インド人の彼が来てから、英語で話す時間が異常に増加した。彼が話好きであると同時に、彼が輪の中心になるかたちで長話するようになった。
この寮で僕は英会話の劣等生である。完全なまでに最下位である。
しかし、それで落ち込んだことはない。そのつもりで来たからである。
むしろ、ずっと気にしていたのは、結局、勉強だけして引きこもっていたことである。研究が自分にとって最も重要なことであっただけに、会話は置き去りにしていたのである。
しかし、これは非常に問題だった。英語のスコアの問題はもちろん(スピーキングはありええないくらい低い)、研究会で議論に負けるようでは、何のために留学したのか。
インドの彼は私の救世主である。
今日は中国人とインド人と政治の話をし続けた。国際政治である。
なぜ中国人が靖国問題で怒っているか説明するために、ひどく時間がかかった。
古代の神道から、江戸、明治と歴史を説明し、その後、靖国神社の説明。
説明した結果、日本は何てひどいことをしたの!とインド人に言われたとき、ああ、これで彼の日本への信頼を破壊したのではないかと恐れたほどであった。
しかし充実していた。日本の植民地統治の思想についても説明できたし、オウム真理教のことも話せたし。
インドと中国の国際政治での張り合いはすごかった。インドと中国は最初から最後まで張り合っていた。
いかに優れた人材を輩出しているかで競争した後、いかに政府が腐敗しているかで競争し(病気自慢)、いかに少数派を弾圧しているかでののしりあい、そして、いかに反政府勢力を支援し合っているかでケンカしていた。
僕は英語の問題以前に、話しに割って入るのが難しいと感じた。英語での会話は常に競争である。自分の魅力を精一杯伝える。私の最も苦手な分野だ。練習が必要であるが、今はその時だと思う。
関係ないけど、農村の人が都市に戸籍を移せないのではないかと中国人に言ったあとの中国人の怒りようと言ったらなかったな。
お互いの曖昧な情報は、やはり最後は母国出身者の説得力に負ける傾向にあった。中国人やインド人とケンカするには、勉強が全然足りない。
三国会談は最後は友好的な関係に乾杯して終わるという、ありがちだが、大人のやり方で終わってよかった。
その後、イギリス人とインド人のハーフと、香港人が来て、議論はあらぬ方向へ。英語はどんどん速くなる。
突如、金さん銀さんの話を香港人にふられ、全くわけが分からないと思いながら、説明した。
このハーフとインド人はとても相性がいいようなのだが、面白い話自慢はとても良かった。ふたりとも表情豊かで声がでかく、ドラマティックに話す。勉強になる。
ロンドン訛りやスコットランド訛りの物まねは、一体どこで覚えたのか、ハーフに負けないほど、インド人はうまかった。
他にいろいろあったのだが、とにかく激しい速さで英語が流れ、僕は正直言えばたまに会話からおいてけぼりになりつつ、笑うところで笑えたので、まあなんとか良かったのかなと思う。
カナダで全く練習しなかったつけというか、千載一遇のチャンスが今ここにある。言語を習得する最後の年齢と言われてここに来た。
それほど上達はしないにしても、悔いは残したくない。
研究で言えば、今日は午前中、締切のレジュメを先生たちに提出。明後日再度面談。この1か月の成果をすべて書ききったと思うのだがどうか。
想いがこもってます。レジュメに。
洗濯を済ませて、午後からの研究会のペーパーを読む。非常に面白い。ゆっくりと消化し、ノートにエッセンスをまとめ、質問を考える。
研究会は発表者の英語が聞き取りにくい。これまではほとんど無理なく聞き取れた研究会だが(研究の英語は単語が入っているので理解できることが多い)、今日は難しかった。
ただペーパーを読んでいたので内容は分かる。
今日は本学の博士の発表。頭がよく、ポストモダンの理論好き。
面白いのだが、しかし実質的な調査、証拠が弱い。またあからさまな西洋中心主義。聞いててちょっと腹が立つ。これではポストモダンの意味がない!
でも勇気が出なくて質問できなかった・・・。これはいかん。
ちなみに、本学ではアホな質問をしてもぜんぜん空気が悪くなったりしない。良いことだ。僕の大学はなんだかんだ権威主義だなと思う。
そんなこんなで英会話の練習になった。
感じたことは、議論に負けないためには、一定の速度とある種のリズムでまくしたてる必要があるということである。
文法をゆっくりたどっていると遮られてしまう。
そのための技術をゆっくり頭に入れたい。今日は最後に少しうまくできた。
そしてもうひとつ、議論に負けないためには、たくさんの知識が必要ということである。
いつも目標にしているのは僕の先生だ。
いつでも彼ならどうするか、どう答えるか考える。
それを迷った時の道しるべにしている。
さてさて、研究を再開するか。
最近睡眠時間を削って英会話しているが、非常に元気である。
会話のおかげでストレスが少なく、気持ちがとても豊かである。
日本ではなかった生活を体験している。
何かもが新しい。
この寮で僕は英会話の劣等生である。完全なまでに最下位である。
しかし、それで落ち込んだことはない。そのつもりで来たからである。
むしろ、ずっと気にしていたのは、結局、勉強だけして引きこもっていたことである。研究が自分にとって最も重要なことであっただけに、会話は置き去りにしていたのである。
しかし、これは非常に問題だった。英語のスコアの問題はもちろん(スピーキングはありええないくらい低い)、研究会で議論に負けるようでは、何のために留学したのか。
インドの彼は私の救世主である。
今日は中国人とインド人と政治の話をし続けた。国際政治である。
なぜ中国人が靖国問題で怒っているか説明するために、ひどく時間がかかった。
古代の神道から、江戸、明治と歴史を説明し、その後、靖国神社の説明。
説明した結果、日本は何てひどいことをしたの!とインド人に言われたとき、ああ、これで彼の日本への信頼を破壊したのではないかと恐れたほどであった。
しかし充実していた。日本の植民地統治の思想についても説明できたし、オウム真理教のことも話せたし。
インドと中国の国際政治での張り合いはすごかった。インドと中国は最初から最後まで張り合っていた。
いかに優れた人材を輩出しているかで競争した後、いかに政府が腐敗しているかで競争し(病気自慢)、いかに少数派を弾圧しているかでののしりあい、そして、いかに反政府勢力を支援し合っているかでケンカしていた。
僕は英語の問題以前に、話しに割って入るのが難しいと感じた。英語での会話は常に競争である。自分の魅力を精一杯伝える。私の最も苦手な分野だ。練習が必要であるが、今はその時だと思う。
関係ないけど、農村の人が都市に戸籍を移せないのではないかと中国人に言ったあとの中国人の怒りようと言ったらなかったな。
お互いの曖昧な情報は、やはり最後は母国出身者の説得力に負ける傾向にあった。中国人やインド人とケンカするには、勉強が全然足りない。
三国会談は最後は友好的な関係に乾杯して終わるという、ありがちだが、大人のやり方で終わってよかった。
その後、イギリス人とインド人のハーフと、香港人が来て、議論はあらぬ方向へ。英語はどんどん速くなる。
突如、金さん銀さんの話を香港人にふられ、全くわけが分からないと思いながら、説明した。
このハーフとインド人はとても相性がいいようなのだが、面白い話自慢はとても良かった。ふたりとも表情豊かで声がでかく、ドラマティックに話す。勉強になる。
ロンドン訛りやスコットランド訛りの物まねは、一体どこで覚えたのか、ハーフに負けないほど、インド人はうまかった。
他にいろいろあったのだが、とにかく激しい速さで英語が流れ、僕は正直言えばたまに会話からおいてけぼりになりつつ、笑うところで笑えたので、まあなんとか良かったのかなと思う。
カナダで全く練習しなかったつけというか、千載一遇のチャンスが今ここにある。言語を習得する最後の年齢と言われてここに来た。
それほど上達はしないにしても、悔いは残したくない。
研究で言えば、今日は午前中、締切のレジュメを先生たちに提出。明後日再度面談。この1か月の成果をすべて書ききったと思うのだがどうか。
想いがこもってます。レジュメに。
洗濯を済ませて、午後からの研究会のペーパーを読む。非常に面白い。ゆっくりと消化し、ノートにエッセンスをまとめ、質問を考える。
研究会は発表者の英語が聞き取りにくい。これまではほとんど無理なく聞き取れた研究会だが(研究の英語は単語が入っているので理解できることが多い)、今日は難しかった。
ただペーパーを読んでいたので内容は分かる。
今日は本学の博士の発表。頭がよく、ポストモダンの理論好き。
面白いのだが、しかし実質的な調査、証拠が弱い。またあからさまな西洋中心主義。聞いててちょっと腹が立つ。これではポストモダンの意味がない!
でも勇気が出なくて質問できなかった・・・。これはいかん。
ちなみに、本学ではアホな質問をしてもぜんぜん空気が悪くなったりしない。良いことだ。僕の大学はなんだかんだ権威主義だなと思う。
そんなこんなで英会話の練習になった。
感じたことは、議論に負けないためには、一定の速度とある種のリズムでまくしたてる必要があるということである。
文法をゆっくりたどっていると遮られてしまう。
そのための技術をゆっくり頭に入れたい。今日は最後に少しうまくできた。
そしてもうひとつ、議論に負けないためには、たくさんの知識が必要ということである。
いつも目標にしているのは僕の先生だ。
いつでも彼ならどうするか、どう答えるか考える。
それを迷った時の道しるべにしている。
さてさて、研究を再開するか。
最近睡眠時間を削って英会話しているが、非常に元気である。
会話のおかげでストレスが少なく、気持ちがとても豊かである。
日本ではなかった生活を体験している。
何かもが新しい。