カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 C年 聖家族の主日

2009年12月24日 | メッセージ(その他)
イエス様のことを愛される皆様へ、

初雪はその冬、初めて降る雪をいいます。たいていの雨は夏でも上空では雪や氷片であり落下中にとければ雨、とけなければ雪となります。それは気温に関係し、地上の気温が零度以下なら雪、七度以上なら雨、その間では雪のこともあり雨のこともあります。山も冠雪をいただき大自然もクリスマスの準備に入りました。この頃周囲に目を向けてみると色々なところでクリスマスの飾りが目立ちます。確かに2000年前からイエス様の誕生を祝うキリスト者たちが社会、文化、貿易にも大きな影響を与えましたが、人の心にも素晴らしいメッセージを伝えられたと思います。イエス様の誕生を知らない方でも、クリスマスのメッセージ、その優しさと喜びを素直に受けてお祝いします。賑やかな飾りはクリスマスの喜びを表現します。その喜びは神様と人類の接点から始まります。神様はご自分の胸元に人間一人一人を抱き寄せながら、ご自分の欠かせない愛情を示しました。人類の歴史、神様の歴史も一つになり、両者一緒に歩き始めました。神様がご自分のことを弱い少女の腕にゆだねながら、人間の救いの計画を望まれる神様の思いの心を明らかにされました。そのように神様と人類が神秘的に結ばれています。キリスト信者にとってクリスマスの核は大きな喜びです。それは神様ご自身が人類のための贈り物になって、人類が神様の懐の素晴らしさを見出すことが出来たのです。
クリスマスは子供用の優しい物語だけではなく、過去に起こった出来事の記念だけでもありません。私たちの心の中で、生きておられる神様の普遍的な愛を祝う時です。プレゼントを見る子供の目が輝くように、キリスト信者は神様から頂いた贈り物のように馬小屋でお生まれになった幼いイエス様を見つめて、目も心も輝いています。
ルカの福音書2・41-52
降誕祭の時に神様が人類に与えた命、愛情も皆の間に宿るようになりました。それを置かれたところは家庭です。降誕節の第一の主日が聖家族の主日でお祝いされるのは、人間の間、家族の間でそれは神様が置かれた愛情の暖かさを思い起こすためです。聖家族、つまりイエス様、マリア様、ヨゼフの家族は神秘的な私たちの家庭の模範と手本になっています。ヨセフとマリア様はエルサレムから帰る途中でイエス様の姿を見失って、慌てて心配しながら探していました。神殿で少年イエス様を探し当てた時にイエス様の答えは親に向かって「…わたしが自分の父の家にいるのはあたり前だということを知らなかったのですか。」というものでした。確かにヨゼフとマリア様にとって、分かりにくい言葉でした、しかしその言葉もヨゼフとマリア様が耳にした時、同時に私たちの心にも良い知らせ、福をもたらす音「言葉」になりました。イエス様がこの証言によって、ご自分が人間でありながら神の子であることを示し、又与えられた使命、神様の思いに従いながら神秘的な存在を伝えてくださいます。
イエス様の親との絆、神様とのつながりはキリス信者にとって参考になっています。洗礼を受けて神の子となったキリス信者は自分の家族の絆を大切にし、神の子として人生を送ります。同時に親である者たちも神様と一緒に、その父性とその母性を分かち合っていて神様と一緒に親になり、創造主である神様と一緒に愛の中で新しい命を創造します。親たちは自分の子供を見て神様と共に「君は私の子」と言えることになります。このようにご自分の両親に対する少し冷たいイエス様の答えは、実際に再び良き知らせとなったのです。               
                          モヨリ神父

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