カトリック菊池教会 


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私は教誨師

2013年03月24日 | メッセージ(その他)
私は教誨師 2013年3月22日

教誨師に任命されてからほぼ二年が過ぎたところです。今まで経験がなかったこのような役目をはじめてからを振り返ってみれば、現状を理解しないままに進み出し、心の中で「これでいいでのだろうか」と何回も繰り返し考えてきました。しかし、このようなおぼつかない歩みの中に少しずつ日差しが射してきて、大きな喜びを感じるようになりました。このような喜びはどこから来るのか考えてみると、収容者との面会の時間の中からと思います。
まず日本の刑務所の組織に関わった段階で驚いたのは、細かい所まで、人間に対する大きな尊敬を持ちながら、積極的に刑務所の役目を果たし、いろんな問題に取り組んでいることと、そのいろんな考え、取り組みを身近に見たことでした。次に収容者に面会した時に、私が教えてあげたことよりも、私が彼らから教わったことの方が沢山ありました。
さて、出会った収容者の全員ではありませんが、何人かの心を知ることによって、とても素晴らしい心を持った人にも出会うようになりました。大きな犯罪を犯した人に出会ったこともありました。けれども皆の緑の制服の中のそれぞれに違った性格に気付き、それぞれの考えも異なって、生き生きとしている心があることも実感しました。時によって人生について、信仰についていくつかの質問をされたことがありました。その時私の答えに一生懸命耳を傾けてくれたことは、大きな驚きともに良くわかりました。それでも収容者たちのそれぞれの日常生活の中でお役にたてたかどうか、あるいは、話してあげたことを実行されたことがあったかどうかはわかりません、しかし耳を傾けられた瞬間に、本人達の心の底に何か響いて感じてもらえたと分かりました。
収容者に会う時にいつも握手をしています。その時、言葉以上にその小さなしるしによって心が通じたなぁと感じています。聖書の中でもイエス様が病気の人、弱い人、罪人に近づく時にいつも、相手の手に自分の手を置き、相手に触れるようにされて、大きな癒しの力を与えていました。そのつもりで、うまく言葉に出来ないのですが、普通の人、普通の人生のぬくもりをも感じさせてあげたいと思ったのです。優しさはどんな壁でも突き破って、どんな心でも開きます。またクリスマスと復活祭の時期にも、他のキリスト教団体といっしょに収容者のために舞台での催しにも参加しました。その時も、とても素晴らしい行事だと思い、収容者の心まで届いたことがあったと分かりました。参加された方々の顔を見ながら、開いた絵本のように、いろんなことを読みとることが出来たとも思いますが、一番嬉しかったことは収容者の笑顔を何度も見られたことです。最後に熊本刑務所始まって以来初めて、刑務所内でミサを立てることが出来て大きな喜びでした。その時にイエス様をこんなに、目で見えるぐらい身近な存在に感じて、神様と支えてくださった中村牧師さん、教育部の担当警備さん達にも大きな感謝を申し上げたいと思います。

最頼 巌流神父


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