飛鳥への旅

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万葉アルバム(奈良):山の辺、三輪山

2009年09月20日 | 万葉アルバム(奈良)

三輪山をしかも隠すか雲だにも
情(こころ)あらなも隠さふべしや
   =巻1-18 額田王=


なつかしい大和の国の三輪山を、なぜそのように隠すのか、せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。隠したりなんかしないでほしい、という意味。

 この歌は天智6年(667)に都を明日香の地から近江に移す時に詠んだ歌である。

 三輪山は大神神社のご神体として往古から崇敬されてきた山だ。463㍍のさほど高い山ではないが、記紀にも登場する歴史を語る山である。大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の話が日本書紀崇神天皇の条にある。大物主神の本体は蛇であったという話だが、現在も大神神社では供物に蛇の好物の卵が使われる。正体を知った倭迹迹日百襲姫命は驚いて亡くなってしまった。それが桜井市箸中にある箸墓といわれる。

 私が以前立ち寄った時、大神神社の摂社の周りの石垣の間にたくさんの白ヘビが住み着いているのを目撃した。参拝者が卵を供えると、白ヘビが顔を出し卵をくわえて穴に戻る。私は何枚か夢中になってカメラのシャッターを切った。
 帰宅してフィルムを現像に出したら、フィルム全部が真っ白くなっており何も映ってなかったのには、大変驚いた。フィルムに映らなかったのはこの時を除いて今まで一度もなかったことである。今でもしょっとするとこれは大物主神の怒りにふれたのかなと思っている。


この万葉歌碑は桜井市穴師の景行陵南に建っている。
山の辺の道を天理から南下して景行陵を過ぎると、視界が急に開けたところに出鵜る。
眼前に三輪山の雄姿を一望することができる絶好のアングル。その足元にこの万葉歌碑が建っているのである。
歌碑の揮毫は小説家・歌人の中河与一による。

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