カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 B年 年間第五主日

2009年02月07日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

江戸時代、旧暦1月4日から3月にかけて行われた踏み絵は、キリシタンではないことの証や転宗を確かめるために、聖母マリアやキリストの絵姿を裸足で踏ませたことです。踏まないことでキリシタンであることが発覚し、多くの殉教者が出ました。教会歴で2月5日は、日本の26聖人の殉教者の祝日です。人は誰でも踏み絵を前に言葉を失って立っています。キリストが十字架を負われたように、人は時に自分の「うしろ」に「冷え」を感じて生きるものではないでしょうか。
さて、当主日に世界病者の日(11日)を迎えて、病者の秘跡を授けることになりました。イエス様の苦しみと最も一致している病者はイエス様の力で支えられています。イエス様と共に苦しむ人はイエス様と共に喜びの中に復活します。癒しの油を塗布された病者は、人類の救いである自分の苦しみの目標を見出し、神秘的なイエス様の力で癒されます。
使徒パウロのコリントの信徒への手紙(1)9・16-23
使徒パウロにとっての欠かせない義務は、福音つまり祝福の音であるイエス様を告げ知らせることです。それは教会の欠かせない義務でもあります。福音宣教は使徒パウロにとって自らを誇るものではなく、給料を得られる勤めでもなく、そのための特別な権利を持たず、心から福音を述べ伝えるためだけに特別な力と希望を感じています。それはイエス様です。使徒パウロはイエス様の言葉を伝える為に全ての人の奴隷になりました。弱い人にイエス様を知らせるため、また弱い人を得る為に自らも弱い人のようになりました。使徒パウロの心の中には確かに一つの希望がありました。それは、どんな人をも皆、イエス様のところまで導くことです。使徒パウロにはそのことこそが大きな喜びであり、人生の最高の目標だったのです。
マルコによる福音 1・29-39
聖書の研究者によるとイエス様は、この頃、自分の小教区であったカファルナウムにおられます。つまりイエス様はカファルナウムでいろんな活躍をされました。会堂で話終って、ペトロとアンドレの家に行かれます。少し専門的にマルコの福音書をみてみることにします。まず、イエス様のことを弟子たちと同じようにあまり知らなくて、けれども身近に使徒パウロに係わったマルコはずっと歩き続けるイエス様の姿を描いてくださいます。さて、この箇所は4つの場面に分けられています。A)イエス様が病気のペトロの姑を癒されています。B)イエス様が奇跡を行い続けています。C)イエス様が祈られています。D)イエス様が福音を宣べ伝えています。この四つの場面の特徴を振り返ってみましょう。イエス様がペトロの姑を蘇らせ立ち上がらせています。つまり彼女のためにイエス様が新たな命になります。イエス様の力で生き返った者は人をもてなして奉仕します。次にペトロの姑に注がれた力と恵みは、苦しみ悩む人々にも与えられています。その後、イエス様は自分を知るためには聞いた言葉によるのではなく、自分と出会い深く係わった人だけが理解出来るのだから、自分の行いについては沈黙するように命じています。イエス様はそのためにも祈っています。実際イエス様の正体は人には理解しがたいものですが、イエス様自身が人の癒しや救いであることを教えてくださっています。
                                モヨリ神父
《お知らせ》
†毎月、第1と第2の木曜日午前10時から信徒会館で、
 聖書による勉強会「使徒言行録の朗読と解説」があります。ご参加お待ちしています。
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A年 年間第五主日 (神父)
2009-02-07 12:29:37
イエス様のことを愛される皆様へ、
厳しい冬が進む中で、菊池を囲む鞍ケ岳、八方ケ岳また阿蘇の周辺の山々も雪のヴェールで飾られています。
カトリック典礼によりますと四旬節の第一の主日を迎えることになりました。四旬節の間は、灰の水曜日の福音書に勧められたように、祈り、施し、断食を行う時になっています。実際にどのようにすればよいのでしょうか、まず自分の人生を全部、神様への祈りにすれば、各行いをも神様に奉げることになり、全て、人の喜びのために生きることになります。そのように考えればわたし達は深いところで神様に関わることになります。 施しのことを考えますと人にあげるのはわたし達の心、わたし達の時間、わたし達の人生、わたし達の憐れみだと思います。そのようにわたし達は施しの目的を果たすことが出来ます。それは人の心を愛情で満たし、喜びを与えるのです。 次に断食するように呼びかけています。それは食べないでがまんすることだけではなく、実はキリスト信者は素晴らしい宴会のことを期待しています。それはこの世が終わる時に神様が皆を、全人類を誘って、大きな晩餐会を準備してくださいます。その普遍的な祝いを待つわたし達にとって、少しがまんする、断食する時にわたし達の思いがあの時に届き、そのために希望をもち、心の準備となるのです。 このような皆さんの努力は神様に見られています。全てを見ておられる神様はわたし達のために、想像できないほど大きな報いを準備してくださいます。
9日土曜日、皆さんは赦しの秘蹟をお受けになったと思います。その時に心を清め、神様に特別に深いつながりを設けるこが出来ます。このようにしてわたし達の復活祭までの歩みも力強く進むことができるのです。
10日、日曜日ミサの中で、ルルドの聖母の出現から150周年を思い起こし、マリア様に心から深い愛情を示しながらマリア様への祈りをしましょう。そして、当日は「世界病者の日」にあたっているので、皆さんに病者の秘蹟を授けたいと思います。体だけではなく、心の健康も願って、元気に、イエス様に従うものになりましょう。イエス様がおっしゃっていることは「わたしに従いたいものは自分の十字架を背負って私に従いなさい」、そのように丈夫な体、元気な心でイエスさまに復活祭まで身近に従うようにしましょう。 最後に四旬節の第一日曜日の福音書の内容に注目しましょう。それはイエス様が砂漠で受けた誘惑の物語です。人間は人生の重要な時にこそ、誘惑に襲いかかられるものです。その時に人間は神様のことを選択するように呼びかけられ、同時に悪の魅力に捕らわれ、簡単に色んな権力を獲得するように悪魔から勧められます。しかしその重要な時に、わたし達は神様の力に支えられて神様のみ心の通りに行うように呼びかけられています。イエス様にとっても同じことでした。苦しい状況(砂漠)の中で簡単に自分の人生の行き先、また自分の名誉だけを狙うように悪魔からすすめられました。しかし神様の力によってイエス様は神様のみ心だけにご自分の人生を捧げるようにして、悪を追い払ったのでした。 

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