それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

TBS「有吉弘行のドッ喜利王」:これはドッキリでも大喜利でもない新しい何か

2015-10-24 14:10:54 | テレビとラジオ
 パッと題名を見て、正直面白くなさそうだと思った。ドッキリは嫌いだし、大喜利もやり過ぎて食傷気味だ。それを組み合わせても・・・と思っていた。

 ところが見てみると、面白い。スタッフに藤井健太郎氏(水曜日のダウンタウンやクイズ☆タレント名鑑でおなじみ)の名前が。それは面白いはずだ。



 番組の展開は単純。まず大喜利をやり、その後でその答えを実行に移す。

 例えば、「水をかけられた後にそれがチャラになる出来事とは?」というお題がある。

 それに対して、「横で矢代亜紀が雨の慕情を唄ってくれた」(かねきよ(新宿カウボーイ)の回答)と答えれば、その数カ月後、実際にそれをやってみて、回答した本人がどういうリアクションをとるのかを観察し、点数をつける。

 回答者たちは、大喜利がそれ自体で終わっていると思っているので、まさか実現するとは思っていない。もちろん、実現しないような答えが非常に多い。



 この番組がめっぽう面白いのは、ドッキリでは絶対に思いつかない企画が出てくるところだ。

 例えば、「こんな心霊ロケは怖がりづらい。どんなロケ?」に対して、原西(FUJIWARA)「うっすらとおさかな天国が聞こえてくる」。

 実際やってみると、これが面白い。何が面白いって、おさかな天国が暗闇の神社でうっすらかかっている、という情景が面白いのである。

 逆に実際やってみると、まったくドッキリとして成立しないものもある。

 しかし、大喜利を実際に実現したらどうなるか、というところがとても面白いのだ。

 それは地獄のようにくだらない。

 しかし、大喜利の答えを実際にやってみることはかなり大変で、そのバカバカしい一生懸命さが本当に素晴らしいのだ。



 ドッキリがなぜ廃れたのかははっきりしている。

 ただ過激になっていったからだ。

 そこに笑いの深みはない。

 (ドッキリを二回同じ展開でやってもらい面白さを競うという、まさにメタ構造的かつ芸人の技芸を楽しむとんねるずの企画は素晴らしかったが、そういうものは例外。)

 この番組はくだらいことを徹底的にやっていて、本当に素晴らしかった。



 ただ、最大の弱点は同じ企画が二度とできないことだ。

 大喜利が実現する可能性を演者が知ってしまったら、番組は成立しないのである。

 だから、この番組は一回限りのミラクルだった。

テレビ東京「SICKS ~みんながみんな、何かの病気~」:すごい加速度、鋭角で

2015-10-24 13:45:13 | テレビとラジオ
 おぎやはぎとオードリーのコント番組がテレ東の佐久間プロデューサーのもとで始まるということで、一部のファンからは大きな期待が寄せられていた。

 で、この番組がすごい。

 しかし、その凄さをうまく説明できる自信がない。



 この番組はコント番組である。そのなかでも、社会的な空気/病気を扱う番組だ。

 この番組のウリは、変なキャラクターがおかしな行動をとることではない。そういうコントの特性も無いことはないが、それがウリではない。

 また、最近のニュースを表層的に取り上げて、軽い笑いを詰め込むコント番組でもない。



 この番組は、まず芝居がうまい。

 どれくらいの上手さかと言うと、かつての「サラリーマンNEO」くらいうまい。

 だから、コントの嫌らしさ、狙っている大げさ感が薄い。



 また社会的な空気/病気を扱ううえで、この番組が優れているのは、視聴者に迎合しようとしないところである。

 これはテレ東の深夜の圧倒的な強みだ。

 誰にでも分かりやすい話しを必要以上に解説するかのように脚本を作るのではなく、おかしな世界の住人の日常をストレートに物語するので、そこに妙な説得力が増す。



 この空気/病気の中心になるのがインターネットだ。

 インターネットのレビュー、ニュース、論争/炎上、情報流出。日本社会の病気の中心的な<場>がインターネットだというのは間違いない。

 かく言う私も、テレビ番組のレビューをブログに書くなどとは、まさに一種の病いである。

 ネット上の「社会」に振り回せられる人間の姿。

 それをここまでちゃんと描いたのは、この番組が最初であろう。

 よく日本の映画で登場する犯罪者のキャラクターとして、ネルシャツでメガネの目つきの悪い、パソコンマニアの男という虚像がある。

 そういうキャラクターが登場する映画は、コントよりコント的だ。

 何が言いたいかといえば、インターネットに振り回され、病的な行動をする人々は、われわれそのものだし、まったく普通の一般人である。

 ヘイトスピーチの主体もひとりひとり見ていくと、まるでどこにでもいる普通の人であって、「犯罪者でござい」みたいな人の方が圧倒的に少ない。



 つまり、病的な空気の中に居ればいるほど、その空気をつかむのが難しい。

 その空気を上手いこと鋭くつかんでいるのが、この番組なのである。

 この番組をどのように理解するかは視聴者ひとりひとりの自由だ。

 どのような解釈をするにしても、通して見ていけば、おそらくその面白さが徐々に浸透しいくことだろう。



 遂に最新の回では、それぞれのコントのストーリーが連結し、笑ってしまうような奇妙な伏線の回収が展開された。

 こんなふうに説明しても、おそらく伝わるまい。初回から一気に見てほしいところ。

 テレ東、すごい。佐久間Pおそるべし。

 それにしても、このブログはまさにこの番組が取り上げる病いそのものだな・・・(苦笑)