村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

安政4年

2019-03-25 14:08:11 | 日記
10月21日 萩ノ尾無宿の勝五郎、神明ガ谷無宿の留蔵、坂下の定右衛門宅にて火方(火付け盗賊改)の手先に召し取られる。いたんですね。
火盗改めはちゃんと存在しています。
安政6年黒船の件で、幕府に意見した徳川斉昭を水戸に永蟄居させる言い渡し。

(桜田門の変安政7年3月)
 (水戸浪士などが桜田門の外で老中井伊直弼襲撃。
この中にて一人駕籠訴と申し松平大隅守様門前にて井伊公へ差し出しながら切り懸け候由、三度目に井伊公切り伏せられ、余党、駕籠脇より切入り、井伊公瀬来即死4人、手負い26人、散々の戦い目も当てられざる有様なり。幕府封廻状
かなり詳しくわかっていた事が書かれています。)

安政7年3月3日(万延元年)指田日記には
大老井伊公御登城の時、桜田門外にて狼藉者16、17人不意に起こり、刃傷に及び双方即死あり。
また、手負い20人余の風聞。と書かれています。

安政7年3月18日万延元年に改元。

この辺からややこしくなり、改元があり元号もややこしくなります。

天皇に許可を得ないで勝手に条約を結んだ、それが気に食わんとして井伊大老を暗殺。
ということですか?









コメント
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