【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

最強の格闘技

2020-11-15 10:29:56 | Weblog

 極真空手は、他流派の空手が型重視で試合では寸止めであるのに対し、「自分たちの試合では直接打撃を加えている」ことで「最強の格闘技」を謳っていましたが、試合で「顔面へのパンチは禁止」となっています。すると他流派の相手が顔面を殴ってきたら対応できずにダウンしてしまう(最強ではなくなってしまう)、なんて事態に陥ってしまうのではないでしょうか。

【ただいま読書中】『刀の日本史』加来耕三 著、 講談社(現代新書2380)、2016年、800円(税別)

 真剣を用いた稽古によって「真剣の日本刀の間合い」に入ってしまった著者による日本刀についての本です。
 神話の時代から皇室と刀剣には「三種の神器」「節刀」「壺切御剣」など、密接な関係があります。ただ、天皇が自ら刀を振るった例は、少なくとも最近(少なくともこの10世紀くらい)は無いようですが。
 平安時代末期頃から鎧や兜が進歩し、それに対応するために刀も蛤刃にするなどの変身をしました。ところが元寇では、異国の兵士の皮鎧に刃が通用しませんでした。そこで刀工たちは、日本の大鎧にも蒙古の鎧にも対応できるように、「軽く、折れず、曲がらず、よく切れる」の相反する条件を高いレベルで満足させるように、様々な工夫をすることになります。武士にとって刀は「自分の命がかかった実用品」だったのです。
 著者は最近の「美」に偏った日本刀の評価に批判的です。批判的、というか、拒否しています。「真剣で素振りをしたこともないくせに」と。ただこれを言っちゃうと「日本刀で戦ったことがない人」は日本刀について発言してはいけないことにもなりそうですが。
 足利義輝は当代一流の剣聖と称された、塚原卜伝と上泉伊勢守信綱に剣を学び、一流の腕となりました。これは幕府が既に無力となっていたことが関係をしているのでしょうが、当時は「剣術」がまだ「歩卒(足軽)の技術」と見なされていたことを思うと、異例のことでした。しかし時代はすでに「鉄砲」へと移行しようとしていました。ただその鉄砲を日本に普及させる原動力となったのは、刀鍛冶の高い技術でした。
 剣豪小説にはよく「名刀」が登場します。「美」の点からの名刀は、その姿で決めればよいでしょうが、実用性で決めるとなると「その刀で何人斬られたか」で決めなくちゃいけないのかな? もっともそれは小説では「妖刀」にされてしまうのでしょうが。

 



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