは結局家がそのまま蚊帳になったようなものですよね。「蚊帳の外」の虫たちは相変わらず元気に飛び回っているわけです。「害虫のいないお清潔な国」だったら、網戸もいらないはずですから。

【ただいま読書中】『蚊の博物誌』栗原毅 著、 福音館日曜日文庫、1995年、1262円(税別)

 昭和30年代、新米研究生だった著者は、毎日のように蚊帳を吊っていました。ただし、室内ではなくて屋外、蚊を避けるためではなくて蚊をなかに閉じ込めるためにです。空き地に蚊帳を吊り、中にドライアイスを置いて蚊帳の一部をまくり上げ、しばらく経ってから一網打尽。右も左もわからない状態でこの研究に参加した著者は、それから35年間、蚊とつきあうことになってしまいます。
 俗に「蚊は酔っぱらいが好き」と言います。で、実験をしてみると、差が出ません。もしも酔っぱらいの方がよく蚊に刺されるとしても、酔っぱらって正体をなくして寝込んだら蚊を追うことができないからではないか、というのが著者の推測です。また、蚊によっての“好み”の研究では、吸血をして満腹の蚊をたくさん捕まえてきてその腹の中の血液を一々調べています。それによって「牛好み」とか「牛は嫌いで人と猿が好き」なんて蚊がいることがわかりました。これで、マラリアを防ぐために村の回りに牛をつないでおいたら、村の中でのマラリア発生数が減少した、という試みもあったそうです。牛はいい迷惑ですけれど。人によっても刺されやすさに差があります。もちろんその研究もありますが、アメリカの実験では「きわめて刺されにくい人」は2%・「とても刺されやすい人」は1%くらいだそうです。その差が何によるものかはまだ不明だそうです。ちなみに血液型によって差があると主張する人がいますが、実験やマラリア発生数の比較では、明らかな差はないようです。
 蚊の主食は、花の蜜や植物から出る甘い汁です。産卵のためにだけ雌は吸血をする必要があります。吸血した雌は卵巣を発達させて産卵し、また血を求めます。
 蚊で困るのは、刺されたあとが痒いこと、それと病気です。マラリア・フィラリア・デング熱・日本脳炎・黄熱などが代表ですが、ウイルス疾患だけで80種はあるそうです。「蚊が病気を媒介する」ことがわかったのは、1877年イギリスのマンソンがフィラリア病で発見しました。これによってマンソンは、熱帯医学と衛生昆虫学の“開祖”となっています。しかしこの時期には「人体実験」が行なわれていますので、実験参加者が発病して死者さえ出ています。私たちの“常識”はこういった犠牲の上に作られているものなんですね。偉いのは英国政府です。「黄熱の媒介蚊の世界的分布調査」と「蚊の研究の推進」という“儲けにならない”基礎研究を推進しました。今、世界はその恩恵に浴しています。
 本書の前半は「蚊の自然誌」で後半が「文化誌」です。
 『日本書紀』には蚊屋衣縫という女性が登場します。『播磨国風土記』には応神天皇が播磨の国を巡幸の際、賀屋の里で「殿を作り蚊屋を張った」という記録があります。当時から上流階級の人は蚊帳の中で眠っていたのかもしれません。
 「蚊」の語源は不明です。万葉集や古事記にありますから、それ以前から「蚊」と呼ばれていたのでしょう。古代インドでは蚊のことをmakkaと呼び、それがサンスクリットでmasakaに、ローマではmuscaと言いましたがそれは「蝿」のことだったそうです。それがスペインでmosca、16世紀に英語に入ってmosquito(小さな蝿の類(双翅目))となりました。当時の「蚊」は「culex」「gnat」と呼ばれていて、「モスキート」が「蚊」を意味するようになったのは19世紀後半のことだそうです。きちんと研究されるようになって、名前が確立した、ということでしょうか。
 蚊はそれほど長距離飛行はできませんが、中には海外旅行をする蚊もいます。旅行客のトランクにまぎれこんでいたり、飛行機に“乗った”り、輸出された古タイヤにまぎれていたり。
 室町時代の『世諺問答』には「コキノコ」という幼子が蚊に食われないまじないが説明されています。「蚊を食べる蜻蛉の頭に見立てた木の球に羽をつけたものを、板で突き上げると、球は落ちるときトンボウ返りをする」のだそうです。つく板は胡鬼板(こきいた)と呼んだそうですが、そのまじないが江戸時代に遊びとして正月の羽根つきになったそうです。昔の「蚊のわざわい」は、命にもかかわるものと思われていたのでしょうか。
 もちろん「蚊の目玉」の話も登場します。ご馳走だというのですが、誰か本当に食べたことがあるのですかねえ。著者は「その気になれば集めることは可能」と半ばやる気満々ですが(私はあまり食べたいとは思いません)。




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