飛鳥への旅

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中将姫説話コレクション4:「中将姫一代記」上巻(読本)

2009年10月19日 | 中将姫伝説を訪ねて
「中将姫一代記」(ちゅうじょうひめいちだいき)。寛政13(1801)年刊行の絵入の読本。
5巻5冊からなるが、私蔵のものは巻1・巻2を上巻、巻3から巻5を下巻として和綴じされている。





巻頭に権河道人による序文がある。享保15年(1730)に致敬が編集出版した「中将姫行状記」を改題したものといわれている。 。
「中将姫行状記」はその後寛政元年(1789)・嘉永元年(1848)にも出版され流布しており、中将姫の伝記としては集大成されたものと評価されている。
これを絵入本として刊行したのが「中将姫一代記」であり、一巻に2~3丁の挿し絵入が挿入され、序文でも仮名文によって童にもわかるような説話とした、と説明があり、多くの読者層特に少年少女に読まれたようだ。


 本書は、中世で一般的であった継子の受難と救済を主題とする仏教説話の系譜を引いている。当麻寺の『当麻曼荼羅』の発願者とされる禅尼、元中将姫の、747(天平19)年の生誕から775(宝亀6)年の死まで年代をおっての一代記。随所に仏教説話が挿入されている。大筋を記しておくと、豊成卿とその北の方紫の前が長谷寺に祈願して授かった子中将姫は、実母の死後、実子に家を継がせようとする継母照夜御前に疎まれる。何度か命を狙われた後、奉行の武士松井嘉当太とその妻は自分の娘を身代わりにして姫を助けかくまった。やがて狩りに訪れた父と雲雀山中で父と再会を果たし、后にと望まれるがこの世の栄耀栄華に無常を感じた姫は、出奔して17才で仏門に入り、当麻寺で法如比丘尼として曼荼羅を発願し、その人生を捧げるというものである。
 なお、中将姫の説話は歌舞伎・浄瑠璃などでも主題化され、人気のあったモチーフの一つであり、ことに姫と父豊成との再会は劇化される場面の一つである。

 全編中将姫の年令を追って展開されている。(口絵は全て掲示、詞書は一部のみ掲示)

(豊成卿御夫婦長谷寺に参篭し給ふ図)
1才-長谷観音に祈って天平19年8月18日に中将姫生れる。家臣国岡将監にも女子瀬雲生れる。

(北の方病に臥し給へは姫君臨終の念仏をすゝめ給ふ)
3才-姫が3歳になった時夫婦のどちらかが死ぬといわれていた。出生の時には産室が光り輝き,薫香が薫った。また,その夜帝に夢告があり,僧に現じた千手観音が中将姫誕生の意義を説いた。姫は2歳の初言で女人成仏を予言し,3歳で勢至菩薩から直接仏道を伝授された。
5才-実母紫の前、長谷観音を誹謗したことにより死去する。
7才-父豊成橘諸房(諸兄)の娘照夜の前と再婚する。
8才-桃の節句に姫琴を弾じる。継母に豊寿丸が生れる。

(山下藤内中将姫を殺さんと忍ひ入倅小治良をきる)
9才-称讃浄土経を読む。継母が姫を山下藤内に殺させようとして、誤って藤内が我が子である則重を殺す。

(継母毒酒を以て姫を害せんとして実子を殺す)
10才-継母毒酒で姫を殺そうとし、誤って豊寿丸が毒死する。
11才-一家で長谷寺参詣。悪僧の呪いがある。
13才-姫後宮へ招かれるが辞退する。竜田川の川鳴りを静める。

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