数年ぶりに、山門伝導板への仏教語の掲示(解説文付き)を再開しました。
これまで行事案内などで誤魔化していましたが、震災で人々が精神的な支えを求めている時に、
自分がすべきことは仏の教えを伝えることしかないと思ったからです。
また、以前からときどき参詣者の方に、
「仏教語の掲示はやめてしまったんですか。楽しみにしていたのに…」と言われていたのでありました。
これまでサボっていた・・・確かに。
また正直、書いていることと自分の生き様との乖離に自己嫌悪もしておりました。
しかし、ヘタレ坊さんでも仏教を伝えることはできる。
いや、ヘタレだからこそ、伝えられることがあるのかもしれない。
再開最初の言葉は、自戒の意味を込めて「照顧脚下(しょうこきゃっか)」という禅語を選びました。
以下、解説文です。
「照顧脚下」または「脚下照顧」とも言う。
この言葉の立て札が、禅寺の玄関などによく置かれています。
狭い意味で訳せば、足元を見なさい(足元を見て履物をそろえなさい)という意味ですが、さらに深い意味を読み取ってみたいと思います。
それは、
「地に足をつけなさい」。
つまり、自分自身の生き方にしっかりと根付きなさいということ。
真実は私とは別のところにあるのではなく、私の生きかたそのものに顕れる。
これが「照顧脚下」の言わんとしていることではないかと思います。
この頃は、不安な空気が日本全体を覆っていますが、こんなときこそ地に足つけて、自分のなすべきことをなしていきたものです。
一人ひとりの「照顧脚下」が日本再生の力になります。
住職合掌
照顧脚下。
いつもここから。
ここからここへ。
いまここがすべて。
これまで行事案内などで誤魔化していましたが、震災で人々が精神的な支えを求めている時に、
自分がすべきことは仏の教えを伝えることしかないと思ったからです。
また、以前からときどき参詣者の方に、
「仏教語の掲示はやめてしまったんですか。楽しみにしていたのに…」と言われていたのでありました。
これまでサボっていた・・・確かに。
また正直、書いていることと自分の生き様との乖離に自己嫌悪もしておりました。
しかし、ヘタレ坊さんでも仏教を伝えることはできる。
いや、ヘタレだからこそ、伝えられることがあるのかもしれない。
再開最初の言葉は、自戒の意味を込めて「照顧脚下(しょうこきゃっか)」という禅語を選びました。
以下、解説文です。
「照顧脚下」または「脚下照顧」とも言う。
この言葉の立て札が、禅寺の玄関などによく置かれています。
狭い意味で訳せば、足元を見なさい(足元を見て履物をそろえなさい)という意味ですが、さらに深い意味を読み取ってみたいと思います。
それは、
「地に足をつけなさい」。
つまり、自分自身の生き方にしっかりと根付きなさいということ。
真実は私とは別のところにあるのではなく、私の生きかたそのものに顕れる。
これが「照顧脚下」の言わんとしていることではないかと思います。
この頃は、不安な空気が日本全体を覆っていますが、こんなときこそ地に足つけて、自分のなすべきことをなしていきたものです。
一人ひとりの「照顧脚下」が日本再生の力になります。
住職合掌
照顧脚下。
いつもここから。
ここからここへ。
いまここがすべて。
御無沙汰しております。
いつもお見守りいただき、ありがとうございます。
今日、関東教化センター主催の布教師養成講座を受けて来ました。
実は、T寺S老師が、ご自坊が大変なときにも関わらず、二日目の講師をなさいました。しかも大変いいお話をいただき、S老師の平常心には頭が下がるばかりです。
東堂老師の件では、あまりの恐れ多さに心底震える思いがいたしますが、お役だと思って精一杯勤めたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
仏教語解説、サボりつつ継続していこうと思います^^
あまりストイックになると続かないよね。
根性がないからか 汗
又、末寺東堂老師の件、大変お世話になりますが、何卒宜しくお願い申し上げます。合掌
心に残った言葉を紹介してきました。
案外訪問者が多いので、
この日に読んでくださる方がいるのだと
何とか続いています^^;
仏語の解説があると助かります。
飛んじゃっても(笑)
気にせずいきましょー(仲間にするな?)
よく言えば、理想が高すぎるのかもしれませんね^^
けれど、それも自分の特性として受け止めようと思っています。
できない、ダメな自分も丸ごと認めてあげるというか。
して下さるかたもいたのですが、なんか、ある日ふと
書いてることと自分の間が離れているのに気付いて
辞めたことがあります。
ありますよね。そういうの。りょうさんでもあるのなら
なおさらです。楽しみにしてますね♪