【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ヘルシー・ブーム

2018-10-17 07:15:37 | Weblog

 これだけ「ヘルシー」がブームになっているのですから、ファーストフードにもヘルシーブームが起きませんかねえ。いや、どんなものが登場するか、とちょっと楽しみなのですが。

【ただいま読書中】『ホットドッグの歴史』ブルース・クレイグ 著、 田口未和 訳、 原書房、2017年、2200円(税別)

 犬にさまざまな犬種があるように、ホットドッグにもさまざまな種類があります。ソーセージだけ見てもさまざまですし、ソーセージの加熱法もさまざま。トッピングも多種類ありますし、パン(バンズ)もさまざま、さらにはパン以外のものも使われます。
 そこで本書はまず「ソーセージ」についてのべ始めますが、そのためには3000年くらい遡る必要があります。アッシリアの文献にソーセージが登場するし、紀元前700年頃書かれた『オデュッセイア』には「数世紀の歴史ある食べもの」として「ブラッドソーセージ」が登場するからです。ヨーロッパ移民が各種の「ソーセージ」を持ち込んだ(特に19世紀にドイツからの大量の移民が本格的なソーセージを持ち込んだ)アメリカでも「安い肉」としてソーセージは人気でしたが、「犬の肉が使われているから安い」なんて噂も根強く囁かれていました。19世紀に肉引き機が開発され、ソーセージの大量生産が可能になり、1893年の新聞記事に「ホットドッグ」が登場します。アメリカの「ホットドッグ誕生秘話」では、寒い野球場で熱々のソーセージを手軽に食べられるようにパンではさんだ「ホットドッグ」が大人気となった、となっていますが、これは証拠のない「神話」だそうです。20世紀には電動のソーセージ製造器が開発され、人工ケーシングに詰めて形成してからケーシングを取り除く方法も開発され、それまで肉の段階からホットドッグになるまで一箇月かかっていたのが、1時間で作れるようになりました。
 ホットドッグは本来は「ストリートフード」でした。1910年ころのウィーンの写真では、露天商がソーセージを温める容器と大きな駕籠に山盛りにしたパンを地べたに置いて売っています。ニューヨークでも移民による屋台は認められていましたが,シカゴなどでは禁止されていました(馬糞の乾燥した破片があたりに飛び散っていて食品を汚染することが危惧されたからだそうです)。ただシカゴでも、常設の店舗(ホットドッグ・スタンドと呼ばれました)での販売が1920年代ころから始まりました。シカゴではホットドッグ・スタンドが主流です。対してニューヨークは、屋台が主流で常設店舗は少数派。1930年代から「ホットドッグのブランド化」と「スタンドのブランド化」の両方が始まります。商品が成熟すると新商品による差別化が困難になりますから、ブランドによる差別化をしよう、ということなのかもしれません。
 ここから「アメリカ人にはおなじみの、ホットドッグのブランド」が次々登場します。どれもカラフルなパッケージや店構えです。残念なのは、私には馴染みがないこと。ま、ローカルな話題だから仕方ないです。
 ユダヤ人が作るホットドッグは人気があり(コシャーの規制に従ったものは不純物が少ない、と考えられていたからかもしれません)、その影響で1950年代のシカゴでは「オールビーフのホットドッグ」が「標準」となります。マスタードを持ち込んだのはドイツ系ユダヤ人。ピクルスやセロリソルトをホットドッグに加えることを考えたのはドイツ系移民。ミシガン州デトロイトの「チリドッグ」はギリシアとバルカン半島出身の移民たちが生み出しました。
 ホットドッグはいわゆる「ペニー・ビジネス」です。小さな利益を積み重ねることで、資本主義社会を這い上がっていく最初の手段として食べもの商売は人気があります。さらに、「街の名物のホットドッグ」を皆が食べることは、「平等な社会の理想」の具現となります。しかも「何を乗せるか」は各個人の自由ですから「個人主義」も満足できます。さらに各地域で異なったスタイルがあるので「地域主義」でもある。たかがホットドッグですが、経済的にも政治的にも意味が大きいんですね。
 ホットドッグはアメリカから世界中に広まりましたが、各地域で独自の発展をしました。本書にはさまざまな「世界各地のホットドッグ」が紹介されていますが、「全部同じ『ホットドッグ』と呼んでいいのか?」と言いたくなるくらい多種多様です。もしかしたら「犬種」よりも多かったりして。