村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

村山党

2021-12-23 10:16:00 | 日記
武蔵七党の村山党がこの辺にいたということで、狭山丘陵を何か痕跡がないかと思っていますが、なんせ平安末期なので見当たりません。
入間市の金子付近には村山党、金子十郎の伝承地があるようです。
もともと関東は桓武平氏が来て開拓した。その中の人が伊勢に行って清盛の先祖になった。
坂東武者は平家なんですが、頼朝の方に就いた。
武蔵七党は、地元の武士どうしでで、婚姻関係でつながっていたようです。
今でも村山、猪俣、山口、私市、などの名字が残っています。

この狭山丘陵の中には深い谷があり北の方向には壁のような存在で、東の東村山、西の入間からでなければ、入れません。したがって新田義貞の鎌倉攻めは東の東村山から鎌倉に進軍しました。
所沢の小手指、東村山の久米川、分倍河原などで戦がありました。
狭山丘陵南側では戦はなかったようです。

来年の大河ドラマ、持ってました鎌倉殿の13人、この辺のことが出ますね。
武蔵村山市で、甲冑を紙で作って村山党の再現をしているグループがあります。
本物の甲冑はほとんど残っていないし、重くて動けないそうです。
武蔵御岳神社にはありますが。
かつてこの辺では、鎌倉武士が馬に乗って走っていたのは事実のようですね。



   (^^♪

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