カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」32

2012年06月28日 | メッセージ(その他)

「B 年 年間第十三主日    2012・7・1
 「カトリック教会の教え」から
「入信の秘跡―聖体」
入信の秘跡の中に、イエス様に従いたい人にとって欠かせない最初の秘跡、洗礼と一緒に聖体と堅信の秘跡も含まれています。その中で今回特別に、聖体の秘跡に注目したいと思います。イエス様の体は確かに復活されたイエス様自身の事です。それは祭壇でミサの時に、記念して祝別されたパンとブドウ酒であり、イエス様の言葉によるイエス様の体となります。このパンとブドウ酒で、つまりイエス様の体によって洗礼を受けた人は、新しい人生の歩みのため、強められるため頂く食べ物であるだけではなく、イエス様と一体となります。その神秘的な出来事は洗礼を受けた時に、初めてイエス様の体(パンとブドウ酒)を頂くことによって表されます。聖体の秘跡によって、神様とイエス様に従う人とが新しい契約で結ばれることになります。その契約は愛の約束です。昔はいけにえを捧げることによって行われていましたが、聖体を頂くと、イエス様がパンのように人間に食べられるほど、大きな愛を持って献身されていることが分かります。同じようにそれを食べるキリスト信者は、人の為に食べ物になれるほど自分の人生、心、体を神様と隣人に捧げ尽くすことになります。洗礼を受けてから、毎回キリスト信者は聖体拝領の時に、イエス様の死と復活を記念し、その普遍的な愛の中で生きるようになります。それを記念した時にキリスト信者は、イエス様の約束の愛を思い起こして、イエス様の愛に包まれてそのように生きるように決心し、イエス様の体そのものから支えられています。時によってキリスト信者は教会で、残された聖体を訪問し、祈りの中でこの不思議なしるしの神秘を黙想します。その時にイエス様に従ったものたちはイエス様と一緒にいて、神様の救いの御技に感謝します。
モヨリ神父
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「今週の公教要理の錠剤」31 

2012年06月22日 | メッセージ(その他)
B 年 年間第十二主日 2012・6・27
「カトリック教会の教え」から
「入信の秘跡―洗礼」
洗礼の基本的な印は水です。この秘跡の中の水は主に神様の命を例えています。入門式と志願式の段階を踏んで洗礼を受ける時、頭に水をかけることによって、神様の命で霊的に誕生することを思います。それに初代キリスト信者にとって水による洗礼の印は、イエス様の死の後、水から出ることによってイエス様と一緒に蘇ることを示しています。また洗礼式の中で新しい服を着ることは、イエス様自身を着ることを示しています。それに、ローソクの光を灯すことは、自分の人生の中でイエス様の言葉の光を灯す印です。それから洗礼名を頂くことによって神様のものとなります。最後に額に油を塗られた時に洗礼を受けた者は神様にこの世で証人として選ばれた者となります。洗礼は海を無事に渡ってエジプトでの奴隷から救われたイスラエル人をシンボル化して、キリスト信者が得られた救いを表しています。イエス様がヨルダン川で洗礼者ヨハネから受けられた洗礼は、キリスト信者にとって前兆となっています。イエス様は人間と共に洗礼の列に並んでいる時に、ご自分が神の子であることを明らかにされました。同時に弱い人間の姿を持って神様の愛、聖霊の働きも示しました。私たちは、洗礼によってキリストの体である教会の共同体に受け入れられて、イエス様の家族のように教会に属すことになります。洗礼を受けた人はイエス様のように生き、イエス様の心を証します。そしてイエス様と同じように人を愛して生きます。洗礼は大人の時でも、幼い時でも神様の大きな贈り物です。そのように受け入れるべきだと思います。しかし大人の場合、準備の過程と洗礼の尊さの意識は欠かせないことです.
モヨリ神父

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「今週の公教要理の錠剤」30

2012年06月14日 | メッセージ(その他)

B 年 年間第十一主日     2012・6・17
 「カトリック教会の教え」から
「カトリックの典礼」
神様と人間とが一緒に生きるようになって、典礼はイエス様に従う者にとって、信仰生活の欠かせない恵みの場となっています。カトリック典礼には人間が行動を通してイエス様に一所懸命に願って、神様にとりなしていただくだけではなく、教会で会衆と共に典礼を行うと神様が主役として人間と一緒になって、ご自分の赤心を表しながら人間の幸せと喜びを求めて導いてくださいます。 典礼は言葉と所作で歴史を渡って、民衆の習慣と文化に対話しながら、定められています。典礼に特別に注目すれば、神様によって人間がより高い世界に吸い込まれています。そこで呼びかけられる聖霊は、典礼を行うところに降り、その場で言葉に特別な力を与えて、行動により大きな効果の恵みをもたらして、語られることを実現します。二千年の歴史を渡って作りあげられたカトリック教会の典礼の中で新たな目で、つまり神様の目で世界に対する神様の愛と慈しみの歴史を見ることができます。誰でもそれぞれの自分の人生の歴史を、素晴らしい刺繍のように、神様自身の愛の約束の計画を見ることができます。全世界で同時に、どこででもまったく同じようにカトリック教会の典礼を行う時に、神様が特別に人間の人生に入り込んで、始めから成し遂げられたように人間を救われた時と場所を記念します。つまりイエス様自身がされたこととまったく同じように、典礼の中で今でも聖霊の働きによって神様が人間の生活の中において、イエス様が教えられたみ言葉の恵みと喜びで人の人生を満たしてくださっています。
モヨリ神父
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カトリック菊地教会の心

2012年06月07日 | メッセージ(その他)
カトリック菊地教会の心
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「今週の公共要理の錠剤」29

2012年06月07日 | メッセージ(その他)
B 年 キリストの聖体の主日   2012・6・10
 「カトリック教会の教え」から
「典礼と秘跡」
カトリック教会では「秘跡」と言う言葉が良く使われ、聞き慣れた言葉でもあります。それは主に教会で行われる儀式を示しています。その時に教会で行われる儀式は神様と人間が生きる現実の接点を示しています。教会で行われる儀式は全て典礼と言われています。教会の秘跡は儀式でありながら、私達の人生の中で神様の存在や慈しみを示しています。儀式が示すことはその通りに実現します。言葉や動作も人間の言行に属していますが象徴的に神様の言葉、思い、働きをも表し、神様の救いの働きを示しています。教会には柱のように七つの中心的な役割を果たす秘跡があります。特別にこのような教会の典礼に属している儀式によって、神様がキリスト信者の人生に入り込んで、自分の慈しみ、愛と導きを示しています。教会の典礼の中で行う秘跡(言葉と行い)は儀式の形であって、三位一体の働きになり、特別に神様はご自分の優しい姿で人間に身近に自分の心を感じさせられています。秘跡は洗礼、聖体、堅信、赦しの秘跡、病者の秘跡、叙階式、婚姻です。これらの印によって神様を信じるものの救いを求めて大きな恵みをくださいます。秘跡は人の人生の中で神様の働きですが、それを受ける人にふさわしい心構えがなければ、結果をもたらす印とはならないのです。どんな秘跡でも教会の典礼の中で受ける場合、心を込めて秘跡の恵みとメッセージを理解して、それを望んで頂くことによって自らの人生の中で、豊かな恵みと力を得るようになります。
                          モヨリ神父
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「今週の公教要理の錠剤」28

2012年06月01日 | メッセージ(その他)
B 年 三位一体の主日       2012・6・3
 「カトリック教会の教え」から
「秘跡」
「秘跡」ラテン語では「サクラメンツム」不思議な言葉です。カトリック教会でもめったに聞かれない言葉ですが、土台のような貴重な意味をもっています。その単語は何を語っているのか、少しでも深めるようにしたいと思います。単語自体の意味は「秘められた跡」と言います。近い意味を持った単語は、象徴、シンボルなどです。さらに信仰の目で良く見ると、私達の心の中に神様の不思議な足跡が残っていることに気づきます。まずキリスト信者にとって、イエス様自身が神様の秘跡であることがわかります。神様の救いの計画の実現の為に、この世にイエス様が使わされて、イエス様はこの世で神様の秘められた存在、働きとなって、私たちに神様の姿と心を示しながら、その「秘跡」となりました。つまり神様の存在、その心の印となりました。イエス様の教会も同じようにイエス様の体であり、イエス様の姿を示しながら、秘められた形で慈しみと愛を示す秘跡です。そしてキリスト信者の人生のどんな出来事の中にもイエス様がそこにいて助けておられます。最後に、キリスト信者の心に刻まれたように七つの「秘跡」があります。つまりその七つの形で、イエス様がキリスト信者の心と人生の中で働きかけておられ、ご自分の愛と慈しみと憐れみを示してくださいます。                  モヨリ神父
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