カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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B年 年間第5主日

2018年01月29日 | 神父様からメッセージ(B年)


 イエス様の苦しみと最も一致している病者はイエス様の力で支えられています。イエス様と共に苦しむ人はイエス様と共に喜びの中に復活します。癒しの油を塗布された病者は、人類の救いである自分の苦しみの目標を見出し、神秘的なイエス様の力で癒されます。
「使徒パウロのコリントの信徒への手紙(1)9・16-23」
 使徒パウロにとっての欠かせない義務は、福音つまり祝福の音であるイエス様を告げ知らせることです。それは教会の欠かせない義務でもあります。福音宣教は使徒パウロにとって自らを誇るものではなく、給料を得られる勤めでもなく、そのための特別な権利を持たず、心から福音を述べ伝えるためだけに特別な力と希望を感じています。それはイエス様です。使徒パウロはイエス様の言葉を伝える為に全ての人の奴隷になりました。弱い人にイエス様を知らせるため、また弱い人を得る為に自らも弱い人のようになりました。使徒パウロの心の中には確かに一つの希望がありました。それは、どんな人をも皆、イエス様のところまで導くことです。使徒パウロにはそのことこそが大きな喜びであり、人生の最高の目標だったのです。
「マルコによる福音 1・29-39」
 聖書の研究者によるとイエス様は、この頃、自分の小教区であったカファルナウムにおられます。つまりイエス様はカファルナウムでいろんな活躍をされました。会堂で話終って、ペトロとアンドレの家に行かれます。少し専門的にマルコの福音書をみてみることにします。まず、イエス様のことを弟子たちと同じようにあまり知らなくて、けれども身近に使徒パウロに係わったマルコはずっと歩き続けるイエス様の姿を描いてくださいます。さて、この箇所は4つの場面に分けられています。A)イエス様が病気のペトロの姑を癒されています。B)イエス様が奇跡を行い続けています。C)イエス様が祈られています。D)イエス様が福音を宣べ伝えています。この四つの場面の特徴を振り返ってみましょう。イエス様がペトロの姑を蘇らせ立ち上がらせています。つまり彼女のためにイエス様が新たな命になります。イエス様の力で生き返った者は人をもてなして奉仕します。次にペトロの姑に注がれた力と恵みは、苦しみ悩む人々にも与えられています。その後、イエス様は自分を知るためには聞いた言葉によるのではなく、自分と出会い深く係わった人だけが理解出来るのだから、自分の行いについては沈黙するように命じています。イエス様はそのためにも祈っています。実際イエス様の正体は人には理解しがたいものですが、イエス様自身が人の癒しや救いであることを教えてくださっています。
                                モヨリ神父

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