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それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

家を選ぶことは、運命の女神をつかまえるが如く

2013-08-07 20:41:41 | 日記
もうすぐ引っ越す。

実家を出るのだ。

実家を出るのはイギリスで留学生活を送って以来である。

今度も一人暮らしではないが、シェアフラットでもない。

二人暮らしになる。



大変な労力で新居候補を見つけたのは彼女で、僕はそれを内見しに行っただけだ。

僕はふとイギリスでやった引っ越しのことを思い出す。

確かイギリスで大学寮から民間の寮に移動したのは、2010年の6月あたりだったと思う。

その時のことを改めて書こうと思う。



僕がいたイギリスの大学では、2年目は大学寮を出ていかねばならない。

そういうわけで、民間のフラットを探すことになった。

けれど、一から民間のフラットを探すのが大変なことは分かりきっていた。

仕方がないから僕は至る所で空き室が無いか聞いて回っていた。

僕が住んでいた場所は、どちらかと言えば買い手の方が多い。つまり需要過剰なのだった。

イギリスではどこでもそうだが、一人(あるいは二人でも)の場合、基本的にシェアフラットに住む。

流動性は高いので、どこかに空き室はあるのだが、値段は必ずしも安くない。

立地も重要だ。利便性から治安まで違ってくる。

またシェアフラットである以上、フラットメイト次第で生活環境は激変する。

とにかく考えなければいけないことが沢山ある。



イギリスで部屋を探す能力がどう考えても低い僕を救ったのは、Tさんだった。

Tさんが紹介してくれたギリシャ人の女の子がちょうど大学近くのフラットから出ていくということで、次に入る人を探していた。

彼女の引っ越しは少し早かったため、どうしても誰かが彼女の代わりに入る必要があった。

彼女はひどく焦っていたが、僕もひどく慎重になっていた。

僕は大学よりも自室で研究する時間が長いため、部屋選びはとても重要なのだ。

妥協は許されない。



このギリシャ人の女の子と同時に、タイ人の男の子が一緒に部屋を探さないかと誘ってくれた。

タイ人の男の子は友人のコースメイトだった。

おおらかで、優しく、マイペースだった。

お菓子作りが好きで、音楽が大好きで、とにかく良い奴だった。

一緒に住んだら、かなり楽しいだろうと思えた。

けれど、彼はどこか信用しがたいところがあった。

課題で軽くズルしたり、要領良く振る舞ったりした、という話を聞いたからだ。

彼がもし急にタイに帰ることにしたら、どうすればいいのだろう。

他方、ギリシャ人の子の部屋は全員ヨーロッパ人。

ただでさえ人見知りで、英語もまだろくすっぽ出来ない自分が入って大丈夫なのか?



ふたつに分かれた道。

どちらを選ぶのか?

人間ははっきりした情報がないままで、AかBを選ばなければならない時がある。

僕はギリシャ人の女の子を選ぶことにした。

理由がはっきりしていたわけではない。でも、そうすべきと感じだのである。

どういうわけか僕の勘が珍しく当たり、その後、タイ人の彼はタイに帰ることになった。

博士課程に進むと言っていたが、うまくいかなかったらしい。

もし選択を間違っていたら、かなり面倒なことになったことは疑いを得ない。



ぎりぎりまで結論を出さない僕にギリシャ人の女の子は、かなりイライラしていた。

メールにかなり怒りの感情がほとばしっていた。

しかし留学1年目で強くなった僕はそんなことは無視して(彼女の足元を見て)、自分のタイミングで契約を結んだ。

そこから僕の新しい生活が始まった。

そこで出会ったのがデイビッドというイギリス人で、僕はイギリスで初めてイギリス人と一緒に生活し始めたのである。

彼が僕にイギリスでの生活のイロハを教えてくれた。

街にも連れ出してくれたし、英語も彼のおかげでずいぶんと上手くなったと思う。



そういうわけで僕がここで言いたのは、家を選ぶということは運命の女神をつかまえるが如くである。ということなのだ。

師匠の師匠

2013-07-17 22:40:09 | 日記
師匠の師匠、いわば「祖父」にあたる先生とマンツーマンで本を読んでいる。

これは私にとっては願ってもない機会だった。

隔世遺伝のように、私の研究はいわばこの師匠の師匠のものと非常に近い。

それだけではない。

師匠は私よりもずっとすごい研究者だ。それはいかなる側面から見てもそうだ。

ところが、師匠の師匠はさらにその上を行く研究者であると見られている。

社会科学者ではかなり珍しいレベルのIQの高さ、社会科学の膨大な知識、異常に高い行政能力、そして、高潔だがひどく人を惹きつける人格。

つまり超人的な研究者なのである。

彼の一本の論文は一冊の本に値する。(だが、それを皆が一様に理解できるわけではない。分かった気にはなるが、まだそれは理解の入り口にすぎないのである。)

その代り、寡作だ。あまりにも完璧主義なのである。そこが最大にして唯一の弱点である。

師匠とはいわば擬似的な「父」だ。師匠の師匠は擬似的な「祖父」だ。

父が子より偉大で、さらに祖父が父より偉大な場合、組織の安定感は半端ではない。と私は感じている。

これはどのように言ってよいのか分からない。

私の師匠は組織のリーダー格だ。

そして、さらに偉大な師匠の師匠がいる。その構造に私はとても強い愛情を持っている。としか言いようがない。

この構造のなかで、私は孫弟子として師匠の師匠から教えを受けている。

そのなかで私はとても多くの発見をしている。

師匠の師匠の理解の仕方は、私が想像していた社会科学的手法の外の世界にあった。

私はそれを今体感している。

初回、私は彼の想像を絶する理解とプレゼンテーションの能力に驚き感動し、開始5分で、うっすらと涙を浮かべていた。

彼の報告はこれまでも聞いてきたが、まるで違う何かを私はその時感じた。

その私の知らない何か特別なものを、どうにか体得しようしている。

私はイギリスで再教育を受け、そして今またさらに再教育されているのである。

私は手のかかる子供だ。

だが、私の体は学知への喜びで満たされている。

そう、これが研究なのだ。

地ビール

2013-06-27 20:55:06 | 日記
お酒はそれほど好きじゃない。

一人でいたら、ジュースの方が飲んじゃう。

おいしいお酒より、おいしいジュースを探している。

でも、この前、地ビールを買った。

父の日だったのである。

私の地元に地ビールがあるなんて全く知らなかった。

けれど、この前の元サークルのメンバーの集まりで、信頼できる筋からその話を聞いて興味が出たのである。

地ビールを探すのに苦労した。

直接工場で売っておらず(一応、電話して確かめた)、地元のお酒屋さんも閉まっているものもあって、一体どこで売っているのか分からなかったのだ。

けれど、僕の彼女が巧みに発見し(運転中に地ビールの看板を発見し)、インターネット上になかった酒店から、とうとう地ビールを買うことが出来たのである。



「ビールは一口目が一番美味しい」というが、本当に美味しいビールは何口目でも美味しい。と、ある有名な料理人が言ったそうだ。

僕も全くそう思う。この地ビールはまさにそういうビールだった。

ヨーロッパのビールが僕はとても好きだ。イギリスに留学する前、パリとベルギーに旅行して以来(その時も今の彼女が一緒だったのだが)、ずっとヨーロッパのビールをちょくちょく飲むようになった。

味がしっかりしていて、香りも高く、味わい深い。

こうしたヨーロッパのビールと、わが地元のビールを比較するのはとても面白いだろう(ちなみに、イギリスのビールはそれほど好きではない)。

この地ビールは、まるでヨーロッパのものと違う。

一口含めば、ふくよかな水とホップの甘さが口に広がり、柔らかく香るのである。

これと比べると、ヨーロッパのものはもっとどっしりしていて、硬い。

こちらの地ビールは、飲み進めれば、飲み進めるほど、口と喉がすっきりしていく。

日本のビールのあの独特の舌に残る「えぐみ」が全くないのだ。

だから、何度飲んでもおいしいのである。

父は「自分は味に疎いから」と言って、それほどこの地ビールを好んでいない様子だった。

味には好き嫌いがあるし、自分で選ぶことが重要ってこともある。

とはいえ、僕はこの地ビールにとても不思議で強い魅力を感じているのである。

おかげで、自分のためにもう一度例の酒屋に行って、地ビールを何本か買ってきてしまったのであった。

科学者の異常な性格

2013-06-18 21:32:12 | 日記
このブログのルールは、自分の研究については出来るだけ書かないということと、リンクは張らないということだ。

けれど、僕は最初のルールを少しだけ破ってしまいたいと思っている。

僕は最近、理由があって20世紀初頭の自然科学者について勉強している。

かなり集中的に勉強している。

自然科学と社会科学は、今ではほぼ完全に分離していると言っていい。

それどころか、それぞれの領域の内部ですら、細かく分離している。

自然科学者と社会科学者はひどくお互いを誤解している。と僕は思っている。

けれども、20世紀初頭、両者はお互いの研究を色々なかたちで学び、そして、お互いに刺激し合いながらそれぞれの研究を発表していた。

結果的にそれがお互いの研究を促進してきた側面と、ひどく歪めてきた側面がある。ものごとには両面あるものだ。

ここに書きたいのはそういうことではなく、自然科学者の性格についてなのである。

アメリカの心理学の一派が、20世紀初頭にアメリカの自然科学者の家庭環境から性格にいたるまで、かなり本格的に研究している。

その結果は、僕をひどく困惑させ、同時に笑わせたのである。

それによると、自然科学者は孤独を感じやすく、小さい頃から自分を特別な存在だとみなしがちで、自閉症に近い性格を示す傾向にある、という。

さらに、女性に対する興味が少なく、デートは大学に入るまでしたことがない。さらに、社会的なコミュニケーションよりも、仕事に興味を示し、研究室での労働は週7日に及ぶことがざらにある。というのである。

彼らは当然のことながら、一様にIQが高い。

僕のなかには、ここに書かれた自分が存在する(残念ながらIQだけは当てはまらないのだが)。

もちろん、僕の全てを彼が支配しているわけではない。

けれど、研究を生業としている自分は、その彼なのだと思う。

他方、授業をしている自分はその彼ではない。

それはともかく、僕が言いたいのは、つまり研究をしている人間が示しがちな「異常さ」が研究の世界ではむしろ「正常」であったということである。

けれども、読者の皆さんはこう思っているはずだ。

「研究者だって社交的でリーダーシップが無いと一流にはなれないんじゃない?」

そうだ。そのとおりだ。

しかし、ひどく社交的でリーダーシップがある人間は、自閉症と同じように一種の病気を持っている人なのである。

明らかにそんな行動は人間としては異常なのである。

つまり、両者の症状は実際には同じことなのであって、問題はその絶対値なのである。

例えて言うなら、バッドマンとジョーカーが鏡写しであることと同様なのである。

直太朗の歌

2013-06-10 19:07:15 | 日記
森山直太朗の「生きてることが辛いなら」をなんとなく聴いていた。

特にどういう意図でもない。

今、生きてることが辛いというわけでもない。

ただ、なんとなく聴いていた。

僕がカナダにいたとき、よくこの曲を聴いていた。

今までの研究生活で一番辛いときだったと思う。

イギリスの2年目の冬も辛かった。けれど、カナダの夏のたった3か月が、僕には本当にきつかった。

英語だけを毎日勉強する生活は、生きている意味を見失うような日々だった。

その日々がその次のステップにつながった、というのは後から見れば分かるのだが、あの時はまだどうなるか全く分からなかった。

「生きてることが辛いなら」は、その当時の自分の気持ちにとてもしっくりきていた。

久し振りに、本当に久しぶりにこの曲を聴いたとき、その当時の沢山の匂いや光の感じが思ってもいなかったほど、フラッシュバックした。

ホームステイ先の台所の匂い、料理の匂い、電車の匂い、学校の匂い、近くのカフェの匂い、大きな図書館の匂い、

ちょっぴり弱い日差し、少しだけさびしい青空、いつまでも来ない夜。

あの街にもう一度行ってみたいという気持ちだけは、全くおきない。

そこで出会った友達は本当に素晴らしかったのだけれど、僕は彼らと別の街で会いたいとどうしても思ってしまうのである。