飛鳥への旅

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中将姫伝説を訪ねて7:得生寺(和歌山県有田市)

2009年04月18日 | 中将姫伝説を訪ねて
ここ雲雀山得生寺は、中将姫が継母の暗殺から逃げ延びた場所であり、逃げ延びた旧跡はここと日張山青蓮寺の2箇所に伝承している。



紀伊宮原駅よりバス下車。得生寺は右大臣藤原豊成の娘の中将姫が継母の暗殺から逃げ延びた旧蹟である。得生寺の由来を語る伝承では、家臣の名は伊藤春時になっている。春時夫婦は13歳の中将姫を当地まで連れ出し雲雀山で殺害しようとしたが、姫の徳に打たれて殺すことができなかった。そこで、春時夫婦は剃髪してそれぞれ名を得生と妙生尼に改め、姫を守ることにし、当地に庵を結び安養院と号した。それがこの寺の始まりとされている。その後、承平(931~7)の頃山号を雲雀山得生寺と改め、享徳(1452~4)の頃に浄土宗の寺になったという。中将姫が3年間隠れ棲んだとされる雲雀山は、峰が2つに分かれている。得生寺から見て、左の峰には中将姫本廟の祠が建ち、近くに春時の墓がある。
(ちなみに、菟田野(うたの)青蓮寺に残る伝承では、姫の殺害を命じられながら、姫の心優しさを知っていた家臣の松井嘉藤太が、姫を菟田野の日張(ひばり)山へ連れて行き、そこに隠れ住まわせたとなっており、異なる伝承となっている)

今の得生寺本堂は、寛永5年4月の建立である。中将姫をおまつりしている開山堂は正平6年(今から660年前)の建立である。有田川の清流に近く、熊野古道に沿うて建立され、境内には万葉の歌碑一里塚(県指定)等あり、能の雲雀山。歌舞伎の中将姫古跡の松。浄瑠璃のひばり山姫捨松。などで有名である。
浄土曼茶羅(重要美術品)。二十五菩薩(面及び金欄装飾付)。中将姫一代画伝。縁起書三巻。中将姫山居の語。糸繍仏。等をはじめ多くの宝物がある。


開山堂には中将姫及び春時夫妻の座像が安置されている。これは永禄元年(1558)に大和の当麻寺から贈られたものである。


「中将姫会式」は中将姫の大往生の様子を再現した行事で二十五菩薩練供養とも言い、中將姫の命日にちなんで毎年5月13日、14日に行われる。練供養では、姫のように美しく聡明な徳を得させてもらおうと、地蔵菩薩を先頭に二十五菩薩の面をつけた子供たちが開山堂から本堂までかけた朱塗りの橋を渡る。当日は「嫁をとるなら糸我の会式、婿がほしけりゃ千田の祭り」といわれるほど遠近の人々で賑わう。
ちなみに、この会式は県の無形文化財に指定されている。

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