飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
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万葉アルバム(明日香):万葉記念館

2009年09月22日 | 万葉アルバム(明日香)

山振(やまぶき)の立ちよそひたる山清水(やましみず)
酌(く)みに行かめど道の知らなく
   =巻2-0158 高市皇子=


山吹の花が咲いている山の清水を汲みに行こうと思っても、どう通って行ったらよいか、道が分からないのです。という意味。

 十市皇女(とおちのひめみこ)が亡くなった時、高市皇子がつくった歌。十市皇女は天武天皇と額田王との娘。高市皇子は天武天皇の長子。ほぼ同年代の異母姉弟。山吹の花にも似た姉の十市皇女が急死し、どうしてよいのか分からないという心情を吐露している。一方、あざやかな黄色い花をつける山吹が咲いている場所の清水を汲みに行きたいという表現は、死者の赴く「黄泉国(よみのくに)」へ行きたいという思いを表現するものだ、とする説もある。

 万葉歌人である額田王の血を引いた十市皇女であるが、万葉集に一首も残していない。十市は父・天武の兄である天智天皇の後継者・大友皇子の元へ嫁ぐ。やがて、天武と天智の反目、そして天武と大友との戦争・壬申の乱が起こる。このとき十市は夫の元を離れ、父を頼り吉野軍下に身を寄せる。天武第一皇子として全軍を指揮していた高市と、十市の人生が交錯していくのはこの戦争が契機になったに違いない。しかし、壬申の乱から三年後、彼女は急死するのである。夫と父、さらに高市の間で揺れたプリンセス十市皇女の死因については、明らかになっていない。

 万葉記念館は、平成10年に亡くなった万葉学者犬養孝さんを記念して平成12年に明日香の地に開館した。記念館の中庭にこの万葉歌碑が建っている。

 ヤマブキ

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