ある本で二宮尊徳が「道徳なき経済は悪であり、経済なき道徳は寝言である」と語ったと読んで、良いことを云うなあ、と思うと同時に私は疑問を持ちました。「経済」ということばは福沢諭吉の造語とされています。だとすると江戸時代の二宮尊徳が本当に「経済」という単語を使ったのだろうか、と思ったのです。そこで『二宮翁夜話』を読んでみました。私の注意力が不足していたのか(あるいはもしかしたら出典は『報徳記』の方かも)、ぴったりのところは見つかりませんでしたが、それに近いことを言っている場所は見つかりました。
・「翁曰道の行はるゝや難し、道の行れざるや久し、その才ありといへども、その力なき時は行はれず、其才その力ありといへども、其なければ又行れず、其ありといへども、その位なき時は又行れず、然れども是は是大道を國天下に行ふの事なり、その難き勿論なり、然れば何ぞ此人なきを憂へんや何ぞ其位なきを憂んや」
・「道徳経済の元なり、家々の権量とは、農家なれば家株田畑、何町何反歩、此作徳何拾圓と取調べて分限を定め、商法家なれば前年の売徳金を取調べて、本年の分限の予算を立る、是己が家の権量、己が家の法度なり、是を審にし、之を慎んで越えざるこそ、家を斉ふるの元なれ、家に権量なく法度なき、能久きを保んや」
一読してわかりますが、繰り返しが多く、飲み込みの悪い人にもわかるようなだらだらした説得口調で「道徳なき経済は悪であり、経済なき道徳は寝言である」といったすぱっと断ち切るようなもの言いではありません。ただ、実用を離れて儒学や仏教の教えを生半可に振り回す机上の空論を尊徳は嫌悪します。そのへんのエッセンスを抽出して組み合わせたら上記のことばになりそうです。
金の単位が圓や銭だったり、別の場所で「東京」と書いて「えど」とルビがふってあったりしているのは、たぶん弟子の「編集」でしょう。だから「経済」も弟子が明治になって入れたことばかも、と思いましたが……佐藤信淵(さとうのぶひろ 明和六年~嘉永三年)に『経済要録』『経済提要』という本があり、『二宮翁夜話』にもその名が登場します。ですから江戸時代にすでに「経済」ということばがあったことは間違いなさそうです。ただ、『二宮翁夜話』では「経済」は名詞だけではなくて「経済する」と動詞でも使われています。おそらく現代の「経済」とはニュアンスが相当違っていたと私には思えます。
【ただいま読書中】
『二宮翁夜話』福住正兄 筆記、佐々井信太郎 校訂、岩波書店(岩波文庫)、1933年(2004年20刷)、660円(税別)
二宮尊徳といえば、薪を背負って歩きながら本を読んでいる姿をまず思い出します。小学生の時に私はランドセルを背負って同じ格好で歩いていました(当時から時間を惜しんで本を読む人間だったのです)。二宮尊徳が幕末の人で、その身近にいた弟子が(まるで論語のように)尊徳のことばを記録して明治になって(巻の一は明治十七年に)出版していたのは知りませんでした。
彼が唱えたのは報徳思想と呼ばれますが、一言では「土のにおいのするプラグマティズム」と言ったらよいでしょうか。破産した家・村・天領を再生させた実績と、その基盤となった思想とが見事に調和し、言と動が「生活(農業)」という局面で一本スジを通されてまっすぐに生きています。ただし、明治政府が主張したような「単にひたすら汗をかけ」ではありません。使われるたとえは弟子たちのためでしょうか、農村の生活に密着したものばかりですが、その思想面はなかなか奥深いものがあります。たとえば「天道と人道が大切である。人道は水車のように回るもの。水流に浸かっている部分は水の流れに従うが、そこから出ると水とは逆方向に動く」なんてのは、けっこうシニカルでラジカルです。
また、善悪・損得などはすべて「人為」で、もちろんそれは重要なことだがそれを越えたもの(大極)が存在することを忘れるな、と二宮尊徳は繰り返します。農家としてきちんと“実績”をあげることと、思想的にスジが通った生き方をすること、その両立を尊徳は求めるのです。また、学問も実地に役立つことを求めます。「『種芋』と分類して札をかけるだけはただの『本読み』。真の『学問』はその種芋を植え収穫を得ること」と尊徳は述べます。
有名なエピソードですが、天候不順の年の土用に収穫した茄子を尊徳が食べたら秋茄子の味がしたためこれは冷夏になると予測し、木綿のような商品作物ではなくて食べられる救荒植物を植えろと下野の領内を説いて歩き、その“予言”が見事に的中して人々が救われた(尊徳を信じない、あるいは木綿をどうしてもあきらめられなかった人の畑には結局なにも実らなかった)、という話が紹介されています。その場合もたとえば「蕎麦を植えるときに菜種も混ぜて蒔け。そうしたら、蕎麦を収穫したらそのすぐあとに菜種も収穫できる。蕎麦の収穫でいくらかは損害が出るが、蕎麦を収穫してから菜種を蒔くより時間が節約できる」といったきわめて具体的な指示をしています。
さらに「実用性重視」と言っても、社会や歴史に対して透徹した視線を向けている二宮尊徳は、一筋縄ではいきません。
ある大名家で焼けた宝剣を研ぎ直そうとなったとき「そんな人を切れない飾り刀を研いでなんの実用性があるか。わざわざ手をかける必要なんかない」と言った人に対して尊徳は「戦時ではなくて平和な世には、宝剣には人を切るという“実用性”ではなくて『先祖の積と家柄の格式の象徴』という役割がある。刀の人を切る“実用性”だけに注目するのは、自分は一人でえらくなったと胸を張って、太平の世のありがたさと先祖を忘れている態度でしかない」ときびしく諭しました。後日談として、このとき二宮尊徳に叱られた中村某氏はのちに「じりじりと照りつけられて實法(みの)る秋」という句を詠み、尊徳はそれを非常に喜んだそうです。
経済に関して尊徳は、ストックよりフローを重視しています。「勤勉」も精神論やストックのためではなくて金銭のフローを社会で何回も回すための手段です。だから飢饉の時などの貸付金は無利息で、と繰り返し述べています。「マイクロクレジット」を考案し「グラミン(農村)銀行」を設立してノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の考え方にも尊徳と共通する部分があるように思えます。
机上の空論を嫌うと同時に、資本主義的に利益のみ重視する(むさぼる)態度も嫌った尊徳は、今の時代にもうちょっと注目されて良い人かもしれません。少なくとも私はファンになりました。
・「翁曰道の行はるゝや難し、道の行れざるや久し、その才ありといへども、その力なき時は行はれず、其才その力ありといへども、其なければ又行れず、其ありといへども、その位なき時は又行れず、然れども是は是大道を國天下に行ふの事なり、その難き勿論なり、然れば何ぞ此人なきを憂へんや何ぞ其位なきを憂んや」
・「道徳経済の元なり、家々の権量とは、農家なれば家株田畑、何町何反歩、此作徳何拾圓と取調べて分限を定め、商法家なれば前年の売徳金を取調べて、本年の分限の予算を立る、是己が家の権量、己が家の法度なり、是を審にし、之を慎んで越えざるこそ、家を斉ふるの元なれ、家に権量なく法度なき、能久きを保んや」
一読してわかりますが、繰り返しが多く、飲み込みの悪い人にもわかるようなだらだらした説得口調で「道徳なき経済は悪であり、経済なき道徳は寝言である」といったすぱっと断ち切るようなもの言いではありません。ただ、実用を離れて儒学や仏教の教えを生半可に振り回す机上の空論を尊徳は嫌悪します。そのへんのエッセンスを抽出して組み合わせたら上記のことばになりそうです。
金の単位が圓や銭だったり、別の場所で「東京」と書いて「えど」とルビがふってあったりしているのは、たぶん弟子の「編集」でしょう。だから「経済」も弟子が明治になって入れたことばかも、と思いましたが……佐藤信淵(さとうのぶひろ 明和六年~嘉永三年)に『経済要録』『経済提要』という本があり、『二宮翁夜話』にもその名が登場します。ですから江戸時代にすでに「経済」ということばがあったことは間違いなさそうです。ただ、『二宮翁夜話』では「経済」は名詞だけではなくて「経済する」と動詞でも使われています。おそらく現代の「経済」とはニュアンスが相当違っていたと私には思えます。
【ただいま読書中】
『二宮翁夜話』福住正兄 筆記、佐々井信太郎 校訂、岩波書店(岩波文庫)、1933年(2004年20刷)、660円(税別)
二宮尊徳といえば、薪を背負って歩きながら本を読んでいる姿をまず思い出します。小学生の時に私はランドセルを背負って同じ格好で歩いていました(当時から時間を惜しんで本を読む人間だったのです)。二宮尊徳が幕末の人で、その身近にいた弟子が(まるで論語のように)尊徳のことばを記録して明治になって(巻の一は明治十七年に)出版していたのは知りませんでした。
彼が唱えたのは報徳思想と呼ばれますが、一言では「土のにおいのするプラグマティズム」と言ったらよいでしょうか。破産した家・村・天領を再生させた実績と、その基盤となった思想とが見事に調和し、言と動が「生活(農業)」という局面で一本スジを通されてまっすぐに生きています。ただし、明治政府が主張したような「単にひたすら汗をかけ」ではありません。使われるたとえは弟子たちのためでしょうか、農村の生活に密着したものばかりですが、その思想面はなかなか奥深いものがあります。たとえば「天道と人道が大切である。人道は水車のように回るもの。水流に浸かっている部分は水の流れに従うが、そこから出ると水とは逆方向に動く」なんてのは、けっこうシニカルでラジカルです。
また、善悪・損得などはすべて「人為」で、もちろんそれは重要なことだがそれを越えたもの(大極)が存在することを忘れるな、と二宮尊徳は繰り返します。農家としてきちんと“実績”をあげることと、思想的にスジが通った生き方をすること、その両立を尊徳は求めるのです。また、学問も実地に役立つことを求めます。「『種芋』と分類して札をかけるだけはただの『本読み』。真の『学問』はその種芋を植え収穫を得ること」と尊徳は述べます。
有名なエピソードですが、天候不順の年の土用に収穫した茄子を尊徳が食べたら秋茄子の味がしたためこれは冷夏になると予測し、木綿のような商品作物ではなくて食べられる救荒植物を植えろと下野の領内を説いて歩き、その“予言”が見事に的中して人々が救われた(尊徳を信じない、あるいは木綿をどうしてもあきらめられなかった人の畑には結局なにも実らなかった)、という話が紹介されています。その場合もたとえば「蕎麦を植えるときに菜種も混ぜて蒔け。そうしたら、蕎麦を収穫したらそのすぐあとに菜種も収穫できる。蕎麦の収穫でいくらかは損害が出るが、蕎麦を収穫してから菜種を蒔くより時間が節約できる」といったきわめて具体的な指示をしています。
さらに「実用性重視」と言っても、社会や歴史に対して透徹した視線を向けている二宮尊徳は、一筋縄ではいきません。
ある大名家で焼けた宝剣を研ぎ直そうとなったとき「そんな人を切れない飾り刀を研いでなんの実用性があるか。わざわざ手をかける必要なんかない」と言った人に対して尊徳は「戦時ではなくて平和な世には、宝剣には人を切るという“実用性”ではなくて『先祖の積と家柄の格式の象徴』という役割がある。刀の人を切る“実用性”だけに注目するのは、自分は一人でえらくなったと胸を張って、太平の世のありがたさと先祖を忘れている態度でしかない」ときびしく諭しました。後日談として、このとき二宮尊徳に叱られた中村某氏はのちに「じりじりと照りつけられて實法(みの)る秋」という句を詠み、尊徳はそれを非常に喜んだそうです。
経済に関して尊徳は、ストックよりフローを重視しています。「勤勉」も精神論やストックのためではなくて金銭のフローを社会で何回も回すための手段です。だから飢饉の時などの貸付金は無利息で、と繰り返し述べています。「マイクロクレジット」を考案し「グラミン(農村)銀行」を設立してノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の考え方にも尊徳と共通する部分があるように思えます。
机上の空論を嫌うと同時に、資本主義的に利益のみ重視する(むさぼる)態度も嫌った尊徳は、今の時代にもうちょっと注目されて良い人かもしれません。少なくとも私はファンになりました。
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