先日の「調べなくてもわかること」でフクシマ直後に政府は内部被ばくについてきちんと調査をしなかった、と書きましたが、実は甲状腺被ばくについては調査がされていました。ただし福島県民200万人(うち18歳以下は40万人)のうち1080人だけ。これでは統計的に“弱い"数字です。どうしてきちんと調査をしなかったのでしょう?(ちなみにチェルノブイリでは3箇国で30万人以上が検査を受けています)
ということで、本日の読書です。
【ただいま読書中】『福島が沈黙した日 ──原発事故と甲状腺被ばく』榊原崇仁 著、 集英社(新書1051B)、2021年、900円(税別)
「1080人」の数字(の少なさ)にも驚きましたが、その対象が「原発から30km以上離れた住所地の住民」に限定されていることにも私は驚きました。これは「都合の悪い数字は記録に残したくない(=真実を隠蔽したい)」という態度にほかなりませんから。原発に近いところの住民は濃厚に汚染されている可能性がありますが、それを証拠として残したくない、と言うことです。これ、誰がそう決めたのでしょう? そして、その目的は?
その「目的」を探る著者の行動は、なかなか知的にスリリングです。情報公開制度を使うのですが、行政が隠したい文書をいかに上手く公開させるか、そこにテクニックが必要です。さらに、あまりにきわどいところに迫ってしまうと、情報の隠蔽や破壊が行われますから、そこでの手加減も必要です。
しかし驚くべき証言があります。「原発から20km圏内は避難をした。20〜30km圏内は屋内避難をした。だから放射能に汚染されていない。汚染されていない人を測定対象にする意味がない」。読んで頭がくらくらします。机上の空論通り現実が動くのだったら、どんなに楽なことか。自分の想定通りに現実が動いてくれないからこそ、現実を調査することに意味があるんですけどね。私から見たら、こういった主張をする人たちは、現実逃避をして「ぼくちゃんは、わるくないもん」とつぶやきながら知的な意味での引きこもりをしているだけです。
そして「保身」と「詭弁」。真実がどうかを知るよりも人々の不安を取り除くことが最優先という“配慮"。すり替えられる「目的」、残されない「記録」。矮小化される被ばく。そのために捏造される計算式。そして、見苦しい言い訳。逃げ切る政府と泣き寝入りする人たち。
これはもう、ほとんど犯罪、というか、情報と人道に対する犯罪そのものに私には見えます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます