カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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降誕祭 2016年

2016年12月18日 | 神父様からメッセージ(A年)
ローマ帝国の時代に、キリスト教がまだ知られていない時のある年末のあたりに、すでに人々は太陽を祀っていました。それから、人間にとって神様が自分の心と体に、あるいは自分の人生の中に入りこんでいることに気づいた時、自分が透明なステンドガラスのように光で貫かれていると思えたのです。その時わたし達は輝いていて、周囲に素晴らしい景色、明るみも広げています。やがてわたし達の人生がいろんな色で染まってきます。自分が普遍的な光に属していることを実感し、その光によって人と世界の美しさが現れて、神秘的な調和を見るようになります。このような光によって生きる人間は、自分の素晴らしさを実感するようになります。降誕祭によって、太陽の光のような神様に貫かれた人間は、調和の中で生き、神様の見える姿になります。そのわたし達は神様の作品であり、教会の共同体の細胞です。同時にこの頃、お祝いされるイエス様のご家族は、聖ヨゼフ、マリア様、イエス様ご自身で、わたし達にとって、素晴らしい模範になっています。その模範の力に引きつけられて、わたし達も理想的な家族を造ることが出来ます。教会もわたし達の家族です、わたし達が生まれ育った家庭も小さな教会であり、神様の宿になっています。家庭は各人が重要な役割を持ちながら、神様から与えられた使命を果たす場です。
=降誕祭=
ルカによる福音書 2・1-14;ルカによる福音書 2・15-20;ヨハネみよる福音書 1・1-18
教会の共同体は、降誕祭を祝う時にイエス様の誕生だけではなく、神様が人間となった出来事、命の復活をお祝いします。教会は歴史の中に人間となった神様を祝いながら、いくつかの観点から、この神秘的な出来事を深めるように勧められ、典礼の中で伝えて来ました。このように教会は、お生まれになった赤ちゃんの姿の中に、ずっと人類と一緒に歩んでこられた神様の姿を見出すのです。また旧約聖書の時代に、神様が約束されたことを実現する出来事であると実感することができます。生まれようとする神様は、いつか大きな栄光を帯びて、再びまた来られることを予想できます。だからいつも開いた心で、来ようとする神様を心から受け入れられるようにしましょう。イエス様の系図で明らかにされたように、来られるイエス様はこの世の罪を背負って、神様の本願を果たす為に人間となって、神様の約束された救いの計画を実現しました。夜半のミサは、イエス様の光とその栄光を強調し、イエス様の誕生は、神秘的な出来事として見つめられ、だれでも天国にある喜びに参加するように誘われています。イエス様がこの世にお生まれになって、この世の小さなしるしとして人類に大きな希望を与えてくださいました。イエス様の誕生によって、人間は神様の光に満たされて、神様の世界に属するものとなりました。イエス様の誕生を受け入れる宿がなかったように、人間にとって神様の神秘性を受け入れることは簡単ではなかったけれど、その小さいしるしを受け入れることが出来た人は大きな喜びを味わうことになるのです。
★皆さん、今年も降誕祭の喜びを深く味わえるように、心から祈ります。   

モヨリ神父

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