一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

「明日から」

2006年03月07日 | つながりコスモロジー
ここのところ当幼稚園では、全園児が毎朝の朝礼で、練習を兼ねて卒園式の歌を歌っている。

国歌「君が代」、卒園の歌、そして今年の卒園の課題曲、「明日から」という児童歌。

実はこの「明日から」という曲がマズイのだ。

マズイと言うのは、心しないと思わずグッと込み上げてしまうということ・・・。

笑いがではない。
涙がである。
念のため・・・。

歌詞の一番は、

 明日からは
 新しい靴で
 新しい仲間と
 胸を張って歩いてゆこう
 
 こまったときは
 この空を見上げて
 この仲間たちのことを
 思い出そう

 あとでさよならだけど
 またきっとどこかで会おうね
 あとでさよならだから
 一番の笑顔でさようなら

文字にすると少し味気ないか・・・。

だが、この歌詞を子どもたちのレモンイエローの声が奏でると、感傷的なメロディーと相まって、私の内に感情の波が押し寄せてくる。

さっき言った意味で実にマズイのだ。

卒園式予行練習を手伝ってくれた保護者会三役さんの面々も、思わず涙していた。

さて、私はこの歌詞のフレーズにハッとある閃きを覚えた。
 
>こまったときは
 この空を見上げて
 この仲間たちのことを
 思い出そう

という箇所。

困った時は、この空を見上げて、友たちが見ている空とつながっていることを確かめる。

まず最初に、おっ!これはある意味かなり有効な「ワーク」だと思ったのだ。

また、さらにイメージは飛躍する。

この空は、釈迦が見た空であり、イエスが見た空であり、

龍樹菩薩、プラトン、聖アウグスティヌス、空也上人、道元禅師、エックハルト、

良寛和尚、聖フランチェスコ、宮沢賢治が見た空でもあるわけだ。

彼らの見た空が、今、私が見ているこの空につながっている、というイメージがドンドン膨らむ。

いや、もっと言えば!

彼らが現に見ている空が、私の見ているこの空と言えないか。



空は、虚空につながり、「融通無碍(ゆうづうむげ)」のイメージを喚起させる。

つまり、「空(そら)」という概念には、果てしない時空を超えて、いまここに無限の「いのち」がつながっているという、イメージ喚起的な素地があるのではなかろうか。

大地よりも、海よりも。

幼い頃、死んだら人間はどこに行くのかと母に尋ねたら、あのお空の雲になるのよ、という答えが返ってきた。

こうした思いに駆られるは、そんな私の心の原風景が影響しているのかもしれない。


わが子どもたちよ!困った時は、空を見上げよう!

わたしたちはつながっているのだどこまでも。

困難に挫けずに、胸を張って歩いていって欲しい。


ちょっとイデア界を遊泳してみた本記事であった。


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ありがとうございました



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
子供の歌声 (*のんの*)
2006-03-07 23:31:46
卒業の季節ですね。私もまずい歌があります。

それは【思い出のアルバム】



とにかく、寂しいですが巣立ちの時ですもんね。

喜ばしい事です
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素敵な歌詞ですね (風月)
2006-03-08 18:44:23
園児さんのお声を聞きたいものです。しかしお育てになった方々にして、聞かせて頂けるご褒美のようなものでしょう。園長先生、卒園式おめでとうございます。

返信する
コメントありがとうございます! (りょう)
2006-03-08 23:12:38
>*のんの*さん、

こんばんは。ようこそです。

「思い出のアルバム」、ん~聞いたことあるような・・・。

本当に子どもたち可愛いんですよ。

別れは、新しいスタートですね。

旅立ち。やっぱり寂しいけど・・・。

子どもたちにとっては、成長の節目ですね。

あ、スタレビ今度聴いてみます(笑)





>風月さん

ありがとうございます。

共感してくださって嬉しいです。

本当にご褒美です。

涙を流すことって、ある意味でカタルシスですね。

心が浄化される。

本番で園長が泣いたら、かっこが付かないので、隠れて泣こうと思います

謝恩会は多分無理です。いつもダメです。

お母さんたち、泣かせる演出するので・・・

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