カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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B年 年間第三主日

2018年01月16日 | 神父様からメッセージ(B年)


 今年に限りカトリック典礼では、年間の第三日曜日に使徒パウロの回心の祝日が重なっています。そこで使徒パウロの年にあたり、使徒パウロの回心を優先してお祝いすることになりました。全世界のカトリック教会にとって、自分の真の姿を明確にする機会となります。何故使徒パウロは使徒と呼ばれるようになりましたか、キリストの使徒の主な役割は何でしょうか、キリストの教会はどうあるべきでしょうか、このような欠かせない質問に対して、キリスト教会に属している私たちは、使徒パウロの回心によって答えることが出来ます。当祝日の第一朗読は、使徒たちの宣教による使徒パウロの回心を活き活きと感じさせながら三回語られています。ちなみに聖書の英訳では、使徒パウロの回心の文章は英文学の最高に美しい参考文になっています。
「使徒パウロのコリントの信徒への手紙(1)7・29-31」
 自分が生きるのではない、イエス様の中に生きるという回心によって、イエス様と一体となった使徒パウロは、この世に生きることよりも死が利益であることを思い、復活されたキリストと共にいるのは自分にとって真実のすべてであると述べています。人は生きている間、どうしても心は家族のものに、悲しみに、喜びに、この世の全てのものに捕らわれています。心の自由を求め続けた使徒パウロは、この世のすべては無であると知ることを私たちに勧めています。私たちに価値のあるのはキリストのみです。自分の人生を法律に基づいて生きようとした使徒パウロの心の中は、それらが完全に見えなくなったところに新たな素晴らしい光が見えるようになりました。それは神様の恵み、神様の救いだけです。そこから人間の自由と愛が生まれます。人間はいくら法律を守ろうとしても、いつも自分の弱さと欠点だけしか見えないようになります。使徒パウロはその光の中に普遍的な宇宙を見出し、法律の空しさを悟り、キリストの教会である生きたイエス様の姿を見、全世界に素晴らしい出会いの心を宣べ伝える生涯を生きました。
「マルコによる福音書 16・15-18」
 マルコの福音書は、使徒パウロがローマで死刑になったのち書かれた福音書ですから、使徒パウロの書簡の心に特に忠実に沿って書かれた書物であることがよくわかります。マルコは身近に使徒パウロを知り、その情熱に戸惑いつつ感化され、使徒パウロの言葉や働きに完全に捕らわれていたことがあったと歴史からわかっています。そのようなところは当福音書の中によく顕れています。イエス様の使徒である資格は、イエス様の復活の証人であることから発生しています。そのような確信をもった使徒は、復活されたイエス様から全世界に派遣されています。その派遣の目標は人々に福音を宣べ伝えること、そして神様が人の心の中にすでに行われた奇跡を確認し、「父と子と聖霊の名によって」洗礼を授けることです。このような使命を帯びて神様と共に働く人たちは、確実に神様に見守られ、支えられ、勇気と特別な力をも与えられて、神様のみ旨通りを神様と共に行うことになっています。
                            モヨリ神父

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