「降伏するくらいなら死んだ方がマシだ」と主張している人は,生きています。
【ただいま読書中】『パール・ハーバー ──恥辱から超大国へ(下)』クレイグ・ネルソン 著、 平賀秀明 訳、 白水社、2018年、3800円(税別)
空を飛ぶゼロ戦にジャガイモを投げたり自転車で追いかけて拳銃を発射する兵士もいました。人間は怒りに我を忘れると、無駄なことでも全力でしてしまうようです。そういえば大戦末期に日本のあちこちが艦載機の銃撃を受けたときに、私の父親は学校の校庭のど真ん中で低空を飛ぶ敵機に対して日本刀を振り回している軍人を見たそうです。どこも同じことをしてしまうんですね。
ミスをしたために殺される人もいれば,ミスをしたために助かる人もいます。戦場での生と死の割り振りは不平等です。中でも悲惨な死に方は、攻撃を受けて着底した戦艦「ウェスト・ヴァージニア」で、密閉空間に閉じ込められた3人でしょうか。彼らは、暗闇の中、食糧も水もなく、12月23日まで生きていたのですが、最終的に酸素がなくなり窒息死をしたのです。
戦艦「アリゾナ」はついていませんでした。一発の爆弾が弾薬庫まで貫通して爆発、アリゾナ自体が一発の爆弾になってしまい、乗員1177名が死亡しました。近くの戦艦「テネシー」は、日本軍機2機から直撃弾を喰らいましたが、その被害よりも「アリゾナ」から飛来した破片による被害の方が大きかったそうです。イギリスの戦艦「フッド」はドイツの「ビスマルク」の砲弾がたまたま弾薬庫に飛び込んだために一瞬で撃沈となりましたが、それと似た現象だったのでしょう。
戦艦「メリーランド」は、淵田直卒の九七艦攻の編隊に水平爆撃を受けました。著者は、まず淵田の視点から、次いでメリーランド艦上で攻撃を受けたフィッツジェラルド中佐の視点で、この場面を描写します。「爆撃」では、爆弾を落とす側は落とすだけ、落とされる側は落とされるだけ、の体験を語るものですが、実は爆弾の“両側"に「人間」がいるのです。
「真珠湾」のニュースを知り、チャーチルは「これでアメリカが参戦し、我々は勝てる」と興奮します。ヒトラーは「アメリカは太平洋に集中せざるを得ず、これで我々は勝てる」と考えました。同じ事柄でも、立場によってずいぶん捉え方が違います。日本の軍部は「これでアメリカ太平洋艦隊はしばらく動けなくなるから、東南アジアでの作戦がやりやすくなるからその間にさっさと戦争を終わらせよう」と楽観的でした。
オアフ島を噂が駆け巡ります。「日本軍が上陸してくる」「スパイがあちこちにいる」という噂を信じた人は、対空砲の点検のために懐中電灯をつけた調査チームを銃撃します。日系移民の間には「米軍が我々を皆殺しにしようとしている」という噂が。実際に頭に血が上った水兵たちが、山道を歩く日系人のグループを射殺しようと相談がまとまりかけたところで、一人の水兵の「俺たちはケダモノじゃない。この人たちはあの攻撃とは何の関係もないじゃないか」の一声で我に返った、という危機的瞬間も本書に紹介されています。
日本艦隊索敵のために空母から発艦した艦載機は、空母ではなくて陸上基地に着陸することになりました。当然「発砲するな」の命令が出されますが、いざ着陸態勢に入った瞬間「まるでオアフ島にあるすべての火器が、彼らの面前で、一斉に火を噴くがごとき事態」となってしまいます。曳光弾の明かりで空はまるで昼間のように明るくなった、とも。結局6機のうち5機が撃墜され、3名のパイロットが友軍によって殺されました。戦闘がすんだ後になって味方に殺されるとは、ひどい話です。戦闘中に敵に殺されるのがよい話、というわけではありませんが。
アメリカには「恥辱」があります。メキシコ人ごときに激戦を強いられたアラモの戦いとか、インディアンなんぞに負けたカスター将軍とか。そして真珠湾も「アラモを忘れるな」に続くことになります。
グアム、ウェーク、香港、フィリピン、ボルネオ、シンガポール、バターン……日本軍の攻撃はとうとうオーストラリアのダーウィン港爆撃にまで及びます。「真珠湾」は多くのものを変えました。戦術面では「航空機の重要さ」ですが、人種的には「日本人は臆病で遅れた連中」という偏見が変更を強いられます。たとえばロサンゼルス・タイムズ紙は「油断ならないヘビ」という見方を採用しています。これはつまり「悪魔の手先」ということかな? そしてその見方は「日系人の強制収容所」へとまっすぐつながります。結局「人種差別をするぞ」という決意には変更がなかったようです。
攻撃のあとにも、公的には評価されない「英雄」が続々登場しました。転覆したり着底した戦艦を元に戻そうと必死に働いた戦時労働者たちです。彼らの頑張りで、アメリカ軍は、人命以外のほとんどすべてを、数箇月で取り戻すことができました。太平洋の西半分はほぼ大日本帝国の支配下となり、ハワイは「最前線」になっていました。だからこの「早い復旧」には非常に大きな意味があったのです。
「憤怒」がアメリカを動かしました。ただ「反撃の最初の一手」は「ドゥーリトル爆撃隊」。軍事効果よりも相手の意表を突いて心理的ダメージを与える(「真珠湾」によって与えられた心理的ダメージを相殺する)ことが狙いの「一手」です。そういえば、大戦末期、劣勢となった日本帝国海軍は数少なくなった残存艦船を呉軍港周囲の島陰に分散させて隠すように停泊させていましたが、米軍はそれを狙って執拗に爆撃を繰り返しました。また日本のあちこちで地上銃撃を繰り返しました。これもまた「憤怒に基づく真珠湾の報復(場所を変えての再現)」だったのでしょうね。ただ、いくら「再現」しても、あるいはヒロシマ・ナガサキをやっても、「憤怒」は全然解消はしなかったようです。「恩」はいくら返しても絶対に返しきれないものですが、それと復讐の念も同様で、人間の強い感情は「収支」を合わせることは最初から不可能なものなのかもしれません。では、どうしたら? だって「いくらやっても恨みが晴れない」とする復讐の行動は、新しい「憤怒」を生むんですよ。