消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.187 安定株主の必要性

2007-11-03 02:57:37 | 日本

  
 日本の至宝である中小企業の金型技術が、納入先の親企業によって、漏洩させられている。親企業が海外で生産する環境を整えるために、日本の金型技術を現地企業に教えているからである。結果的に日本の金型を作る中小企業が廃業に追い込まれている。こうした理不尽な情況を岩瀬政則氏が告発しておられる(岩瀬[2007])。本稿は、岩瀬氏の論文の紹介をしながら、安定株主の必要性について考えてみたい。

 岩瀬氏は、中国が組織的に日本の機密を蒐集していることの警告から論を進められる。

 2004年5月、上海日本国総領事館の電信官が自殺した。重要国家機密を扱っていた同官の遺書には、「これ以上のことをすると、国を売らねければならない。どうしてもそんなことはできない」とあった。自殺の翌日、杉本信行総領事は、「彼は卑劣な脅迫によって、死に追い込まれた」と涙ながらに追悼した。

 2007年には会場自衛隊警護艦「しらね」の2等海曹が、イージス艦の「特別防衛秘密」を含む重要資料を隠しもっていたとして逮捕された。それが発覚したのは、2006年12月、2等海曹の中国人妻が「不法残留」をしたとして、入国管理局に自首してきたからである。この中国人妻は、以前から密出入国を繰り返しており、2等海曹と結婚したのは、自首した日のわずか2か月前であった。機密情報を握って、任務が完了したのであろう。自首すれば日本政府の費用で帰国できると考えたのだろうか。奇妙な事件であった(岩瀬[2007]、180ページ)。

 2006年1月には、ヤマハ発動機無人ヘリ輸出事件があった。
 2007年3月には、デンソーの中国人エンジニアが同社のホームページから13万件以上の製品図面のデータをダウンロードして愛知県警に逮捕された。
発覚した2日後には、そのエンジニアは、中国に一時帰国した。データを中国に渡すために一時帰国したのであろう(同、180~81ページ)。

 日本の技術が海外に漏洩されるのは、外国人によるスパイ行為だけではない。れっきとした日本の大企業が、日本の納入業者の金型技術を海外に漏洩しているのである。

 金型とは、特殊鋼などでできた凸型と凹型の「型枠」のことである。枠の間に、プラスチックや軽金属などの液体を流し込んだり、金属板やゴムなどの固体を型枠の間に挿入したりして金型は作られる。百円ショップのプラスチック容器などの簡単なものから、パソコン、デジカメ、携帯などの精密製品、あるいは、自動車、航空機、スペースシャトルなど、製品には必ず金型が使われている。1000分の1ミリの精度をもつ日本の金型は世界一であると言われている。超精密金型になると数千万円もする。

 この金型を支えたものこそ、大田区や東大阪市の中小企業であった。しかし、この地域の中小企業の倒産が相次いでいる(同、184ページ)。

 中国に進出する日本の大手メーカーが、零細金型企業に圧力をかけ、日本の貴重な財産である金型技術を中国に横流しするようになってしまったからである。金型職人の勘、.経験、.技、などを凝縮した金型の設計図面を、大手メーカーが、日本の零細金型企業に受注をちらつかせて中国企業に渡しているのである(同、184~85ページ)。

 中小零細金型企業が大手から受注するのは容易なことではない。まず納入先企業の審査を受けなければならない。経理状態や、本来企業秘密であるはずの金型技術の隅々まで開示させられる。受注寸前になると、今度は繰り返し法外なコストダウンを要求される。あまりの低価格に受注を逡巡している間に、交渉は打ち切られてしまう。しかし、渡した設計図は企業に返還されず、中国に渡されてしまう。

 大手企業の契約書には、「発注者は受注者のもつ技術に対して守秘義務を有する」とは書かれていない。不当な方法で技術を漏洩させられて涙を流した中小企業は1000社を上回るだろうと、岩瀬氏は憤慨されている(同、185ページ)。

 倒産した日本の金型企業の元技術者に中国から誘いがかかる。いさんで中国に渡った技術者も、中国側が技術をマスターするや否や解雇されてしまう。

 技術が漏洩されるのは、日本の中小企業だけではない。日本では巨大会社に属する鉄鋼会社ですら、納入先の自動車会社によって、自己の宝である技術を漏洩されてきたのである。

 世界最大の鉄鋼会社、ミタルが新日鐵を狙っている。新日鐵の技術が欲しいからである

 ミタルとタタというインド資本が欧州の鉄鋼を飲み込んでしまった。ラクシュミ・ミタルの個人資産は4兆円で、ビル・ゲイツと並ぶ世界一の大富豪である。父親から譲られた小さなスクラップ工場を元手に、1976年にインドネシアで事業を始めた。自社の時価総額を高めてM&Aを繰り返してきた。メキシコ、中欧、東欧の鉄鋼会社をつぎつぎに買収し、そして、2006年、欧州最大の鉄鋼メーカー、アルセロール社をTOBによて買収してしまった。世界最大の鉄鋼メーカー「アルセロール・ミタル」となった。年間粗鋼生産量は1億1800万トン、新日鐵の3200万トンの3倍以上もある。

 世界の鉄鋼企業を買収しまくっているインド資本は、ミタルだけではない。タタ一族もいる。現在の総帥はラタン・タタである。祖先は、120年前にペルシャからインドに逃げてきたゾロアスター教徒である。

 
財閥創始者のジャムジェドジー・タタは、繊維商人から出発し、1907年に鉄鋼会社のタタ・スティールを設立した。いまでは、化学・電力・自動車などのあらゆる分野に進出している。インド最難関のインド科学大学(IIS)はタタ財閥が設立したものである。

 タタ・スティールは、年間粗鋼生産460万トンと中規模の会社であった。ところが、2007年1月、アルセロールと並ぶ欧州きっての名門鉄鋼メーカー、コーラス社を買収した。コーラスの年間生産量は1800万トンもある。まさに小が大を飲み込んだのである(同、186ページ)。

 アルセロールと新日鐵は技術提携をしている。アルセロールは、フランスのユジノール・サシローと他の欧州中小メーカーの統合によって誕生したものである。元々、新日鐵はユジノール・サシローと提携していた。この関係が合併後にも引き継がれたのである。契約はアルセロールだけに限定されていた。ところが、ミタルは新会社ににも適用せよと迫ったのである(同、187ページ)。

 日本の鉄鋼会社の技術力は、他国を圧倒的に凌駕している。自国内で登録した特許件数(2001~2005年)を比較すればそれは一目瞭然である。

 日本の高炉4社は1万2028件あった。ところが、他のメーカーは非常に少ない。アルセロールが189件、コーラスが86件、USスティールが10件、ミタルが80件である(同、187ページ)。

 技術料で劣るミタルは、過去、20数回の買収をすべて成功させてきた。このことは、NHKで紹介された(スペシャル「『敵対的買収』を防げ」(2007年5月7日放送)。

 ミタルの買収の成功は、ひとえに買収先会社の株主の不安定さを要因にしたものである。ミタルがアルセロール株の公開買い付けを発表する前は、アルセロール株は22.2ユーロ程度であった。TOB発表直後は発行株式の40%を保有する個人株主のほとんどが、ミタルの提示した30ユーロで株式を提供した。法人も手放した。最後まで株式を手放さなかったのは、5%を保有するベルギー政府だけであった。ヘッジファンドは、それよりも高い38.5ユーロでミタルに売却した。

 ミタルは、新日鐵の技術をM&Aによって確保しようとしている。新日鐵の防衛策は、安定株主作りである。同社は、住友金属、神戸製鋼所、世界第3位の韓国ポスコと株式持ち合い。個人を工場見学させて、日本の技術を守ろうと訴えた。

 新日鉄の時価総額は約5兆9000億円だが、世界中のヘッジファンドが運用するマネーは、200兆円である(同、188ページ)。

 ただし、鉄鋼メーカーの売上額は減少している。日本の4社を合わせてもトヨタ1社に及ばない。鉄鋼業界として世界第2位の新日鐵ですら、世界シェアは3%にすぎない。自動車産業は、上位6社がシェア80%を占める。

 原料も寡占化が進んでいる。鉄鉱石メーカーは10数社あったが、最近では、BHPビリトン、リオチント、リオドセの3社でシェア80%である。まさに鉄鋼メーカーは、仕入れ先と売り先を巨大企業に挟まれている。これがミタルの行動を生んでいる(同、189ページ)。

 表面処理鋼板がさびない鉄。これが自動車を一変させた。鋼板を薄くもした。北米は日本の鉄鋼にダンピング非難をした。抗しきれず、日本メーカーは、技術を渡してしまった。得をしたのは、北米メーカーだけではなかった。米国に進出した日本の自動車メーカーも得をした。結局、日本の鉄鋼会社は、北米における市場を失った(同、190ページ)。

 欧州勢に技術を供与せざるを得なかったのも、ユーザーである日本の自動車会社の圧力であった。ミタルは2007年4月に来日し、ある自動車メーカーと会談をもったとNHKは報じた(同、190ページ)。

  得をするのは自動車メーカー、損をするのは、巨大装置産業であるがゆえに、世界に展開できない鉄鋼会社である(同、 191ページ)。

 引用文献

岩瀬政則[2007]、「中国企業の貪欲すぎる『技術喰い』」『諸君!』2007年11月号。


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