カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 年間第13主日 

2017年06月27日 | 神父様からメッセージ(A年)
 

 今日の聖書の朗読はいくつかの場面を豊かに描写してくれています。確かにイエス様のことは皆が口にしていたと思います。イエス様の言葉も知られ、行いも皆の目に明らかでしたし、驚きばかりでした。それに気付いたイエス様は、弟子達や後に従う者たちに次ぎの質問をされました。「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」使徒ペトロは皆の心や、信仰をあらわしながら、次のように答えました。「あなたはメシア、生きる神の子です」このようにペトロの信仰の告白は、その時から風のように、川の流れのように私たちにまで及び、その流れを貴重な遺産のように受けた私達が後の者達にまた、送り渡す事になります。イエス様がペトロになさった質問は、今でも私たちに向けられています。そして、神様からいただいた今日の一日の中で答えるように勧められています。「イエス様は自分にとって何者か」と。
ペトロは何より深い信仰の告白を教えてくださいました。わたし達の人生において、その質問に対する答えは何でしょうか。
 「ローマへの手紙10・9」でパウロは次のように述べています。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです」
 今日は聖ペトロと聖パウロの姿を並べて見出すことになりました。二人は別々の道でイエス様を愛して従いましたが、しかし、かれらの道の歩みは一つのところで再び会うことになりました。それはイエス様のためには刑場となったローマでした。ペトロはイエス様のことを、知らないと言いました。しかしその自分を恥じ、深く悔い、真実の信仰に立ち返りました。そして、イエス様に赦されて、教会の頭として選ばれました。一方パウロは、全世界を駆け巡りイエス様の真実の姿とその心を告げ知らせました。今年は教皇様の呼びかけによるパウロの年になっています。わたし達もパウロの人生を見習って、思いを新たにする時になっています。パウロの改心、パウロの情熱は私たちにとっても参考になるのではないでしょうか。
 この祝日が教えてくれるのは、信徒達の間に違う思いや違う行動があったとしても、一致できることがあるということ。それは、イエス様に対する愛です。そしてその愛のために、命を捧げるほど、人生のすべてを尽くすことです。
モヨリ神父

A年 年間第12主日 

2017年06月19日 | 神父様からメッセージ(A年)

 
 いつも、そよ風のような聖霊の風に吹かれて派遣されたイエス様の弟子たちにとって、また、福音宣教に自分の人生を励んでいる人たちにとっても、当日曜日の福音書はキリスト教の宣教について、福音を告げ知らせる方法に貴重な助言を含んでいます。イエス様はこの点について、ご自分の深い関心を現わしながら、特別に宣教に努める人たちを励ましてくださいます。マタイ10章26節の福音書は、イエス様の宣教の話に属しています。イエス様がご自分の弟子たちに向かって、色んな状況の時に恐れないように励ましています。
一番目、福音は神様の言葉であり内的な力を持つので、弱い声でひそかに知らせても、その言葉は必ず大きく広く伝わっていくので恐れることはないのです。大きな力をもつ神様の言葉は、どこへでも届きます。
時によって、頭が痛くなるほど、わたしも教会の心を伝えるために効果のある宣教法を選ぶように考えていますが、その時忘れているのはこのようなイエス様の励ましの言葉でした。確かに日本的な、口込という言い広めも神様の力に支えられて効果のある宣教ではないでしょうか。
二番目、恐れてはいけない時は、特に迫害の時ですが、いつも小さい小鳥でさえ大切になさる神様は、イエス様に従う者の命を特別に大切にし、かれらを大きな慈しみとみ摂理の心で包んで保護しています。
三番目、恐れてはいけない状況は、人の前で社会的な活動の中で、私たちがイエス様の仲間であることを言い現わすことです。さて、福音宣教に勤める信徒のみなさんにとって、今日の福音書はイエス様からの、欠かかせない励ましとなっています。まず恐れないようにと勧められています。神様は私たちの命、また私たちひとり一人を大切にしてくださる方ですから、滅ぼされる恐れはないのです。そして、私たちは自己中心的な思いを宣教するべきではありません。神の言葉に支えられている私たちは、神様の言葉の奉仕者ですから、暗闇に負けず、勇気を持って屋根の上から、公の場で神様のみ言葉を述べ伝えるようにすればよいのです。その時に普遍的な力を持つみ言葉は、確実に豊かに皆の心に届くことになっています。
                        モヨリ神父

A年 キリストの聖体

2017年06月11日 | 神父様からメッセージ(A年)
 
 現在、人間は豊かな食べ物に恵まれていますが、その中で食べることが問題になってきています。場合によって食べ過ぎることで、又一方で心身の不健康により食べ物を拒否したりすることでそれは起きています。しかし、イエス様が私たちの信仰を支えながら、「これは私の体、これは私の血」と言って「私を食べる者は永遠に生きる」とおっしゃっています。
「ヨハネによる福音書6・51-58」
 キリストの聖体の祝日を迎えることになりました。この時、若い頃を振り返りその頃を思い出すようにすると、この祝日の意味を深められると思います。では、当時の麦秋の場面を思い浮かべて下さい。それぞれの故郷の習慣によって、キリストの聖体の祝日の時に、信者たちは教会から出て大きな行列を作って、実り豊かになってきた麦畑を通って歩いていました。「恵みのパン…いつくしみと愛に…」を歌いながら、とても身近に神様のいつくしみと愛を感じていました。麦畑をみつめながら畑の間を歩いたキリスト信者の心に、何が語りかけられていたのでしょうか。まず私たちはイエス様のたとえ話によって、一粒の麦のようなものとされています。その麦をつぶして粉にすることによって、私たちは皆で一つのパンになれます。そのパンはイエス様の体、復活されたイエス様自身です。そのパンは教会の心を現わしながら、イエス様から教えられた愛を語ってくれています。焼きたてのパンをオーブンから取り出すと家中に香りがただよってきます、それを割いて皆で一緒に食べると、私たちは一つの家族、一つの心、一つの教会、共同体であることを明らかにされます。そのパンはイエス様の言葉によって天から降ってきたパンです。つまり物理的なパンであるだけではない、心や人生も全て満たすパンです。そのパンはイエス様の肉です。イエス様は私たちに、これほどご自分を身近な存在に現わして語ってくださいます。そうして、私たちに限りのないイエス様の無償の愛の意味を示してくださいました。人間は親の愛によって生まれ、生きています。そのお母さんから受けた愛は命であり、生きる肉と血になっています。洗礼によってイエス様から限りなく愛されて、その愛は身近にパンの形で示されています。このようにイエス様が私たちの命でありながら私たちの肉と血になって、私たちと完全に結びついて下さいます。このように、キリスト信者は生きて居るものです。キリストの祝日にあたり、このような思いで心を満たすことにすれば、イエス様の言葉の「私を食べるものも私によって生きる」という真実が実現します。
                                    モヨリ神父

A年 三位一体の主日

2017年06月06日 | 神父様からメッセージ(A年)
 

 神様はどこで私たちを見つけられるのでしょうか。栄光の中か、大自然の絶景の中か、神殿の中か、あるいは小さい子供の心の中か、小さい花の色にか、沈黙の中か、どこででも、あなたが神様に出会ったと思ったら、そこに神様がおられてあなたのことを期待しておられます。
「ヨハネによる福音書 3・16-18」
 今週は三位一体の主日にあたっています。神様について、皆さんに暖かい心で話したくてたまりませんが、しかし、語ろうとするとなんと難しいことだろうと深く感じています。三位一体とは神様の自己紹介ですがちょっと哲学的、神学的な表現であり説明しにくく、神様のイメージはすぐにピンとこないと思います。神様はだれも見たことがありませんが、イエス様が身近にその心、その姿を語ってくださいます。神様に向って、祈りかたさえ知らなかった弟子達にイエス様が次ぎのことを教えました。「天におられる父よ」神様は私たちのお父さんであり、私たちといつもおられます。皆を大きな愛情で守り、慰め、支えています。このようにイエス様が神様の紹介をし続けます。「み名が聖とされますように」神様は私たちのお父さんであり、素晴らしい唯一の方です。私たちの心も大きな喜びで満たしています。そして、全てのものよりも偉大であり、全てのものよりも大切なものとなっています。このように神様の名前は高められています。「み国がきますように」神様の国は小さい者、弱い者の国でありながら、愛の国です。そしてその「国」はイエス様自身です。神の国はもうすでにあなた達の間にあるとイエス様がおっしゃっています。その時にイエス様が神の国は自分自身であることを示しています。この国はどんなことよりも価値があって、小さくても宝物のようなものです。大きな力を持ちながら、どんな人をも含んでいて大きな木のように成長し、遠くまで心の枝を伸ばしています。次に「み心が天に行われる通り地にも行われますように」神様の神秘的な心は聖霊です。つまり聖霊は御父とイエス様の心を結びながら、神様が愛で燃える心を示していますが、その愛の中に私たちのことも巻き込まれています。聖霊は私たちと一緒に歩みながら、私たちを見守り導き、私達の人生の計画を組み合わせています。私たちの過ちをいつも赦してくださいます。
では最後に、今日の福音書も聖霊の力で神様の姿が分かるように手伝ってくださいます。イエス様が御父の愛を示す為にこの世に来られて、私たちの仲間、兄弟になりながら、私たちと一緒に歩むようにしてくださいました。イエス様に担われたり、引っ張られたりする時がありましたが、愛する愛される道だけを教えてくださいました、その愛は無償で普遍的で、神様だけが出来る愛です。神様は誰も滅びてしまわないようにと望まれるので、どうぞ大きな希望を持って前向きに、皆で歩くようにしましょう、神様は私達が必ず皆で大きな喜びのあるところに狙って行ってくださり、開いた腕で私たち全ての一人一人を待っておられます
                              モヨリ神父