【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

正々堂々と戦う

2019-08-20 07:39:18 | Weblog

 高校野球の甲子園大会などでの選手宣誓でよく「正々堂々と戦います」と言っています。ところで、きわどいプレーの時に「自分は落球していたので実は今のはセーフです」などと守備の選手が自己申告する、なんてことがどのくらいあります? 「正直に言ったら損をする」とか「ばれなきゃいい」とか言うのは、ちっとも「正々堂々」ではない、と私には思えるんですけどね。ならば、「宣誓」の意味は?
 「負けそうにない場合だけ、正々堂々と戦います」と宣言するのだったら、言動一致なのですが。

【ただいま読書中】『カブラの冬 ──第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』藤原辰史 著、 人文書院、2011年、1500円(税別)

 第一次世界大戦で、ドイツは深刻な飢饉に見舞われ餓死者が数十万人出た、と言われています。これに対してドイツでは「イギリスが中立国との貿易も妨害する非人道的な経済封鎖をした」と非難し、イギリスは「非人道的というならUボートの無制限潜水艦戦はどうなんだ。そもそも戦時の食料経済システム構築をきちんとしていなかったドイツが悪い」とやり返しているそうです。たぶん、どちらの言い分も(ある程度ずつ)正しいのでしょう。ともかく戦場は世界規模に拡大され、イギリスもドイツも飢餓に襲われることになってしまいました。
 ドイツは(植民地は少なめでしたが)列強に伍する“強国"でした。しかし、穀物・肥料・飼料などは輸入に頼っていました。そこが「弱点」です。そこで「ベルギー経由で攻め込んでフランスをさっさと降伏させ、その後戦力をロシアに向ける」短期決戦のシュリーフェン作戦を発動させます。ほとんど普仏戦争の再現を狙っています。しかしベルギーは抵抗、さらにイギリスが参戦して塹壕戦となり、戦争が長期化することで「弱点」が露呈。さらにイギリスは「国民全体を痛めつける」ために食糧封鎖を実施します。これは第二次世界大戦での都市爆撃と根本発想は似ています。戦場の兵士だけではなくて国民全部に攻撃を仕掛けるわけです。
 輸入が停まっただけではなくて、馬が軍に大量動員されたため畑の生産効率が激減、人も軍と軍需工場に動員され耕す人もいなくなります。捕虜を農園での労働に従事させましたが、見張りが必要になります。
 「カブラの冬」という言葉に象徴されるドイツの飢餓は、戦争後半の時期が注目されていますが、実は開戦した1914年冬には、早くもパンにジャガイモ粉が混入されたり牛乳が水で薄められたりしていました。そこでドイツ政府がおこなったのは「食料統制」とともに「節食(あるいは断食)は健康に良い」キャンペーンでした。第二次世界大戦での日本での精神主義のスローガンは様々残っていますが、第一次世界大戦のドイツはその“先駆例"だったようです。そういえば「欲しがりません、勝つまでは」もこの時のドイツで使われていましたっけ。
 1915年交戦国の中では最も早くドイツは食料配給制を始めます。捨てられるペットの数は急増(もちろん餌不足がその原因です)。「家畜にジャガイモを食わせるより、人が食った方が効率が良い」という学者の意見が発表され、「豚はドイツの第九の敵だ」というスローガンと共に豚の大量虐殺が行われました。「豚殺し」の1915年です。しかしドイツ国民の栄養状態は改善しません。ジャガイモにはジャガイモの、豚肉には豚肉の、栄養的な意味があったのです。そして、ジャガイモの凶作。15年には5000万トンの収穫が、16年には26万トン。これはえらいことです。そこで代用食として登場したのが家畜の飼料としていた「カブラ(日本の蕪とは違って、和名はカブハボタンまたはスウェーデンカブ、英語名はルタバガ)」でした。エラい学者の計算ではカブラだけ食べてもカロリーは足りる、となっていましたが、実際にその食生活をした人々の生の声は、悲鳴です。そして悲鳴は「この飢饉の責任者は誰だ?」という非難に変容します。最初に責められたのは「食料を隠している」と疑われた農民たち。そして「きちんと戦時経済制度を作らなかったドイツ政府」。各都市で食糧暴動が起き、革命運動につながります。
 戦後(というか、きちんと終われなかった大戦後)、ドイツ国民の憎悪は、連合国よりもむしろ国内のユダヤ人と社会主義者に向けられました。ユダヤ人差別はヨーロッパの伝統ですが、簡単に勝てるはずだった戦争に負け、しかも国内が飢餓やインフルエンザで滅茶苦茶になった(弱者が大量に死亡した)ことに対する負の感情が、その伝統に上手く乗っかってしまったのでしょう。それを上手く利用したのが、ナチスです。
 飢餓に苦しんだのはドイツだけではありませんでした。どの交戦国も長期戦に耐える体制を構築できていなかった、つまりどの国も「十九世紀の戦い(戦場での決戦ですべてを決める)」を戦う気でいた、ということです。イギリスで餓死者がでなかったのは「貿易」の力でした。逆に言えば、他国との貿易ができなかったドイツはだから餓死者が数十万人も出た、ということです。
 日本が戦争をできる普通の国に、と主張する人がいます。今の日本の食糧・飼料・エネルギー自給率を見て言っているのかな?と私は首を傾げます。食糧自給率がほぼ100%だった二十世紀前半の日本でさえ、あんな食糧事情になってしまったんですよ。「戦争中の日本が飢饉だって? 万難を排してすぐ大量の食料を送ろう」と言ってくれる“味方の国"を複数作ってありますか? でないと、次の戦争では日本で餓死者が大量生産されちゃいます。




コメントを投稿