カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

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毎週の一言 1- 8 (年間第九主日)

2008年05月31日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

この季節、降る雨は麦雨(ばくう)と言い、吹く風は(麦の秋風)とも言います。麦は雨に降られると品質が落ちるため、梅雨入り前のこの頃が収穫のピークになっています。それが終わると黄金色の麦畑は一変して、清々しい緑の早苗が整然と並ぶ水田へと変わっていきます。
菊池と山鹿教会も新しい風に吹かれているような気がします。その風は今度、堅信式のため来られる司教様です。教会にとって大きな意味のある出来事だと思います。司教様はイエス様の使徒たちの後継者であり、福岡教区の牧者です。このように教会の中心的な象徴です。そして、今年迎える殉教者の列福式が大きな勇気の風となって日本の教会を吹き渡っています。今日はマリア様の訪問の祝日を祝いながら、主の日、復活されたイエス様の祝日の心の準備をいたしましょう。マリア様は私たちの心にある喜びを、素晴らしい歌に表現されます。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」、日曜日の福音書は神の国について話すようにしていますが、天の国はわたし達にとってどのようなことか、霊的な概念ですから想像しにくいです。しかし「神の国」はイエス様自身です。イエス様やあるいは神様に親しみをつくるためには、言葉や願いばかりではつくれませんが、イエス様に象徴される神の国に入るためには、まず神様の言葉、神様の心、神様の思いを受け入れて自分の生き方の土台にするのです。イエス様はちょうどこの心の態度についてとっても綺麗なたとえ話を語ってくださいます。
岩の上に建てられた家、つまり丈夫な土台を持っている家は、いつでも神様のみ胸を受け入れ自分のものにして、物事を行う人に似ています。神様の言葉はわたし達の人生の中に、わたし達の心に注がれていますから、それを聞くため、受け入れるため、注意深さが必要です。そうしない場合、わたし達の人生は砂の上に建てられた家に似ています。ちょっとした嵐でも、わたし達の土台なしの生き方は倒れてしまいます。それでも、わたし達をいつも導いてくださる神の言葉を、時に受け入れられない場合があります。その時自分が以前にできたこと、行ったこと話した多くの良い事について自慢しても神様の目には無意味なことです。そのようなわたし達が神様に優先されるものではないのです。神様のみ胸を受け入れてそれに従って自分の生き方を合わせれば、心の平和や人生の喜びを得ることができます。日本の殉教者の人生の歴史に沿ってみれば、彼らが困難の中でも心の平和、大きな喜びを味わったのは神様のみ胸に従ったためです。自分の未来をいつも考える私たちにとって、人生を丈夫な土台の上に建てるべきではないでしょうか。だから私たちの行ったことを自慢せず、いつも聖書の言葉に表わされる神様のみ胸に従うように、私たちの人生の未来を定め、イエス様が勧められた思いを心に留めましょう。
                            モヨリ神父
*【注目】
毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります。
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イタリアー故郷の香り

2008年05月26日 | メッセージ(その他)
イタリア語聖書の勉強会に参加してみませんか?!

山鹿教会では、毎月第3火曜日午後2時から1時間余り、イタリア語聖書から「イエスのたとえ話」をテキストにイタリア語の勉強をしています。 ベルガモ生まれのモヨリ神父さまが先生です。生徒は初めてイタリア語を目にする人がほとんどなので、初歩の初歩から、かたつむりの歩みです。
5月20日は、マタイによる福音書25章1-12節「十人のおとめ」のたとえがテキストでした。 天の国を10人のおとめがともし火をもって花婿を迎えに出て行くことにたとえた箇所です。 イタリア語の文を見ていて、おとめは10人なので複数形なのは当然ですが、花婿が単数形なので、なぜだろうと先生に質問しました。
なんとおとめとは花嫁ではなく、付き添い、侍者のようなものだったのです。勉強仲間が横から、「集団結婚式?」と声をかけてきて、私は自分の大きな誤解に気付きました。四十余年もおとめが花嫁と思い込んでいたのです。
日本語では名詞の表現に、単数か複数かわざわざ表記しません。この箇所でも日本の聖書では「十人のおとめ」です。 花婿も複数と頭の中で勝手に思い込んでいたのです。 
神父さまは、花婿はイエスであり、花嫁は重要ではなので表面には出てこないことなども説明してくださいました。 イタリア語聖書のおかげで、長年の誤りを正すことができて、私は心から感謝です。
こんな大きな誤解をしている方がほかにもおられるとはとても思えませんが、思いがけない気付きもある、この勉強会に出席してごらんになりませんか。   (山鹿教会 川本清美 記)
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毎週の一言 1- 7 (キリストの聖体)

2008年05月24日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

麦秋の季節にふさわしく、菊池市の周辺は美しい金色で染まってきました。麦の収穫の時になって、すでに農夫たちの麦刈りが始まっています。それは日本画に見るような美しい景色を思わせます。その素晴らしい金色の景色の中で、教会は私たちに感動的な祝日を準備しています。
それはキリストの聖体の祝日です。皆が若い頃を振り返りながら、この祝日の意味を深めるようにしてください。
私の故郷の習慣では、キリストの聖体の祝日に信者たちは教会から出て、大きな行列をつくり、実ってきた麦畑の間を通って歩いていました。その時「恵みのパン・・・いつくしみと愛に・・・」を歌いながら、とても身近に神様の慈しみと愛を感じていました。わたし達はそれぞれが一粒の麦のようなものですが、その麦を挽き粉にすることによって、わたし達は皆で一つのパンになれます。そのパンはイエス様の体、復活されたイエス様自身です。そのパンは教会の心を表しながら、イエス様から教えられた愛を語ってくれています。焼きたてのパンをオーブンンから取り出すと美味しそうな香りがただよってきます。それを裂いて皆で一緒に食べると、私たちは一つの家族一つの心、一つの教会であることを感じます。そのパンはイエス様の言葉によって天から降ってきたパンです。つまり飢えを満たすパンであるだけではない、心や人生をも満たすパンです。そのパンはイエス様の肉です。このようにイエス様は私たちに、ご自分を身近な存在として現わされたのです。そのことでわたし達に限りない愛の意味を示してくださいました。
人間は親の愛によって生まれ生きています。そのお母さんから受けた愛は命であり、生きる肉と血になっています。洗礼によってイエス様から生まれた者達はイエス様から愛されその愛の形のパンで生かされています。
キリストの祝日にあたり、このような思いで心を満たしましょう。イエス様の言葉によりますと「わたしを食べるものも私によって生きる」
                        モヨリ神父

 《お知らせ》
†毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、イエス様のたとえ話の勉強会があります。信者でない方でも参加ができます。
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毎週の一言 1- 6 (三位一体の主日)

2008年05月17日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、


初夏の豊かな緑が雲のようにあふれて私たちの背景を包んでくれています。自然の中に暮らしている私たちは緑の雲の上に浮かんでいるような気がします。

今週は三位一体の主日にあたっています。神様について、皆に暖かい心で話したくてたまりません。しかし、語ろうとしたときに、うまく伝えることのなんと難しいことかと深く感じています。 三位一体とは神様の自己紹介です。ちょっと哲学的、神学的な表現ですから説明しにくく、神様のイメージはすぐにはピンとこないと思います。けれどもお互いに理解できるように助け合いながら、神様について感動的な話をすることにしましょう。

神様はだれも見たことがありませんが、イエス様が身近にその心、その姿を語ってくださいます。神様に向って、お祈りさえ知らなかった弟子達に、イエス様は次のことを教えました。「天におられる父よ」神様はわたし達のお父さんであり、わたし達といつも共におられます。皆のお父さんであり、皆を大きな愛情で守って、慰め支えています。このようにイエス様が神様を紹介し続けます。「御名が聖とされますように」神様はわたし達のお父さんであり、素晴らしい唯一の方です。わたし達の心を大きな喜びで満たしています。そして、全てのものよりも偉大であり、全てのものよりも一番大切なものです。このように神様の名前は高められています。「御国がきますように」神様の国は小さいもの、弱いものの国であり、愛の国です。そしてその「国」はイエス様自身です。神の国はもうすでにあなた達の間にあるとイエス様がおっしゃっています。その時、イエス様は神の国は自分自身であることを示しています。この国はどんなことよりも価値があって、小さくても宝物のようなものです。大きな力を持ち、どんな人をも含んで大きな木のように成長し、遠くまで心の枝を伸ばしています。次に「御心が天に行われる通り地にも行われますように」神様の神秘的な心は聖霊です。つまり聖霊は御父とイエス様の心を結びながら、神様の愛で燃える心を示しています。その愛の中に私たちのことも含まれています。聖霊は私たちと一緒に歩みながら、わたし達を見守り導き、わたし達の人生の計画を組み合わせています。わたし達の過ちを、いつも大きな御心で赦してくださいます。

では最後に今日の福音書も、聖霊の力で神様の姿が分かるように手伝っていただきながら読み進んでいく事にいたします。 イエス様が御父の愛を示す為にこの世に来られて、私たちの仲間、兄弟になり、私たちと一緒に歩んでくださいました。イエス様に担われたり、引っ張られたりする時がありましたが、愛する愛される道だけを教えてくださいました。その愛は無償で普遍的で、神様だけが示せる愛です。神様は誰をも滅びないようにと望まれるので、どうぞ大きな希望を持って前向きに歩むようにしましょう。神様はわたし達を必ず、大きな喜びのあるところに導いてくださり、腕をひろげてわたし達一人一人を、待っておられます。

                             モヨリ神父

《お知らせ》

†毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、イエス様のたとえ話の勉強会があります。信者でない方でも参加ができます。
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毎週の一言 1- 5

2008年05月10日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

花の季節を楽しんで過ごすうちに、神様の美しさを身近に感じるようになります。美しさそのものが人間の心に喜びと優しさを教えてくれます。人間は美しいものの中にいると、自然に人の心に出会い、人の心のつながりも速やかに作れるようになります。 さて、今年は5月11日が母の日ですね、お母さんの皆さん!おめでとうございます!皆の母であるマリア様の姿を見つづけながら、ロザリオを唱えることも忘れないようにしましょうね。 そして、今年も聖霊降臨を迎える日曜日になりました。教会の祝いの中でも、とても意味深く大切な祭日になっています。 まず教会の誕生日の祭日です 。聖霊降臨と言うのは日本語の表現ですが、ラテン語では「ペンテコステ」と言います。ラテン語の言葉は旧約聖書のイスラエル人の祝いを示しています。当時のペンテコステの時、イスラエル人は神様とのつながりの約束を更新して、イスラエル人たちは神様の掟を受け入れることを誓っていました。
イエス様が復活されてからの、初代キリスト信者にとって、ペンテコステと言うのは、まずイエス様が復活されてから五十日後を示し、その時にイエス様がご自分の息を弟子たちの上に吹きかけ、その中にいくつかの贈り物を弟子たちの心の中に置きました。そのイエス様の息に含まれた賜物を検証してみましょう。イエス様の息に含まれているのはまず、イエス様の命と心です。そしてイエス様の勇気、イエス様の智恵、イエス様の平和です。また神様に対する心構えも示されました。そのような贈り物を大きな喜びと共に受け取り味わった弟子たちは、大きな情熱をもって教会の心を作ることにしました。 弟子たちは、一つの心になって全世界にイエス様の心と言葉を広めましました。イエス様の息が吹きかけられた結果、全世界の教会が生まれました。創造の時に神様が息吹きを土の上に吹きかけたことによって人間が生まれたように、イエス様が弟子たちの上に息吹きを吹きかけ、復活したイエス様の姿を示す教会が生まれました。イエス様の初代教会は火が燃えたように、地震が起きたように振動して、色んな言葉に変化しながら全世界にイエス様の心が広がりました
聖霊降臨(ペンテコステ)は二千年前に起こった出来事というだけではありません。
たった今現在の出来事でもあります。自分の教会でもいつでも起きる出来事です。いつも忙しい私たち、この聖霊の起こした振動の中で信仰している私たちが、聖霊の働きを無視することが出来るでしょうか。 それに従って6月15日(午前10時)福岡教区のドミニコ宮原良治司教様が菊池教会に堅信式の為に来られます。その時こそ、菊池教会と山鹿教会にとって大地震のように皆の心が燃える時になり、私たちの教会は、新たな聖霊降臨の時となれると思います。大きな喜びと情熱をもって期待しましょう。

                             モヨリ神父

 《お知らせ》

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神父を紹介して。。。

2008年05月07日 | メッセージ(その他)
「ダイジョウブ!」

ウチの教会の神父様は最頼巌流と言うお名前です。モヨリ・ガンリュウと読みます。イタリア人のお顔で日本人です。ですから日本語をお話になります。パソコンで日本文も綴られます。サンタクロースの衣装を着たら「本物が来た!」と子供達が喜んだそうです。司祭館の裏の小さな畑で季節の野菜、バジルなどのハーブも育て、日本の牧場で牛の乳絞りのアルバイトもなさったとか。いつも、「ダイジョウブ!」「シンパイシナイデ!」と言ってくださいます。思う仕事に就けない娘に私も言いましょう。「ダイジョウブ!きっと・・・」と。
中川作
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毎週の一言 1- 4

2008年05月03日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

菊池公園のつつじの花がまるで花火のように華やかに咲いています。民家の玄関や庭、道端にさえ咲いている花は豊かになってきて、どんな目立たない場所でも美しく変身させています。道を歩く人の足元まで飾られているようで、神様は私たちの険しい人生の歩みを飾ってくれているような気がします。

五日の子供の日に、教会の小さな男の子も教会の未来ですから、皆で喜びのある祝いで囲んであげたいと思います。実は彼らも鯉のぼりのように、自分の人生の中、自分の信仰生活の中で、激流の中を進まなければならないので、私たちの祈りや支えや応援も必要だと思います。

又、五月に入ってカトリック教会の伝統によって、マリア様の姿は私たちの目の前に置かれています。私たちを見守る姿、私たちを神秘的な愛情で包む姿、私たちがいつか皆で行くべき場所を示す姿はマリア様です。マリア様は私たちに神様の優しさを伝える方であり、私達の悲しみと希望で塗りこめられた祈りを聞いてくださり、それを神様の懐に置いてくださる方です。

五月四日主の昇天の祭日にあたり、私たちの目はイエス様の弟子達の目と同じように、上に向かって、天国に上げられるイエス様の姿を見つめています。弟子たちは寂しい目で自分の人生から消えてしまうイエス様の姿を、人間としての生身の姿で見ていました。実はいつも弟子たちのために、より大きな喜びを求めてきたイエス様は、そのような行動によって弟子達のためにメッセージを残したかったのです。弟子達の目の前で姿を消そうとしているイエス様は弟子達に思わぬ大きな喜びを備えていました。まず再びお互いが会う約束をしました。山の上やイエス様が歩いておられたガリラヤの町でも、又この世の歩みを完成する時に、色んな所もまた確実に会える所になると伝えました。それだけではなく、ずっと弟子たちと自分に従った人々の支えとして一緒にいると予言しました。その時イエス様は約束として、一所懸命自分を信じる人に、又当時はまだ疑っている弟子達にも結び会う絆として、全ての人は神の子であること、また皆が父と子と聖霊によって神様に大切に愛されていることを、世の人々に告げ知らせることを弟子達に約束として一所懸命勧められました。

だからイエス様の昇天はこの世から、あるいは復活後弟子達の目が見たように消えてしまうイエス様ではなく、むしろ神秘的な方法でご自分を信じるものたちとずっといることの約束の時でした。同時にずっと私たちと一緒にいてくださるイエスス様とどこで会えるかを教え残されました。 イエス様を信じたもの達はどこででも、どんな時でも、ずっと一生一緒にいてくださるイエス様と再び会うことが出来ます。

                              モヨリ神父

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季節の詩 (マリア様へ捧げられた五月)

2008年05月01日 | メッセージ(その他)
夜来の雨に、今年の桜もほとんど花を落としてしまいました。毎年毎年、咲き始めから散るまで、まるで熱に浮かされたように桜の話ばかり。本当に日本人は桜が好きなのですね。ひとつひとつの花は小さくて目立たないのに、集まって一度に咲くとなんという華やかさ。別れの季節のはかない思い出、希望に満ちた門出の喜び、新しい出会いの胸の高鳴り。今年も日本中で、どんなドラマを演出したのでしょう。役目を終えて眠りにつこうとしている吹きだまりの花びらたちに、そっと聞いてみたい気がします。

(毎日新聞「はがき随筆」2008・4・16掲載)
 カトリック菊池教会の中川道代さんの作。

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