消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(198) 新しい世界秩序(15)世界恐慌と危機の真相(1)

2009-07-27 06:50:41 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 はじめに ― GM破綻=金融資本主義終焉の象徴


 2009年6月1日、GMが米連邦破産法11条の適用申請をした。これは、製造業分野では世界史上最大の大型破綻である。GMは、2008年時点で、世界34か国に生産拠点を持ち、従業員も世界全体で24万人いた。年間売上高2000億ドル、09年末資産910億ドル。北米に限定すると、売上高は約861億ドル、米国内の工場従業員だけで約6万1000人いた。負債は1728億ドル。製造業では世界史上最大の経営破綻である。米国の倒産劇としては、リーマン・ブラザーズに次ぐ第2位の規模である。 

 破産法11条というのは、企業を整理・倒産させるためにある法律ではなく、債権者に債権の多くを放棄させ、不良部分を売却ないしは清算させて、優良部分を再建するという趣旨のものなので、普通の言葉でいう倒産とはかなり異なる。行き詰まった企業に、公的資金の導入、リストラクチュアリングの実施、株式の政府保有、債権放棄、等々の荒療治が裁判所の監督下でおこなう。そして、再建計画が具体的に提示され、新しい会社として再生ができると裁判所が判断すれば、新会社は、裁判所や管財人の手から独立できる。この期間が、60~90日である。

  裁判所の管理下で、GMは旧GMと新GMに分離され、旧GMには、売れないブランドが押しつけられ、それらを売却する。売却できなければ清算される運命にある。新GMには優良ブランドを残し、債権者は債権の9割を放棄する代わりに、新GMの新規株式が割り当てられる。米政府は、新GMの株式の約60%を取得、301億ドルの追加支援、取締役の指名権を持つなど、GMを実質的に国有化した。GM本体への米政府による支援額はすでに約500億ドルに上っていた。これに新たな支援額が供給されるが、総計1500億ドルを超えるといわれている。カナダ政府とオンタリオ州政府も、両者併せて新株式の約12%を取得し、9.5億ドルの追加支援と取締役1人の選任権を取得した。全米自動車労組(UAW)は、新株の17.5%を取得したが、退職者向け医療保険の会社側負担の減額に同意してしまった。債権者は10%の新株の割り当てを受ける。

 裁判所がGMの再建計画を承認すれば、GMは裁判所の管理下から外れる。新GMは、新旧分割後6~18か月後に新株を上場する。

 米国内の労働者数は、2010年までに破綻時の6万1000人から4万人に縮小される。新GMの負債は、破綻時の規模の5分の1、つまり、170億ドルにまで圧縮される。08年末時点で米国内にあった47工場のうち、09年内に14工場を閉鎖する。09年内に事務系従業員の22%にあたる7900人を削減する。 

 いずれにせよ、米国の象徴であった、自動車産業の巨人が、クライスラーとともに頓死状態になってしまったことに現代資本主義の宿痾が表現されている。

 サブプライム・ローン問題をきっかけとして世界を震撼させた金融危機は、資本主義の深部で基本的な変化が発生していたことを示している。これが、製造業などの非金融組織を瞬時に破綻させてしまったのである。

 GMの金融子会社融GMACがGM車購入者に融資して新車購入を支援した。融資資金を得るために、この金融会社自身が各種証券を発行し続けたが、この業務からまず破綻した。ローンは焦げつき、手持ち証券の価格が暴落した。CPの引き受けてがなくなり、肝心の資金調達ができなくなってしまった。そして、製造業の金融子会社でありながら、独立した金融機関として、08年12月、商業銀行に模様替えさせられた。GMACは、そのことによって、FRBからの資金援助を受けることができるようになった。しかし、同時にGM車販売支援は露骨にはできなくなってしまったのである。

 GM本体の車はローン供与の縮小、返済停止の煽りをうけて突然の販売不振に見舞われた。

 同社の株価は暴落した。社債の評価も急落した。CDSのプレミアムも急上昇した。つまり、自社車が売れなくなったことも否定できないが、米国で猛威を振るった金融ハリケーンによって瞬時にして飛ばされてしまったのである。


1 現代資本主義の最終局面=証券化 ― 時間搾取システムとその変形

 
  資本主義の原理は、生きた人間の豊かな多用性を、狭いひからびた商品に追い込めることにあった。その基本的原理はいまも変わってはいない。

 
しかし、いまやそうした原理を上回る壮大なシステムが1970年代から世界を支配するようになった。それが、2008年に崩壊したのである。外部の要因ではなく、自己破産したのである。

 それは、資本、それも、金融資本による時間の搾取というシステムである。現金をもつ時期が早いほど、大きな価値を取得できる、現金を遅れて手にいれた人は、価値低下した現金を掴まされるというのが、そのシステムである。

 財政赤字補填のための国債の大量発行、中央銀行による積極的な買いオペレーション、等々、あらゆるルートを通じる通貨増発が、時間搾取システムの基本である。

 持続的な大量の通貨増発は、通貨価値の下落を進行させる。この場合、債権者から債務者に価値が移転する。まだ高い価値を有していた金額を借りた企業は、通貨価値が十分に下落した時点で借りた額面額を返済すれば、濡れ手に粟の大儲けをすることができる。たとえば1ドルが120円のときに、1万ドルを借り、そのドルで円を120万円と交換して、じっと保管していただけの企業が、1年後、1ドルが100円と値下がりした時点で、100万円を投じて1万ドルを調達し、それを返済に充てるだけで、20万円が儲かる。なんの労働もせずに、ただ、通貨を借りて異種通貨と交換するだけで20%もの利益を得ることができるのである。

 時間搾取システムはこの単純な基本線を軸としている。

 持続的な通貨増発とその結果生みだされる物価投機は、借金してでも、なるべく早く物を購入したいという衝動を生みだす。インフレーションが進行すれば、物価も上がるが金利も高くなる。金利の動向を見ながら物の購買時期が決められるにしても、先行き通貨価値が下落するという大前提は長期的にはゆるぎない。

 インフレーションの進行とともに、債権者から債務者に価値が移転するというシステムができてしまい、それが基本線になってしまえば、社会において、営利目的で債権者になろうとする組織は出なくなってしまう。貸せば貸すほど損をするのなら、この世から貸し手はいなくなってしまう。

 こうした価値の強制移転のシステム、時間搾取システムを資金の出し手にも儲けが出るように設計されたのが、最近破綻した証券化によるリスクビジネスである。

 銀行が、大衆の遊休資金を大量に集めて、それを資金需要のある企業に貸すという間接金融システムは、時間搾取システムが効用を持つことが金融権力に認知されたとたんに、古臭いものとして揶揄の対象になった。長期信用銀行、無尽的相互銀行、信用組合、都市銀行、外国為替専門銀行、住宅金融公庫、各種政府系金融公庫といった日本型棲み分け機関が、米国の金融権力によって「護送船団方式」として馬鹿にされたのは、アングロサクソンを主要メンバーとする国際的金融寡占=金融権力のリスクビジネスに奉仕するように、日本型金融システムを変容させる意図から出されたものである。

 こうして、預金を原資として企業に融資するという旧い型の間接金融方式は棄てられ、米国型の直接金融方式にシステムが切りかえられ、経済は投資銀行の全盛時代となった。

 間接金融的預金銀行とことなり、投資銀行は預金ではなく富裕層からの出資金を元にリスクをビジネス化し、梃子で大きなものを動かすように、借金を元手に巨大な取引をおこない、巨額の利益を出資者に配当するようになった。投資銀行は、金融当局の保護を一切受けないという建前の下で、あらゆる業務が「闇の金融組織」として秘密裏に運営されてきた。管理されるのではなく、一切の自由をよこせというのが、投資銀行のいう金融の自由化のことであった。

 貸し手責任はなくなった。もはや投資銀行は融資をおこなわなくなった。持続的インフレーションの状況化で長期の資金を貸し出すのは、銀行に損失をもたらすからである。貸し手は、ローン返済の権利を投資銀行に売る。こうして、インフレーションに不可避な債権者の不利を瞬時にして避けることができる。返済リスクは、第三者の投資銀行に移ったからである。

 投資銀行は、買い漁った再建を一つの大きな塊にする。固まりは一つ当たり1000を超える債権からなる。この大きな塊を信用にランクを付けて細かく区分けして、仕組み債として顧客である投資家に売る。ここで重要なことは、スローガンとして市場絶対論がありながら、仕組み債は市場によって価格づけされていないことである。顧客は投資銀行や投資銀行がオフショアで設定したSIVから言い値で買わされてきたのである。価格は三つのルートによって形成される。一つが、各付け会社。安全な仕組み債ほど、価格は高い。つまり、得られる利子に比べて証券価格が高いために、収益率は小さくなる。ローリスク・ローリターンである。逆は逆である。安全性を基準として、で仕組み債は三つのランクに大別される。最上級はシニア、真中がメザニン、最下等がエクウィティである。これは、リスクが大きすぎて、販売を自粛するものであるが、高いリスクのために、高いリターンが得られることから、販売競争を勝ちぬくために、投資会社がメザニンと称して売りまくっていたことが、CDS問題が深刻化したときに白日の下にさらされたものである。

 仕組み債価格を設定する二つめがモノラインである。モノラインとは、顧客が持つ債券がデフォールとしたときに、債務者に替わって債券の保有者に支払い保証を提供する組織である。価格を設定する三つめの要素が金融工学である。投資会社が抱える金融工学博士たちが、専門的知識で価格付けの権威化を図る。ブランド力の高い投資銀行が、格付け会社、モノライン、金融工学という箔付けで、市場価格ではない人為価格の金融商品を売りまくったのである。

 格付け会社は、上位二社で世界の80%のシェアを持っている。モノラインもAIGをはじめとした高い権威を持つ超一流企業を親会社に持つ信用度の高い組織であった。金融工学はいうまでもなくスウェーデン銀行銀行賞(通称、ノーベル経済学賞)で権威づけられていた。

 インフレーションが持続化すれば、債権者は債務者に価値を強制的に移転させられる。しかし、それが価格を持つ証券になれば、その証券価格はモノの商品と同じく、持続的な価格上昇が実現する。それは株価を見れば自明のことである。企業は借りるという形でなく、株式や社債の販売という形をとれば、システムは露骨な時間搾取という姿をとらなくてもすむ。証券化とはそういう意味である。