【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

寄り添う?

2018-10-10 06:55:41 | Weblog

 「沖縄の人たちに寄り添う」と言っている人が、「選挙の結果(=沖縄の有権者の意思表明)」には“寄り添わない"と決めているようですね。「寄り添う」って日本語では、どういう意味でしたっけ?

【ただいま読書中】『写真で見る ヴィクトリア朝ロンドンの都市と生活』アレックス・ワーナー、トニー・ウィリアムズ 著、 松尾恭子 訳、 原書房、2013年、3800円(税別)

 一旗揚げようとロンドンにやって来たチャールズ・ディケンズは新聞記者をしながら小説の執筆をしていました。そのころヴィクトリアが女王に即位。つまり「ヴィクトリア朝ロンドン」の始まりをディケンズはしっかり目撃しそれを作品に書き込んでいたのです。その後、写真が使用されるようになります。鉄道も開通するし、ロンドンの文明開化時代、と言っても良いでしょう。写真に関して新しい言葉がいくつも生まれ、それはディケンズの作品を評するときにも用いられるようになりました。たとえば「日光写真で写し撮ったかのように精緻な描写」とか「ダゲレオタイプのような力で人物を描く」とか。
 初期の写真は露光時間を長く必要としていたため、肖像写真では(光の量にもよりますが)何十秒もじっとしている必要がありました。ところが街頭の写真ではみな動いていますから、歩行者でさえ姿がぼけて写っています。解像度も荒く写真の保存状態もあまり良くないものが多く、“荒い"写真が目立ちます。ただそれが「時代の味」にもなっています。「写真に写っている被写体」だけではなくて「写真そのもの」もまた「その時代のもの」であることを主張しているのです。
 まず紹介されるのは「ランドマーク」。セントポール大聖堂とかロンドン塔といった「有名なもの」です。そして次の章では「貧民街」。素人のスケッチでは建物の垂直と水平が狂いがちですが、そういった素人のスケッチのような建物の写真が登場します。もちろんそれは建物が傾いているからで、その証拠につっかい棒があちこちに。裕福な地域の建物とは、窓が小さくて窓ガラスの使用を節約しているのが目立つことも印象的です。
 馬車も多く登場します。鉄道が開通してもまだ駅馬車は現役で、だから駅馬車宿も繁盛していました。そういえば「イン」についての本で駅馬車宿について詳しく文字と図で描写されていましたが、本書の写真を見るとその理解が深まる気がします。
 「コヴェント・ガーデン市場」とそこで働く「花売り女」の写真を見て私がすぐ思い出すのは「マイ・フェア・レディ」のイライザの姿です。たしかにここには「イライザ」がいます。ディケンズが事務所を構えたウェリントン街の目と鼻の先にこのコヴェント・ガーデン市場があったそうです。
 工場、鉄道などに続いて、個人が多く登場します。有名人や無名人、もちろんチャールズ・ディケンズやヴィクトリア女王も。
 ヴィクトリア朝と言えばシャーロック・ホームズです。彼もこういった写真に写された街の中を活動していたわけです。……と思ってよく見ると、アレックス・ワーナーには2016年の『写真で見るヴィクトリア朝ロンドンとシャーロック・ホームズ』という本もあるではないですか。これはそちらも読ま(見)なくっちゃ。