カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」14

2012年02月23日 | メッセージ(その他)
B年 四旬節第一主日           2012・2・26
「信仰」
「束縛から自由へ導く神様」
聖書の中でもっとも古く書かれたものは申命記です。その中にイスラエル民族のエジプトからの脱出の出来事が書かれています。誰にとってもとても感動的な出来事だと思います。当時のイスラエル人が、奴隷として送らせられていた生活や苦しみなどを考えてみれば本当に心が痛みます。同じように、それをごらんになり、その嘆きを耳にされた神様は、モーセを選んで自分が最初に造り愛された民族の解放を求めました。選ばれたモーセは神様の支持のもとで、指導者として神様とイスラエル人達の間の仲介者となりました。そして大きな忍耐を持ってイスラエル人達を40年かけて、砂漠を渡りエジプトから神様が約束された土地に連れて行きました。このように奴隷であったエジプトから脱出したイスラエル人達は自由な民族となり、立派な王国を作りました。言い換えればこの出来事はイスラエル人達の「過ぎ越し」(パスカ)のイベントでした。イスラエル人達にとって、このような出来事は深く身についた欠かせない経験であり、人生と歴史の基本的な流れとみられていました。たとえば創造の物語でも、この脱出のパターンは混沌からの光ヘの脱出を語っています。神様の宇宙万物の創造までがこのようにみられました。同じようにイスラエル人の歴史、全体もこのような救いへの過ぎ越しとしてみられました。それに従ってイエス様の生涯、そしてその死と復活も過ぎ越しとしてみられて、イエス様を信じる人々のための救いのパターンになりました。イエス様に従う人々も罪からの脱出を、愛へ解放されるような救いを望んでいます。そして心と体の死から、神様の命へ生きることができる希望をもっています。キリストに従う人は救いの形をこのようにみています。         モヨリ神父
※参考:「カトリック教会の教え」

「今週の公教要理の錠剤」13

2012年02月17日 | メッセージ(その他)
B年 年間第七主日         2012・2・19
「信仰」
「楽園と原罪」
初めに、つまり創世の時だけではなく、いつも先に神様がご自分の似姿で人間をお造りになっています。どこで人間は神様に似ているでしょうか。まず人間は心で神様に似ています。普遍的な希望を持つことによって神様にとても似ています。人間が男女に造られていることによって、愛する愛される為に造られて愛である神様に似ています。それに自由。神様と同じように、人間は限られた環境に置かれても、心は自由に鳥のように大空を飛べるように造られています。その他人間は、いろんなところが神様に似ています。それは神様の心を知ることによって、簡単に見分けることが出来ます。限られた自由な環境の中に置かれ、普遍的な希望を持つ人間は、自己中心的な見方にとらわれた状態にも陥り、それだけではなく、自分の手で造った網のような規則からも縛られて、神様、隣人、愛する人の事でさえ気づかない時もありますから、原罪の中に置かれたような状況だとわかります。「原罪」の状況とは、不自由と欠点のある世界に縛られていることで、人間が生まれつき置かれている所です。そこから解放してくださるのはイエス様だけです。イエス様の死と復活によって、神様の愛に再び皆が結びつくことが出来、人間の共同体の愛にも取り戻してくださいます。ここから楽園の意味を理解するようになります。よく考えられるのは、楽園とは死んでから入れるところだということです。しかしそれだけではないのです。神様がこの世を造られた時から、天国とは人間が神様と一緒に生きる、とても綺麗な美しい、楽しいところなのです。だから楽園か天国と言ってもいいのですが、天国とは人間にとって神様と一緒に、神様とつながって生きるところです。神の子であるイエス様の愛に救われた者たちは、すでに今でも、心の喜びの平和を味わうその時に、、楽園に生きていると言えるのです。
                           モヨリ神父

「今週の公教要理の錠剤」12

2012年02月10日 | メッセージ(その他)
B年 年間第六主日          2012・2・12
「信仰」
「神様への道」
神様のことを知る人はまだまだ少ないし、知らされていないと思います。大まかな意味で神様のことを聞いたことがある人もいると思いますが、実際に神様が何者か知らない人はまだ多いようです。神様は続書によって知る、覚える、愛するものではなく、心の中で出会って、結びつく素晴らしい方として知られるものです。だからこのような意味で神様のことを知らない人が多いということなのです。神様を心から知る方法、また神様まで導く道はいくつかあります。日本では神様の心に出会う方法は大自然の美しさを通して知られると思います。大自然そのものが素晴らしい創造主である神様の姿を語ってくれています。小さい花から、見事な真っ赤な夕日まで、神様の素晴らしさが紹介されています。美しい小さい花でも神様の普遍的な美しさを語っています。大自然の音、香り、暖かさも神様の姿を描いています。けれどもこのように神様を知ることが唯一の方法ではなく、神様へ導く道はまだまだあります。それは人の愛情を通して神様に出会うと言ってもいいと思います。たとえば、家庭や共同体の温もりと優しさを通して、私達の人生で特別に愛する人に出会うことがあります。つまり人の愛や友情などの深い経験によって、神様の愛とその忠実な友情を発見することが出来ます。人間の愛によってさえこのように暖かく、優しくされますが、神様の愛はそれよりはるかに大きく、人は深く愛されるのではないでしょうか。だから人間の愛と友情は神様へ導く道になります。学者も勉強家の人たちでも、より深い世界を知り、より高い真実を探し求めて神様の姿まで観想する時があります。それも神様へ導く道です。しかし皆さんの心の中で神様ご自身が小さな道を整えてくださいました。その道を通して、誰でも神様に出会い、神様の心を理解するところまで行けるのです。その道を発見するのは人生の目標であり、人生の楽しみです。                             
                      モヨリ神父
※参考:「カトリック教会の教え」

「今週の公教要理の錠剤」11

2012年02月07日 | メッセージ(その他)
B年 年間第五主日            2012・2・5
「信仰」
「天地の創造主、全能の神である父を信じます。」

神様がご自分の言葉の力によって人間や宇宙万物を創造されました。宇宙万物の全て存在するものは神様から創造されています。神様は人間がこの世に現れた時だけではなく、またこの世が始まった時だけでもなく、今もずっといつも創造されています。つまり人間は神様の言葉によって生きるものですから、どんな時代の人でも、どんな時でも人間は神様の心によって生きています。同じように宇宙万物も一瞬で神様のみ旨の通りに創造され動いています。神様がおられることこそ、神様の本性と愛を表す生きる人間と、宇宙万物が存在している証なのです。
もう少しはっきり言えば、子供がいる、生きていることこそ神に愛された親の存在も認めなければなりません。その親を見かけなくても、知らなくても、確かにその生れてきた子供は、愛し合った親から生まれてきました。つまり、神様の愛によって人間も宇宙万物も生きて存在しています。だからキリスト信者にとって、イエス様が教えられたように、神様は欠かせない創造主であり「父」と呼ばれるのです。全ての原点である全能の神様は、人類のお父さんです。一般的なお父さんだけではなく、権威ある「父」と呼ぶべき神様です。だから創造主である全能の神様は人間一人一人の身近な、親しい、欠かせない、愛するお父さんあり、神様は私たち一人一人を愛してくださいます。ご自分の大きな愛情で私たちを大切にしてくださいます。私たちに良くないことがあった時にも神様はその苦しみを望まれないので、その時に私たちの涙をぬぐい、慰めてくださいます。神様は今でも季節ごとにこの宇宙万物を素晴らしい形で飾ってくださいます。神様が人間と一緒に大きな知恵を使いながら、いつでもこの世を綺麗にして新しく創造してくださいます。
モヨリ神父
※参考:「カトリック教会の教え」