カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

毎週の一言 1-3

2008年04月26日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

  豊かになった緑の中に立てられた幟旗や、そよ風にそよいでいる鯉のぼりは五月の子供の日の祝いの近いことを知らせ、又連休のゴールデンウィークが間近になったことを大きな喜びと共に予想させてくれます。
キリスト信者にとって、五月はマリア様に捧げられた月になりますから、ロザリオの祈りを味わう時になっています。マリア様への祈りのロザリオはもっとも観想的な祈りで、いろんな伝統的な方法で唱えることが出来ます。たとえば静かな夜のひと時に、野外で、それぞれの自宅で、あるいは教会聖堂で、小さいグループで、又は一人でも静かに唱えることが出来ます。
復活節の第六主日の福音書は、もう間近になった大きな祝い:主の昇天と聖霊降臨のため心の準備をしてくれています。イエス様の話しには強調された言葉が一つあります、それは「愛」のことです。普遍的に神様に愛されている私たちは、どのようにその愛に応えることが出来るのでしょうか。イエス様は次のような行いを勧めてくださいます。「私を愛しているならば、わたしの掟を守る」確かに掟というのは日本の字で表すように、厳しく手で定めたことを示していますが、聖書の中では、その言葉のとりかたは少し違います。旧約聖書によりますと、十戒、神様が教えてくれた掟は神様との愛の約束のしるしとして扱われています。イスラエル人たちは神様の愛に応えるために、神様の掟を約束として、厳しく守るように決めていました。ヨハネ福音者は掟と言う単語はイエス様の言葉であると示しています。だからイエス様の愛に応えるために、愛された人はまず、イエス様の言葉を聞いて受け入れます。そしてその言葉を大切にし、生かすことです。その言葉を大切にすることによって、私たちはイエス様の愛に応える事が出来ます。イエス様を愛する人にイエス様は大きな愛情の中で、ご自分の姿を現します。実はその言葉の深さを理解させるのはイエス様が送ってくださった聖霊です。その霊は私たちと一緒にずっとおられて、犯罪人を守る弁護士のように見守ってくださいます。 そしてヨハネの福音書によりますと、私たちの耳に不思議に聞こえるイエス様の言葉がもう一つあります。それは「父の内にいること」「イエス様が私たちの内にいて」「私たちがイエス様の内にいます」と繰り返される、この「内」と言う単語でイエス様は自分の愛を示しながら、自分の思いを全て私たちに示しています。 たとえば嫁に行く人の場合、00家に入ると言います。その嫁にとって自分の家族、自分の思い、自分の理想は愛の内に入った家庭が全てになります。イエス様の言葉も同じようにとるべきです。 イエス様が愛の用語を使って、どのように私たちの人生の内に生きておられるか、またどのように私たちがその愛に応えるべきかと語りかけてくださいます。
                                モヨリ神父                     《お知らせ》
†毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、イエス様のたとえ話の勉強会があります。信者でない方でも参加ができます。

カトリック山鹿教会

2008年04月19日 | 神父様からメッセージ(C年)
苦難にあった者の詩

大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと
神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと
弱さを授かった

偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことをするようにと
病気を賜った

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

求めた物は1つとして
与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた

神の意に添わぬ者
であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はもっとも豊かに祝福されたのだ

作者不詳の詩
ニューヨーク市立大学のリハビリテーションルームに刻んであった詩です。
J・ロジャー・ルーシー神父の詩として知られています。
ベトナム戦争で負傷した若者の詩と言う説もあります。
渡辺和子シスターがこの詩を日本語で訳し、「領収書の祈り」と題したエッセイの中に、書かれているので「領収書の祈り」とも言われていることがあります。

毎週の一言 1-2

2008年04月19日 | 神父様からメッセージ(C年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

ますます増えてきた数え切れない若葉は薄い緑で、全ての木々を染めています。このような綺麗な景色がカラフルな花でも飾られて、とても穏やかな春と共に、大自然が神様を自分の美しさで賛美しています。すべてのものが心の中に平和を感じながら神様に感謝しています。
復活節の第五主日のメッセージは、自分がどこへ行くのか知らない私たちにとって大きな慰めの言葉になっています。まずヨハネの福音記者の思いによりますと、イエス様がわたし達が失望しないように励まされています。イエス様はこの発言をされた時にご自分の受難の直前でしたが、同時に弟子たちの心を見抜いて、自分との別れによって、弟子達の心を騒がせたりしないように、悩まない、悲しまないように慰めようとします。例えば私たちも、神様がありのままの弱い私たちを受け入れてくださるか、愛してくださるかどうか期待しながら悩んでいる時があります。思い通りに物事が進まない時、又は自分の生き方についてこれで良いかどうか判断しにくい時、神様の哀れみに不満を持っています。けれどもイエス様が「心を騒がせるな!」と言ってご自分の限りのない愛を示しながら、神様の約束された慰めの言葉に信頼を置くように勧められています。
 さてイエス様は私たち一人一人のために、住める場所、永遠にいる場所を準備してくださるとおっしゃっています。その場所の特徴は神様の家であり、皆が集まれる場所です。そしてイエス様がいるところと、私たちが神様に誘われて行くべきところはまったく同じです。イエス様自身がご自分の死によって準備してくださった場所で、今もこれからも私たちと一緒に永遠に生きために、待っておられます。イエス様自身が私たちを迎えにきて、ご自分がおられるところに、つまり神様の懐に私たちを導いてくださいます。
 では神様の家、イエス様が準備されるところへ行くために、どうしたらいいでしょうか。まずそこにつながる道はイエス様自身です。それでイエス様自身が「私は道である」とおっしゃってくださいます。イエス様の姿を見ることにすれば、神様自身を見つめることが出来ます。イエス様のことを深く知ることにすれば神様の心を知ることが出来ます。そのようにイエス様は私たちの「道」です。人間はどんな時代でも、自分の元の姿、本来の姿を探し求めました。人間は自分自身を神様の姿に(神道の鏡の意味を参考にして)写す事によって、自らの素晴らしさを知ることができます。それを人類に教えたのは自らの大きな愛によって人生を捧げたイエス様です。イエス様は人間でありながら神様の姿を写してくださいます。神様として普通の人間の姿、つまり貧しい人、小さい人、弱いものの心を通して自分の姿を見せてくださいます。そのように神様へ導く道であるイエス様は私たちが憧れている真理、私たちの日常生活の命です。                      モヨリ神父

《お知らせ》

†毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、イエス様のたとえ話の勉強会があります。信者でない方でも参加ができます。

毎週の一言 1-1

2008年04月12日 | 神父様からメッセージ(C年)
イエス様のことを愛される皆様へ、
  
 入園式や入学式を祝うこのごろ、さわやかな風景の中で、子供達から大人まで新しい気持ちになって大きな喜びを味わっています。桜の花びらは雨風に散り始めましたが、風景の美しさは菜の花や他の春の花で守られています。
 わたし達の若い頃の遊びを時々思い出すと、今でもわたしの唇に微笑みが浮かんできます。その遊びの中でとっても気に入っていたのは、想像力をつかって、自分の姿を変身させて、さまざまな動物の姿を真似たり、人間の色々な職業とそれぞれの仕事の独特なやり方を真似たりして遊ぶことでした。皆にとって大きな楽しみでした。そのような遊びは仏様でも好んだような気がします。皆さんが13仏のことを思い出してみれば、仏様も色んな姿に自分を変えて人間の救いを求めていたことがわかります。人類を守る不動明王の姿、阿弥陀如来、女性の姿にさえになった観世音菩薩、病気を治す薬師如来、弥勒菩薩・・・等々、このように仏様が自分の姿を変えながら、人類の救済を求めています。 同じように、姿を変えたイエス様のたとえ話もあります。
 さて、何度読んでも感動させられるヨハネの福音書によるイエス様の中心的なたとえ話を見てみましょう。復活節の第四主日の福音書によると、イエス様は自分の姿を良い羊飼いに変身させて、自分の羊との関わりとつながりについて語ってくださいます。まず、羊飼いは羊に対して大きな慈しみと愛を示しています。一人一人の顔、気性を知っています、皆の声をわきまえています。一人一人を大きな愛情で包んでいます。同時に羊は自分を愛する、見守る羊飼いを知って愛しています。良い羊飼いは、いつも後ろから自分に属する羊を見守っています。それだけではなく、同時にイエス様はわたし達に羊飼いの姿を示しながら、ご自分の姿を羊の囲いの門にも変えています。
 このようなイエス様の姿もわたし達にとって欠かせない姿になっています。イエス様がわたし達を導いてくださる良い羊飼いと言うだけではなく、囲いの門であるイエス様が神様のありのままの姿を紹介し、神様の方に本当のつながりを開いてくださいます。だから私たちはイエス様の門を通して神様に出会い、神様を知ることが出来ます。そのような門が、もうひとつの門を例えてくださいます。それは教会の門です。だからイエス様が教会に入る唯一正しい門であり、正門です。教会に入ろうとしている私たちの目標はイエス様だけです。教会はイエス様の霊によって実現され、イエス様の門を通すとイエス様の姿である共同体に会うことが出来ます。
 羊の囲いである教会は皆がイエス様の霊によって生き、動き、お互いに支えあう場です。教会は一つの門だけをもっています。それは私たち一人一人を大切にする、愛し慈しんでくださるイエス様の心です。それを通さないで教会に入って関わると、イエス様の言葉に適わないことになり、心の悲しみにもつながることになっています。       モヨリ神父

《お知らせ》

†毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、「イエス様のたとえ話」の勉強会があります。信者でない方でも参加ができます。

山鹿カトリック教会案内

2008年04月05日 | 神父様からメッセージ(C年)
山鹿カトリック教会

<教会案内>
所在地   山鹿市山鹿563-5(山鹿市立病院東側入る)
電 話      0968-44-7436
司牧神父    最頼(モヨリ) 巖流 神父
主日のミサ 日曜日 午前10時30分
平日以下の時間には、神父が教会におり、扉が開かれています
火曜日 午後2時~4時
土曜日 午前9時~11時

毎週の一言 47 「復活節第三主日」

2008年04月05日 | 神父様からメッセージ(C年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

菊池神社や教会の周囲に美しく咲いている桜も、もう散り始めてしまいました。この世の美しさはこんなに早く消えてしまうなんて、誰にとっても大きな驚きですね。 実は「桜」の字は辞書によると「女の美しさを飾る木」の意味となっています。しかし、目で見える美しさよりも、心の美しさを求めるイエス様に従う人にとっては、簡単に消えるのではなく、いつもわたし達の心の中で輝いているもの! それは神様のイメージ、神様の存在です。神様の顔はこの世の美しさの中で輝いています。神様は美しさそのものです。
さて、今日の福音書のメッセージに耳を傾けましょう。キリスト信者の場合、誰でも「エマオに行く二人の弟子」の物語をよく知っていて、むしろ何回も読んだかあるいは聞いたことがあると思います。けれども誰でも、いつもそれを聞く時、新しい発見が伴うと思います。何回もその物語を読んだ私にとってもそうです。だから同じように、誰にとってもそうなると思っています。その理由は、神様の言葉である聖書のどんな個所でも、生きている言葉であり、読む人の心に触れると又、その人の心に入り込みその人の心の中で新しい思い、新しい気持ちを呼び起こして、その人の人生と生き方まで、新しく変えることがあるからです。
では、もう一度上記の物語に沿って、この復活節の第三の主日に神様が何を教えておられるかを見つめましょう。まずイエス様はわたし達と一緒に「同行二人」をしています。つまり、わたし達の人生の旅路をいつも、ずっと共に歩いてくださっているのです。でも、わたし達はその存在にたまにだけしか気づきません。イエス様はエマオへ行く弟子達と同じように、わたし達の辛い時期に、わたし達と一緒に歩かれていて、聖書の言葉を通してわたし達の辛い出来事を理解してくださっています。常にそばを歩いていてくださるイエス様が「私だ、恐れることはない」とわたし達の心に語りかけてくださいます。エマオ行きの二人の弟子は、復活されたイエス様とずっと一緒に歩いていたことに気づいた時、どんなに大きな喜びを味わったことでしょう。道中に消えそうだった希望は素晴らしく蘇えりました。だから、イエス様の言葉を通して味わったわずかな喜びでも、イエス様がわたし達のすぐそばにおられる証拠であり、失望の中に生きるわたし達のその失望をも、大きな希望に変えてくださいます。美しさは神様の姿です。喜びはわたし達と一緒に歩く復活されたイエス様の証拠です。 わたし達のふさがれた目を開いてくださるのは、大きな力を持つ二つの印です。それは聖書、神様の言葉、そしてパンを裂いていたイエス様の姿です。
                           モヨリ神父
《お知らせ》
†毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、イエス様のたとえ話の勉強会があります。信者でない方でも参加ができます。

あなたの人生も開花ができます!

2008年04月01日 | 神父様からメッセージ(C年)
募集
― †キリスト教への入信を求める方。
― †キリスト教の心を知りたい方。
― †聖書の内容を知りたい方。
☆4月から新しい講座が始まりますので、お申し込みください。
教会へ直接、もしくはお電話でも結構です。(無料です)
☆今年の講座のテーマは、
『イエス様が語られたたとえ話と奇跡の物語を楽しむ』
日時: 毎月第1・第2木曜日
    午前10時より45分程度
場所: カトリック菊池教会の別館
指導者:最頼(モヨリ)神父

☆「キリスト教」及び「聖書」について、やさしくわかりやすいお話のかたちで学べます。興味のある方はどなたでも、どうぞご参加ください。心よりお待ち申し上げます。

カトリック菊池教会  TEL 0968―25―2381
(菊池郵便局前)