それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

科学者の異常な性格

2013-06-18 21:32:12 | 日記
このブログのルールは、自分の研究については出来るだけ書かないということと、リンクは張らないということだ。

けれど、僕は最初のルールを少しだけ破ってしまいたいと思っている。

僕は最近、理由があって20世紀初頭の自然科学者について勉強している。

かなり集中的に勉強している。

自然科学と社会科学は、今ではほぼ完全に分離していると言っていい。

それどころか、それぞれの領域の内部ですら、細かく分離している。

自然科学者と社会科学者はひどくお互いを誤解している。と僕は思っている。

けれども、20世紀初頭、両者はお互いの研究を色々なかたちで学び、そして、お互いに刺激し合いながらそれぞれの研究を発表していた。

結果的にそれがお互いの研究を促進してきた側面と、ひどく歪めてきた側面がある。ものごとには両面あるものだ。

ここに書きたいのはそういうことではなく、自然科学者の性格についてなのである。

アメリカの心理学の一派が、20世紀初頭にアメリカの自然科学者の家庭環境から性格にいたるまで、かなり本格的に研究している。

その結果は、僕をひどく困惑させ、同時に笑わせたのである。

それによると、自然科学者は孤独を感じやすく、小さい頃から自分を特別な存在だとみなしがちで、自閉症に近い性格を示す傾向にある、という。

さらに、女性に対する興味が少なく、デートは大学に入るまでしたことがない。さらに、社会的なコミュニケーションよりも、仕事に興味を示し、研究室での労働は週7日に及ぶことがざらにある。というのである。

彼らは当然のことながら、一様にIQが高い。

僕のなかには、ここに書かれた自分が存在する(残念ながらIQだけは当てはまらないのだが)。

もちろん、僕の全てを彼が支配しているわけではない。

けれど、研究を生業としている自分は、その彼なのだと思う。

他方、授業をしている自分はその彼ではない。

それはともかく、僕が言いたいのは、つまり研究をしている人間が示しがちな「異常さ」が研究の世界ではむしろ「正常」であったということである。

けれども、読者の皆さんはこう思っているはずだ。

「研究者だって社交的でリーダーシップが無いと一流にはなれないんじゃない?」

そうだ。そのとおりだ。

しかし、ひどく社交的でリーダーシップがある人間は、自閉症と同じように一種の病気を持っている人なのである。

明らかにそんな行動は人間としては異常なのである。

つまり、両者の症状は実際には同じことなのであって、問題はその絶対値なのである。

例えて言うなら、バッドマンとジョーカーが鏡写しであることと同様なのである。