一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

少年時代の熱い夏を再び!奇書『鉄塔 武蔵野線』

2006年03月17日 | 
鉄塔 武蔵野線

新潮社

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久しぶりに晩酌し、ほろ酔い気分。

硬い文章を書く気になれず(最近さっぱりご無沙汰だけど・・・)、

今日のブログの題材は何にしようかと思いあぐね、

本棚の前に座り込む。

『鉄塔 武蔵野線』という題名に目が行く。

7年前に読んだ本。

ズバリ奇書である。

誰もがパラパラめくっただけで、なんじゃこりゃって思うだろう。

だが、騙されたつもりで、読み進めるうちに、いつのまにか物語の鉄塔ワールドにドップリと入り込んでしまう。

あらすじは、鉄塔マニア?の小学5年生の主人公と、二歳年下の弟の二人が、鉄塔(武蔵野線)を遡る旅をするという、奇妙なひと夏の物語である。

無機質な(高圧線の)鉄塔を擬人化して憑かれたような愛情を寄せる主人公。

そして兄の思いに巻き込まれる弟。

彼らは必死になって、おおもとの鉄塔を目指し、電線に沿って遡っていく。

あたかも、大河の水源を遡るかのように・・・

鉄塔は全部で76基、その一つひとつの地中にメダルを埋め込む儀式を行いながら。

小説中にはそのつど実際の鉄塔武蔵野線の写真が掲載されている。

この点から言っても、本書はそうとう変わっている・・・。

そう、かなり変なのである!?

主人公の、鉄塔のタイプ別分類(大別すると男性・女性)と、彼独特の美学による鉄塔への偏愛(鉄塔の形に彼の好みがあるのだ…)に、はじめはちょっとついていけないものを感じる。

だが、読み進めていくうちに不思議とそれほど違和感を感じなくなってくる。

そして、いつの間にか、ドキドキ、ワクワクと胸高鳴らせた自分の少年時代の夏とダブらせていることに気づく。

この物語は、少年時代の男の子なら誰もが抱いた、まばゆい輝きに満ち溢れた未知なる世界への憧憬と、熱い情動に突き動かされた冒険への欲求を懐古させるのだ。

あの頃、世界は自分たちだけの意味を持っていた。

まさに世界は僕らのものだったのだ。

この小説は、審査員の物議を醸し出し、賛否両論が渦巻いたが、晴れて第6回ファンタジーノベル大賞を受賞した。

『評者の井上ひさし氏は、「“壮大な徒労”とでも名付ける外はない作品」といったんは否定したが、選考会席上で、「“これまで見ていながらじつは見ていなかった風景を、見えるようにしてしまった”という点で、まさに人間の心理的盲点めがけて投じられた一個の文学的爆裂弾」かもしれぬことに気づき、「人間心理にこれほどの痛棒を食らわせた作品を見逃してしまってはいけないと思い直した」のだった。
一方荒俣宏氏は、「今回、この作品以上にファンタジーを感じさせたものは、他になかった」と言い切った。彼はこれを「一作にして<鉄塔文学>というジャンルを創ってしまった」空前絶後の作品とし、「かつての路上観察学風に、ひたすら鉄塔の写真をとり、それに命名していく。その純粋な行為を小説に仕立てたこと自体に“やられたッ!”という言葉が口をついて出てしまったと正直に述懐している。』(文末、解説参照)

解説が冗長になってしまった。

いみじくも荒俣氏が言い得たように、まさに、史上初、最初で最後の『鉄塔文学』と言っていいと思う。

これほどおかしな本は、そんなにない・・・。

少年時代の“熱”を忘れ、冷たく乾いた大人の現実に倦んでしまった人(私ではありません…)、また、ありきたりの異世界ファンタジーに飽きてしまった人、あと、男の子の気持ちを理解したい女性。

ご一読されることを勧める。

この本を、「くだらない!」、「何これ???」と投げ出さずに完読できれば、あなたは少年の心を忘れていない、「素敵な男性」と言えるだろう。

ちなみに私は・・・「素敵な男性」でした・・・

なんて~自画自賛

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ありがとうございました!