一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

母たちは強く!美しい!

2006年03月14日 | 思い・子どもたち
今日は一年間お世話になった、保護者会三役(会長以下9名)のお母さんたちをお招きし、慰労と感謝の意を込めて、お寺の客殿でささやかな宴席を開いた。

この一年間彼女たちは、家事、子育てで多忙な中を、時には周囲のお母さんたちの批判、根拠のない中傷をはじめ、心理的な重圧に耐えながらも、本当に一生懸命幼稚園のために尽力してくださった。

この一年間、胸中では、深く頭を下げていた。
もっと、日頃から感謝の言葉を掛けていればと、今になって悔やまれる。

三役さんたちは週のうち半分以上、幼稚園でさまざまな話し合いをしていた。
三役のお母さん方抜きの、保育は考えられないほど、幼稚園と三役の連携は親密なのだ。

彼女たちの平均年齢は35歳くらい。

だいたい私より2~3歳年上。なかには年下のお母さんもいる。

たいして私と年の差はない。

にもかかわらず、私が幼稚なせいか、彼女たちはとても強く輝いて見える。

そして、内面から滲み出る美しさを感じる。

確かに表面的な容姿の美しさは、20代の女性にはかなわないだろう。

だが、総合的な美しさは、若い女性をはるかに凌いでいる。

それは、母性の持つ強さ、美しさから顕れるものなのかもしれない。

反面、時に母性は、わが子を大事に思うばかりの醜いエゴに転化することもある。

だが彼女たち三役にいたっては、わが子を含んで超えた、すべての子どもたち、さらには幼稚園のベターなあり方を目指すことによって、その美しさばかりが引き出されているように感じられてならない。

以上は、彼女たちの姿から、学んだことだ。

女性は35歳前後を境に、芯から輝き出す。

女性は年齢ではない。

これは、園長をしてはじめて知りえた、私の独断的感慨である。


PS
友より、追記以降の文章は、怪しくて変な誤解を受けるとの指摘があり、
削除しました・・・ご了承ください。
ご忠告ありがと。Bちゃん。



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ありがとうございました

ミツマタ(三椏)

2006年03月13日 | 写真館・花(境内)
境内に咲いたミツマタの花です。

小枝が文字通り三つに別れます。

派手さはありませんが、早春に可愛らしい花が咲きます。

樹皮は、コウゾと並んで和紙の原料として利用されます。


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ありがとうございました


仕事が溜まっています・・・

2006年03月12日 | 思い・日常
卒園式は16日。

幼稚園、お寺ともに、仕事が山ほど溜まっている。

何から手をつけていいものやら・・・。

優先順位を付けて、着実に処理していこう。

実行あるのみ。

同時に平静さを保つこと。

ブログをやる時間はできるだけ確保したい。

ぼんやりしたり、無為に過ごす時間が多くはないか。

点検。思い当たること多々あり・・・。

だが自己非難してる暇は無し。

道は改善するのみ。

お寺も自営業と同じで、サボったツケは確実に自分の首を絞める。

誰も代わりにやってはくれない。

よし!頑張ろう!

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ありがとうございました


情熱の果実、パッションフルーツ

2006年03月11日 | 休憩
珍しいもの大好きな私。

ネット通販で注文した「パッションフルーツ」が沖縄から届いた。

訳せば、情熱の果実!

実に熱い(わたし好みの・・・)ネーミングだ!

半分に切ると、種に包まれたジュクジュクしたオレンジ色の果肉が現れる。
(ちょっとオタマジャクシの卵みたいかも。。。)

間髪入れずに、甘酸っぱいトロピカルな香りが、はじけまくる。

まさに部屋中が南国ムード(気のせいか・・・)!

ささやかな幸せを感じる。

スプーンですくって果肉をいただく。

ワォ~甘酸っぱ~い!!!

いや甘さより、先に強烈な酸味が来るかも。

頭の先がジンジン来るような酸っぱさ。

まさにパッション!情熱がほとばしるフルーツ!

種はジャリジャリした食感だが、慣れると癖になるかも・・・

数日間、常温で追熟させると酸味が薄くなり、甘味が増すそうだ。

カロチン、食物繊維が豊富らしい。

精神安定作用もあるらしい。

気分が鬱々として情熱が不足気味な方はぜひお試しください!

ちょっと元気になった気分。

一個200円也、ちょい高めですけど・・・

牛乳に入れるとヨーグルト風になります。

フルーチェみたい。

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ありがとうございました


キャラ

2006年03月10日 | 写真館・うちのわんこ
姉の飼っているワンコ(トイプードル・ブラック)、「キャラ」です。

高級香木の伽羅(きゃら)から名付けました。

小さい頃は我が家で飼っていたのですが、姉が結婚したので姉夫婦に引き取られました。

たまに我が家にも遊びに来ます。

メリとは犬猿の仲。

いつも火花を散らしています。

言うこと聞かない。超マイペース。食べること「命」。

飼い主(姉)に性格がそっくりです・・・

私の座椅子に寝そべっています。

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ありがとうございました!


誕生日

2006年03月09日 | 思い・日常
今日は私の33歳の誕生日。

こう書くと少し気恥ずかしい・・・。

今年も一年間があっという間に過ぎてしまった感がある。

歳を重ねるごとに、一年が早く感じられるのは不思議だ。

自身を省みれば、精神レベルと年齢が比例していないことに多少の焦りを覚える。

だが、心はつねに若々しくありたい。

若さの持つ颯爽とした溌剌さと、人格的成熟とは相容れないものではないはずだ。

ともかくも無限のご縁によって、33年間生かされたことに感謝しよう。

「私」という現象として、他によって生かされていることの意味、

そして「私」という現象が他を生かしていることの意味、

これを日々の行いによって明らめていくこと。

意味を求めず、意味を顕す。

「光陰虚しくわたることなかれ」


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ありがとうございました





インディ

2006年03月08日 | 写真館・うちのわんこ
我が家で飼っている、ジャーマンシェパードのインディ(♂3歳)です。

シェパードといえばクレバーな警察犬というイメージでしょうが、わが愛犬はそれとは程遠いものがあります。

とにかくヤンチャで暴れん坊

そして甘えん坊。

なかなか言うことを聞いてくれないのですが、潜在力は高いものを持っており、オテ、フセ、マテ、ヨシは完璧です

なぜか洗車ブラシが大好き

フリスビーも好き

また、私のバイクのエンジン音に異常なほど興奮します

たまに一緒に境内を併走します。(あ、参拝者のいない時間帯です・・・)

これが早い早い、40キロは出てます。

「こいつの前世は、暴走族かもな~」、と親父と話します

写真は私に甘えているところです

普段は耳がピンと立っていますが、甘えるときは耳がペッタンコになります。

インディをなでたり、抱きしめたりすると、日常のイライラ感がすっと軽くなります。

よその人には懐かなくてあまり人気がないのですが、家族にとってはかわいい子どもです

番犬としても大活躍

体がでかいしかなり迫力があります

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ありがとうございました





「明日から」

2006年03月07日 | つながりコスモロジー
ここのところ当幼稚園では、全園児が毎朝の朝礼で、練習を兼ねて卒園式の歌を歌っている。

国歌「君が代」、卒園の歌、そして今年の卒園の課題曲、「明日から」という児童歌。

実はこの「明日から」という曲がマズイのだ。

マズイと言うのは、心しないと思わずグッと込み上げてしまうということ・・・。

笑いがではない。
涙がである。
念のため・・・。

歌詞の一番は、

 明日からは
 新しい靴で
 新しい仲間と
 胸を張って歩いてゆこう
 
 こまったときは
 この空を見上げて
 この仲間たちのことを
 思い出そう

 あとでさよならだけど
 またきっとどこかで会おうね
 あとでさよならだから
 一番の笑顔でさようなら

文字にすると少し味気ないか・・・。

だが、この歌詞を子どもたちのレモンイエローの声が奏でると、感傷的なメロディーと相まって、私の内に感情の波が押し寄せてくる。

さっき言った意味で実にマズイのだ。

卒園式予行練習を手伝ってくれた保護者会三役さんの面々も、思わず涙していた。

さて、私はこの歌詞のフレーズにハッとある閃きを覚えた。
 
>こまったときは
 この空を見上げて
 この仲間たちのことを
 思い出そう

という箇所。

困った時は、この空を見上げて、友たちが見ている空とつながっていることを確かめる。

まず最初に、おっ!これはある意味かなり有効な「ワーク」だと思ったのだ。

また、さらにイメージは飛躍する。

この空は、釈迦が見た空であり、イエスが見た空であり、

龍樹菩薩、プラトン、聖アウグスティヌス、空也上人、道元禅師、エックハルト、

良寛和尚、聖フランチェスコ、宮沢賢治が見た空でもあるわけだ。

彼らの見た空が、今、私が見ているこの空につながっている、というイメージがドンドン膨らむ。

いや、もっと言えば!

彼らが現に見ている空が、私の見ているこの空と言えないか。



空は、虚空につながり、「融通無碍(ゆうづうむげ)」のイメージを喚起させる。

つまり、「空(そら)」という概念には、果てしない時空を超えて、いまここに無限の「いのち」がつながっているという、イメージ喚起的な素地があるのではなかろうか。

大地よりも、海よりも。

幼い頃、死んだら人間はどこに行くのかと母に尋ねたら、あのお空の雲になるのよ、という答えが返ってきた。

こうした思いに駆られるは、そんな私の心の原風景が影響しているのかもしれない。


わが子どもたちよ!困った時は、空を見上げよう!

わたしたちはつながっているのだどこまでも。

困難に挫けずに、胸を張って歩いていって欲しい。


ちょっとイデア界を遊泳してみた本記事であった。


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ありがとうございました



サングラハ教育・心理研究所、祝 藤沢ミーティングルーム設置にあたり

2006年03月06日 | つながりコスモロジー
昨日は、サングラハ教育・心理研究所(3月1日付けで、サングラハ心理学研究所から改称)の事務所兼ミーティングルームが、藤沢に移転、設置されたことに伴い、会報「サングラハ」85号の発送作業等、少しばかりのお手伝いをしに行ってきました。※岡野守也氏のブログ、伝えたい!いのちの意味
※ちなみにサングラハとは、サンスクリットで統合的に把握するという意味。


さて、たびたびこのブログでも紹介している通り、岡野守也氏が主幹を勤める当会は、コスモロジー教育、大乗仏教、禅、唯識、論理療法、トランスパーソナル心理学、アドラー、フランクル、ユング、マズロー等の心理学、マルクス・アウレーリウス…etc、これらの叡智を統合把握したメッセージを、講義やワークショップ、会報を通して、発信していくことを目的としています。

それは、とりもなおさず、マクロ的視点に立脚した際、当研究所のこうしたさまざまな活動が、危機的状況にある地球環境問題、現代人の精神的荒廃の問題に対処し、ベターなベクトルに推進していくことができると考えているからです。

そして、そのためには同時に、個々人の意識が向上し、エゴイズムから、他者救済の利他行へと修正変更されていくことが必要となります。

そこで、学びや坐禅等の実践を軸とした、さまざまな活動が展開されていくわけです。

自己の心の問題はもとより、この現代の危機的状況に、「なるようになるさ」、「誰かがやるさ」といった、無責任で、なんの危惧の念すら抱かない人にとってはサングラハは無用かもしれません。

また、これから次代を担っていく子どもたちが、後世に希望を持てなくてもかまわない、「自分の代だけなんとか(地球・世界が)もってくれればばいい」と考えている向きには、こうした活動は他人事にしか映らないでしょう。

または、俺は俺でやっているからいいんだという方もいるかもしれません。
それはもしかすると立派な活動かもしれません。
ですがほとんどの場合、そこで「俺」の活動が、すなわち社会に対してどれほどの実効力を持ちうるのか問われることはありません。

事態はまさに急迫しているのです。

また、当会の活動内容について、懐疑的な方もいるでしょう。
つまり「なんとなく胡散臭いな」といった・・・。

しかし、コスモロジー教育をはじめとした、岡野守也氏の大学(法政大学、武蔵野大学等)での授業は、多くの若者の共感を得ています。
講義の出席者は倍々ゲームで増えていくというから驚きです。

実際に授業を受けて人生観、世界観が確実に豊かになっていることは、学生のアンケートでも実証されています。

アンケートの内容からは、学生たちが授業を受けて、エゴから世界にかかわる視点(分別知)から、全体として「コスモス(全宇宙)」を捉える視点の大切さを認識しはじめているのが伺えます。
つまり、自己の快楽の充足のみを追求する考えから、全体のベターな方向性を考えるあり方に移行しつつある。
それが、たとえ一過性の分別知による理解だとしても、これは大きな思考の転換といえるのではないでしょうか。
さらには、都内私立高校4校に、「コスモロジー教育」が導入され明らかな効果をあげているとのこと。

ぜひ多くの方が、当会へアプローチしてくださることを願ってやみません。

お気軽にどうぞ。方向性は真摯そのものですが、雰囲気は最高に明るいです。
こんなに明るくていいかしら・・・っていうぐらい。

昨日のお手伝いでは、多くの岡野先生の法政大学の元教え子たちが休日を返上して集まりました。それぞれに仕事や家庭を持っています。また早稲田出身、私と同世代の公務員さんもいらっしゃいました。※と言うと切れ者ぞろいの印象を与えるかもしれませんが、いわゆる知的エリート集団ではありません。(私含め)ごく普通の若者です。

お手伝いのあとには、近所のデパ地下で買い出した、おつまみとお酒を飲んでささやかながら楽しい祝杯をあげました(自腹です念のため)。

それにしても、かつかつの収入にもかかわらず(失礼を言ってすみません)、理想に燃える岡野先生はやっぱり、かなりかっこいいです!お茶目なところも多々あるけど(笑)
もちろん、理想にひた走ることができるのも、偉大な内助の功あってのことですね!

P.S

岡野先生のブログが、目下、日本ブログ村哲学ブログランキング一位です。

ちなみに私は同ランキング二位。

ぜひ両方応援してくださいね!


<追記>

上記、つらつら偉そうなことを申し上げましたが、自省すれば、日常に埋没してしまっている私です。
自己中心的思考からなかなか離れることができない。

正直に言えば、日本の将来、世界の未来に対する危機感も切羽詰って実感しているわけではありません。
このまま、なんとなくいけるんじゃないかと、内心どこかでたかをくくっているところもあったりします。
ですが、心の目を開けば、私たちの身の回りでも物心両面に渡って、大きな異変が起きているということは明らかです。
そのことは、さまざまなデータからも実証されています。
にもかかわらず、私たちは表面的な物質的豊かさに感覚を鈍麻されて、世界規模のシリアスな異変になかなか気づけない。
あるいは、どっかでヤバイなと思いながらも、気づいていない振りをしてるのではないでしょうか。

私たちにできること。
それはまず自分にできる第一歩を踏み出すこと。
この積み重ねが、必ず力になると信じています。

そしてこうした力を結集させていく。

微力の一致が強力になります。

智慧と力を合わせていきましょう!

多くの方のご賛同を心よりお待ちしています。

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ありがとうございました