カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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明けまして~おめでとうございます!神の母の祝日と主の公現の主日

2013年12月31日 | 神父様からメッセージ(A年)
新年おめでとうございます!  
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主がみ顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを
   与えられるように。あなたに平安をお与えになるように。」
皆さんのこの一年のために、大きな感謝を表しながら皆さんとご家族のために、新年の始まりに祈り、祝福したいと思います。この時、イエス様に従う者にとって、社会的な行事とお祝いだけではなく、霊的にも重要な時になっています。元旦は神の母の祝日です。マリア様はイエス様のお母さんであり、わたし達の間にずっと住みに来られた神様のお母さんです。その事実によって、マリア様はわたし達に神様を顕示し、神様の方に導きながら、わたし達の心の中に優しく神秘的に神様の存在を感じさせるのです。イコネ(ご絵)のようなマリア様は、わたし達にとって天国の方へ開いた窓になっています。マリア様を通して、素晴らしい世界を観想することが出来ます。また、教皇様の意向で、元旦は平和の日に定められています。この日わたし達は、世界の方に目を向けながら、平和を祈ります。同時に、教皇様は全人類のために平和を願うメッセージを「平和の道として信教の自由」に向けられています。今年は1月2日に、主の公現の祭日を迎えることになりました。この祭日によって、教会は全人類に向けてイエス様が救い主であることをお祝いします。実はイエス様が公に自分の真の姿を現すのは、三つエピソードでなされています。一つ目は占星術の博士達がイエス様が生まれた所を訪れたこと、もう一つはイエス様が洗礼者ヨハネによって洗礼を受けたこと、またカナという地で結婚式の祝いの途中、水を美味しいワインに変えたことでした。このようなエピソ-ドは現在、三つの祭日に分けられていますが、公には、イエス様の真の姿を現す目的で束ねられています。
マタイによる福音書 1・1-12
1月2日にキリスト信者は、博士達のエピソードによって、イエス様が全人類に向けて、自分が救い主であることを現し、また、全ての人間にとってイエス様は希望であることをお祝いします。このようなお祝いは教会の歴史と伝統によって、面白く細かいことで飾られています。例えば聖書には複数の占星術師を書いてあるのに、キリスト信者の伝統によると占星術の博士達は3人になりました。それに、王様であることにもなってしまいました。けれども、わたし達にとって東から、星に導かれてユダヤ人の王を捜し求める人たちのことは、全人類の望みを示すことになりました。このエピソードの中でポイントになるのは、当時の王ヘロデに対峙するのは、わたし達のために生まれて神様に定められたユダヤ人の王であるイエス様です。そこで、どのようにイエス様が全人類の救い主であるのか、まず人間の心の有様を見抜くようにしたいと思います。人間がまず探し求めるのは、神様とのつながりです。だれでもこの神様からいただいた人生を豊かに送れるように願っています。そして、どんな人間でも、この人生が終わったとしても、その後も永久に生き続けることを願っています。上記の人類の希望は、占星術の博士達のエピソードの、イエス様の所に捧げた贈り物で象徴されています。それは乳香、黄金、没薬を通して例えられています。このような根本的な人間の心の希望に、どのようにイエス様が応えられるのかと言うことが、今日の祝いの中心的なメッセージです。命、真理、道である馬小屋に生まれたイエス様は、わたし達の心の中に、つまり人間の心の中に神様の命、神様の愛、神様の存在、神様の恵みがあることを実感させて下さいます、このようにイエス様が人類の心の希望を満たされるものとなって、どんな人間にとっても救い主であることを公に明らかにされています。
                                       
モヨリ神父
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A年 聖家族の主日 

2013年12月26日 | 神父様からメッセージ(A年)
喜びなさい、改めて言う大いに喜びなさい、救い主はわたし達のためにお生まれになりました。
今年も毎年のクリスマスの繰り返しではなく、神様へ、新たな素晴らしい喜びの時へと向かうことになりました。わたし達の目の前に大きな、素晴らしい光があります。そうです、今年もわたし達の目が覚めてきて、大きな素晴らしい光を見出すことが出来ました。ちなみに光と言う言葉は聖書の中に250回も出てくるそうです。その光はどのようなものなのかを、心から話してあげたいと思います。実はローマ帝国の時代に、キリスト教がまだ知られていない時のある年末のあたりに、すでに人々は太陽を祀っていました。それから、人間にとって神様が自分の心と体に、あるいは自分の人生の中に入りこんでいることに気づいた時、自分が透明なステンドガラスのように光で貫かいます。やがてわたし達の人生がいろんな色で染まってきます。自分が普遍的な光に属していることを実感し、その光によって人と世界の美しさが現れて、神秘的な調和を見るようになります。このような光によって生きる人間は、自分の素晴らしさを実感するようになります。降誕祭によって、太陽の光のような神様に貫かれた人間は、調和の中で生き、神様の見える姿になります。そのわたし達は神様の作品であり、教会の共同体の細胞です。同時にこの頃、お祝いされるイエス様のご家族は、聖ヨゼフ、マリア様、イエス様ご自身で、わたし達にとって、素晴らしい模範になっています。その模範の力に引きつけられて、わたし達も理想的な家族を造ることが出来ます。教会もわたし達の家族です、わたし達が生まれ育った家庭も小さな教会であり、神様の宿になっています。家庭は各人が重要な役割を持ちながら、神様から与えられた使命を果たす場です。
=降誕祭=
「ルカによる福音書」 2・1-14;ルカによる福音書 2・15-20;
「ヨハネによる福音書」 1・1-18
教会の共同体は、降誕祭を祝う時にイエス様の誕生だけではなく、神様が人間となった出来事、命の復活をお祝いします。教会は歴史の中に人間となった神様を祝いながら、いくつかの観点から、この神秘的な出来事を深めるように勧められ、典礼の中で伝えて来ました。このように教会は、お生まれになった赤ちゃんの姿の中に、ずっと人類と一緒に歩んでこられた神様の姿を見出すのです。また旧約聖書の時代に、神様が約束されたことを実現する出来事であると実感することができます。生まれようとする神様は、いつか大きな栄光を帯びて、再びまた来られることを予想できます。だからいつも開いた心で、来ようとする神様を心から受け入れられるようにしましょう。イエス様の系図で明らかにされたように、来られるイエス様はこの世の罪を背負って、神様の本願を果たす為に人間となって、神様の約束された救いの計画を実現しました。夜半のミサは、イエス様の光とその栄光を強調し、イエス様の誕生は、神秘的な出来事として見つめられ、だれでも天国にある喜びに参加するように誘われています。イエス様がこの世にお生まれになって、この世の小さなしるしとして人類に大きな希望を与えてくださいました。イエス様の誕生によって、人間は神様の光に満たされて、神様の世界に属するものとなりました。イエス様の誕生を受け入れる宿がなかったように、人間にとって神様の神秘性を受け入れることは簡単ではなかったけれど、その小さいしるしを受け入れることが出来た人は大きな喜びを味わうことになるのです。
★皆さん、今年も降誕祭の喜びを深く味わえるように、心から祈ります。  
                                   モヨリ神父 
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クリスマス 2013年

2013年12月23日 | メッセージ(その他)
皆様に心から、クリスマスおめでとうございます。
今年こそ、クリスマスの喜びは皆様の心が満たされることを希望します。特別にこのときに神様の光、神様の平和は皆様に豊かにありますようにお祈り申し上げます。
よいクリスマスを.....!!!
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A年 待降節第四主日

2013年12月19日 | 神父様からメッセージ(A年)
神様ご自分の思いを伝える為に、ヨゼフやザカリアやマリア様にも天使ガブリエルを送りましたが、わたし達にも日常生活の出来ごとの中で、ご自分の思いを伝えてくださいます。その天使はわたし達にも嬉しい知らせももたらましした。そのお告げは神様の思い、神様のみ旨のことですから、それを自分の心に受けとめれば、大きな喜びになるのです。天使のお告げの内容は、神様の素晴らしい計画です:わたし達の弱さを通して人を救う、癒す、喜ばせる、赦すことです。そうです、わたし達の弱さを通して、まず神様がいろんな人に不思議な救いの喜びを告げ知らせます。わたし達のために神様が送ってくださった天使は、日常生活の出来事の中でご自分の思いを伝えてくださいます。時によって色々な出来事の中でわたし達の思いと違って、神様はご自分の父の思い通りに進んでいかれます。神様の存在は弱い者に力になり、飢えた者を満たし、権力のある者を下ろし、低い者を高く上げ、憐れみをいつもお忘れになりません。そのことを天使が告知らせたのでした。神様がおっしゃることに耳を傾け、その計画に自分の身をゆだねれば何と幸なことになるのでしょう。そのために、天使がわたし達のところにも送られて、わたし達もマリア様と同じような大きな喜びを味わう事になるのです。
「マタイによる福音書」1・18-24。
 降誕祭はもう目の前ですが、朗読や祈りも大きな情熱を伝えます。神様が特別に人類に近づいています。イエス様は人間になった神様であり、おとめからお生まれになって、ダビデの子孫です。このような偉大な出来事に集中するように典礼が誘われ、来られる神様を受け入られるように祈ります。当福音書は三つの部分に分けられています。1番目は、どのようにしてイエス様がお生まれになったのか。2番目は、イエス様がどうしてエジプトまでいかれたのか。3番目は、どうしてナザレ人と呼ばれたのか、です。緊迫した状態の時にヨセフに天使の出現を受けて、全て旧約聖書にある通りになり、ヨゼフは天使の命令に従います。ヨゼフはすでに身ごもっているマリア様を拒否しようとの思いを持ったところで、天使が現れて、ヨセフを安心させ、旧約聖書の預言の通りに、マリアを迎え入れることになります。マリア様は神秘的に神様によって身ごもっていたのです。それは、科学的に解明すべきできごとではありません。預言者の言葉を通して明らかにされていることなのです。ヨセフは矛盾ある出来事に直面しても、天使の言葉を信じて、神様のみ旨に従います。このような神様の計画は旧約聖書に預言されたように、マリや様とヨゼフの信仰を通して実現されました。初代キリスト信者の共同体でも、福音記者を通して、おとめであるマリア様の身ごもったことの中で深い信仰をもって神様のご計画を見られるようになりました。むしろ、神様の約束を実現されたことが仰ぎみられました。それによって神様が弱いものを通して人類の救いの計画を実現されたことも解明されました。神様の言葉を理解し、受けとめて信じた者たちにとって大きな喜びの一歩の始まりでした。
                                
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A年 待降節第三主日 

2013年12月13日 | 神父様からメッセージ(A年)
わたし達の降誕祭への準備は、この待降節の第三主日の喜びの中で進んでいます。 待降節はイエス様の到来を期待することですが、イエス様は確実にわたし達のもとを訪れてくださいます。つまり「神の国」が近づいているので皆にとって大きな喜びとなっています。 今日のミサの典礼では、その為に喜ぶように勧められています。 感謝の祭儀をたてながらわたし達は心の中に深く大きな喜びを感じ、それを祝うようになっています。典礼はキリスト信者にとって、その意味で心の中にある神秘的な思いが祈り、言葉、儀式を通して祝うことです。 わたし達に大きな喜びをもたらした救いの出来事を思い起こし、記念し、その喜びで神様に感謝し、又周囲の人と共感しながら祈りの中で祝うことです。それは典礼の意味であり、わたし達はいつも教会で典祭する時にこのような素晴らしい行事を行っています。12月13日は聖ルチア殉教者の記念日です。ルチアと言う名前はラテン語でルクス「LUX」:光を意味しています。実は聖ルチアは盲目にされて、殉教されましたが、それによって光の象徴となりました。ヨーロッパでは、聖ルチアは頭にろうそくの冠を置いた姿で画かれています。さて、降誕祭へ向っているわたし達は聖ルチアの取り次ぎによって、より大きな光で心を照らしていただけるように願いましょう。 光はイエス様です。 今度来られるイエス様は世の光なのです。
「マタイによる福音書」 11・2-11
待降節第三主日の福音書は、イエス様を出迎える準備をする洗礼者ヨハネが、現在のように疑う心をもつ人に答えています。 大きな喜びをもってメシアを期待する共同体は、もう一度救い主の姿を目の前に描いています。当福音の箇所は、はっきりと二つに分かれています。メシアとしてイエス様の紹介と洗礼者ヨハネの紹介です。まず、洗礼者ヨハネがイエス様のところに弟子達を送って尋ねさせます。「来るべき方はあなたでしょうか?」その時、イエス様はご自分の計画、目標、使命を明らかにされています。そしてイエス様自身が群衆に向かって「あなた方は、何を見に荒野へ行ったのか。」と、問いかけられています。イエス様がカファルナウムの会堂でも宣言されたように神の国を予言しながら、「目の見えない人は見え、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」と洗礼者ヨハネの使命を紹介して答えてくださいます。このように降誕祭の時、救い主を期待するわたし達にとって、心の中に、大きな光を見出すようになりました。救いは見えること、聞こえること、喜んで生きること、良いメッセージで支えることとされ、それは救い主であるイエス様ご自身のことです。だから喜びましょう、主が近づいておられます。わたし達の救い主は到来しています。その到来は、最終的なイエス様の到来をも示しています。その時こそ、「神の国」もわたし達の方に近ついているのです。不自由な人、迷っている心、疲れたものの為に、大きな希望の時になっています。喜びましょう。今日典礼の中で洗礼者ヨハネの姿を見つめて心の準備をすすめ、心の中に残された多くの疑いを乗り越えて、イザヤや預言者達にも勧められたように喜びましょう。このように導かれて、心の準備を整えながら降誕祭に向かって行きましょう。
                                モヨリ神父

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A年 待降節第二主日

2013年12月06日 | 神父様からメッセージ(A年)
待降節の典礼では「目を覚まして…」と言う表現をよく聞きますが、実際にこのイエス様の誘いを聞いてどうすればよいのでしょうか。今、キリスト信者の目の前に、輝くまぶしく素晴らしい光があります。それは今度クリスマスに来られるイエス様です。目を覚ますことによって、光であるイエス様を見ることが出来ます。目を覚ますことによって歩く道も見えます。神様は人間と一緒に歩いています。目が覚めれば歩く道の美しさも見えるし、その道の苦しさ、その道の目的地も見えるようになります。その道はわたし達の人生です。いろんな幻、夢のような不思議な現象にとらわれている人間は、盲人のように生きていますが、時によって目を覚まして自分自身の方に目を向ければ、自分の人生を見つめて、その素晴らしさ、その居場所、その現実を見ることが出来ます。同時に危険な所も見出して目覚めたことによって避けることが出来ます。道端に、生まれつきの盲人のように佇むわたし達は、クリスマスの時に迎えようとする救い主であるイエス様に見出され、目覚めて大きな喜びの中でメシアであるイエス様に出会うことになるのです。
「マタイによる福音」 3・1-12
当祝日の第一朗読では、預言者イザヤが神様に再び会う為に指導し続けています。第二朗読の福音書には洗礼者ヨハネも登場して、神様に会う為にふさわしい回心を呼びかけています。神の国をふさわしく受け入れる為に、つまり神の国に属する為に自らの心、思いや行いも、洗礼を受けて変えなければなりません。だから洗礼者ヨハネの誘いは力強く神の国に属したい人に改心を呼びかけています。改心とは、まず心を変えることです。その変化は外面的な変化、行動や生き方、習慣などを変えるだけでもなく、まず自分自身の心を変化させ、自分の人生の方向、またその考え方を変えるのです。神様に背く行いを取り除き、神様の思い通りに行い、心を込めて生きるのです。洗礼者ヨハネが勧めている改心は、自分の人生に、自分の心に神様を中心に据えることです。洗礼者ヨハネが求めているのは道徳的な生き方ではなく、心の完全な転換です。つまり神様は自分の心の宝、自分の人生のあり様の中心であるのです。そうすれば人間の考え方が完全に変わり、神様と同じように考え望むようになります。このような人の変化は、ヨルダン川で洗礼者ヨハネの洗礼によって示されていました。洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、このようなしるしによって改心した者たちはより深い、より素晴らしい神秘的なしるしを見出していました。それはメシアであるイエス様がなされた聖霊による洗礼です。その洗礼による大きな愛の力によって、人間が神様と一つになって、神様に属する者になったことを悟ったのです。
                                     モヨリ神父
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