消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 69 金融と「社会的評価」

2007-02-10 22:13:54 | 金融の倫理(福井日記)
 「社会的評価」(れぷたちおん)について、Dobsonは、その著、第3章で展開している。企業の評価が高くなれば、当然、株などの有価証券の価値は高くなる。将来的にも利益を大きくしようとすれば、企業は、自社の評価を高めるしかないとよく言われている。

 
評価を高めるべく、企業は、自らの評価を貶めるような行為はしなくなる。社会的評価を気にかけることによって、企業は不正を冒さなくなる。こうしたことを企業側は折に触れて対外的に広言する。

 しかし、これは、あくまでも建前にすぎない。現実には、評価評判の高い企業も数々のスキャンダルを作りだしている。

  数々の不祥事を冒しても、いっとき制裁を受け、組織を若干手直しすれば、すぐさま、市場に復帰するということが、むしろ、一般的であった。

 不祥事を社会から糾弾されたことによって、市場から退場したという事例はほとんどない。社会からの評判によって、行動基準が律されることは、ことマンモス金融機関に関するかぎり、ありえないのである。

 そもそも、絶えず風向きを気にする金融機関を本性的に信頼できることなどできkるのであろうかと、Dobsonは疑問を呈する。

 かつて、ソロモン・ブラザーズが、米国債取引で不正を行ったとして、司直から告訴されたことがあった。

 
このとき、新しくCEOに就任したClifford Smithの発言は、注目を浴びた。
「犯罪を犯したわが行員が、会社の金を失い、会社に損害を与えただけのことなら、私は情状酌量をしたであろう。しかし、件の行員が会社の評判を貶めたということが分かれ、私は容赦しないろう」と。

 ここには、会社の金を失う行為よりも、評判を失うことの方が会社にとっては痛手であることが率直に表明されていた。

 
会社が評判を落としただけでなく、市場に損失を与えたとの認識も真CEOによって吐露された。もし、これが本当なら、かつての「金融のパラダイム」が変化したことを物語るはずであった。

 しかし、告訴された特定の行員の行動が問題であったとしてすまされることであったのだろうか。

 
彼が非倫理的な行為をしたという点よりも、なぜ彼がそれをしたのかの論点の方が、はるかに重要であろう。「倫理感にしたがって行動しない行員は、いずれ、非倫理的な行動に移るものである」と、Dobsonは指摘する。つまり、倫理的な行動をつねに取るべきであるとの姿勢が企業内で確立できているのかが問題である。

 ある企業がスキャンダルを引き起こせば、市場に参加する投資家が減少する。そうすれば、関連の金融機関はすべて損失を被る。

 
当たり前のことだが、市場の信頼を得るためにも、企業とその従業員は倫理的に行動することが重要なのである。

 「義務的倫理」(deontological ethical)という倫理社会学がある。善悪、動機に関係なくとにかく倫理を実践するということが重要である。つまり、「価値倫理学」(axiological ethics)では不十分だとDobsonはいう。「価値倫理学」とは、行為の動機と目的の相対的な善なり価値なりを意識した倫理学である。

 こうした、義務的倫理を金融の世界に共有することは具体的に可能なのだろうか。きれいごと、絵空ごとのものでしかないような、倫理を企業の内部に根付かせることは可能なのか。Dobsonはそう問う。

 Dobsonは、アリストテレスの金融倫理を現代に復活させるAlasdair MacIntyreの理論を復権させようとしている。

 「主観主義」(subjetivism)に陥ることなく、文化と市場とが多様化している状況下では、「徳の伝統」(virtue tradition)を復活させることが必要であるとMacIntyreは主張していた。

 ただし、そうはいいながらも、MacIntyreは、現在の経営者やビジネスマンに道徳を要求するのは無駄であるとの悲観論に立っている。

 Dobsonは、懐疑主義の、MacIntyreの理論を応用することはできないだとうか。第6章、「金融のパラダイムを超えて」(Beyond of the Finance Paradigm)というタイトルの下での、「道徳の合理性」(rationality of virtue)がそれである。

 第7章で、カントの「絶対無条件的道徳律」(categorical imperatives)批判が展開されている。道徳観は、人間の精神的発達の度合いや、地域の多様な文化的背景によって異なる。金融に道徳律を適用させようとすれば、カントのようなすべての人間、すべての地域に一律に適用するような道徳律であったはならない。柔軟な、地域と文化に適合した多様な応用形態が確立させられるべきなのであると、Dobsonはいう。 

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