カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」48

2012年11月22日 | 神父様からメッセージ(B年)
B年 王であるキリストの主日  2012・11.25
 「カトリック教会の教え」から
「良心とは」
どんな人間でも良心を持っています、それによって善悪を判断し、それに従って行動します。確かに皆にとって同じ判断はできませんが家庭と社会の環境、教育や宗教によって異なります。しかし親にとって子供の良心を小さい時から育てるのが義務であり、大変重要なことです。丈夫な強い良心が育てられた子供は人生も安定し、未来を安心して迎えることが出来ます。そうではない場合、実際に何が良いことかを見失うことになります。良心によって自己中心的な生き方から解放されて、他者の存在を認めて、相手に尊重されます。時によって良心は神様の声になります。その声を聞き入れる時に良いことを選び、それを実行し、逆に拒否する時に罪を犯したり、神様から離れてしまうのです。特別に神様の声である良心は、人間の人生の道を選ぶことに深くかかわります。特別にイエス様に従う選択になった場合、聖職者として、神様の声や自分の良心の声をきくことは欠かせないことです。自分の良心がイエス様の言葉のもとで育てられた場合、つまり聖書を読んで勉強しながら、神様の思い通りに生きるようになります。その時、良心は自分の人生の素晴らしい指導者になります。福音書によると神様はイエス様に従った人の心の中に宿られます。それは良心の場所であり、神様といつも話し合う、あるいは相手確認の場になります。神様との話し合いは祈りといい、むしろ正確に確実に善と悪を選べる方法になります。なぜなら神様の思いは自分の思いになるからです。それに従って良心の中で、いつも周囲の人々を心にかけるようになり、人を助ける拠り所になります。確かに良心は厳しい選択の場にもなります。たとえば命と死が関わる場合、家庭生活の中で、信仰と他宗教に関することや子供の教育において、神様の思いに元づいて、自分の良心にとって一番良い選択を考えれば神様からも認められます。
                                               モヨリ神父

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