カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 B年 四旬節第五主日

2009年03月28日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

一年の中で最も美しい季節を迎えます。さて、「山が笑う」とは、早春の山々の木々が次第に潤みだし陽光に照らしだされた様子をいいます。また、もう少しすると街中をさっそうと飛び交うツバメの姿もみかけるようになります。ツバメは日本の冬を東南アシアなどで過ごし春の日本へ渡ってきます。ちょうど桜前線に相前後して日本列島を北上します。今年は桜前線の北上も早そうです。これからツバメと桜は競うように日本列島に春を届けます。四旬節のしめくくりを迎えることになりました。来週の「枝の祝日」と共に聖週間に入ります。四旬節は、洗礼を受ける人にとって意味深い時だったと思います。神様に近つき、神様の言葉の光に照らされ、新しい世界を見出すことができたでしょうか。イエス様の道を辿る人たちは、自分の信仰の弱さを実感し、自分の足りなさを憂うようになりますが、それを乗り越えられる支えは神様の恵み、神様の力だけです。「あなたの信仰があなたを救った」という言葉によって、イエス様が悩んでいる人に、命や健康、希望などを取り戻しました。自分の心を信仰で照らされた者だけが、身近に神様をみることができます。
へブライ人への手紙 5・7~9
ヘブライ人への手紙の当個所では、いくつかの衝撃的な表現があります。一つずつそれをみてみましょう。イエス様は人間として、花道を歩きながらこの世に来られたわけではありません。「涙をながしながら」と語られています。人間にとって神様の姿、神様の心は受け入れやすいものではありませんが、神様は人間の心に入る時に、ご自分の言葉によって新しい計画をもたらし、深く人間の生き方を問われています。それを人類に語ろうとされたイエス様は、困難の中で神様の子としてご自分の命を捧げ、神様の心を見せてくださいました。イエス様が「完全なものとなられました」ルカ福音記者がこの言葉を解いています。「あなたがたの父が憐み深いように、あなたがたも憐みのあるものになりなさい」 マタイは「憐れみ」の代わりに「完全」という言葉を使っています。イエス様は神様の御心に「従順」でした。全く神様の思い通りに生きられました。それは私たちの救いの源、まさに永遠の命の源になりました。イエス様が私たちにも、自分の命を捧げるほどに神様の思いの通りに生きるよう教えてくださいました。
ヨハネによる福音書 12・20~33
復活祭に洗礼を受ける人は最終的な準備に向います。当時のギリシャ人(一般の人)のように「お願いです!イエスにお目にかかりたいのです」と希望を持ってイエス様に近づこうとしています。私たちにも洗礼を受ける人たちにも、イエス様が土に落ちる種のたとえ話を教えてくださいます。この究極的な愛の例えで言い換えれば、私たちはイエス様の運命に一対化されています。当個所での重要な言葉は「今、このとき、今こそ」というのです。このたった今、この生きている瞬間、私たちもイエス様と同じように死と復活を経験します。だからイエス様にとって、イエス様に従った者たちにとっても死は土に落ちた種のように最終的な目的ではありません。イエス様と共に蘇る、生きる、実ることです。この私たちの孤独な瞬間の中にある苦しみは、イエス様と共に復活の栄光の源になっています。
                                        モヨリ神父
《お知らせ》
†毎月の第1と第2の木曜日、午前10時から信徒会館で
 聖書による勉強会「使徒言行録の朗読と解説」があります。ご参加お待ちしています。

毎週の一言 B年 四旬節第四主日

2009年03月21日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

春分は24節気の一つで3月20・21日頃です。「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句がありますが、春の「彼岸の中日」が春分の日です。この時にお墓参りをしたり、先祖を祭る行事を行ったりする地方もあります。「春分の日」は「自然をたたえ生物をいつくしむ」国民の祝日となっています。この春分の頃は、小学校に入学する子供の準備の時期でもあり、買ってもらったばかりのランドセルを、ためしにしょってみる子供の様子は、いかにも微笑ましいものです。この時期私たちの心も目も、自然の美しさに満たされながら、四旬節の十字架のしるしを見つめています。美しさばかりを探し求める私たちの目に、十字架はどこに美しいところがあるのでしょうか。それはキリスト信者にとって、十字架のしるしを通した神様の限りない愛を見出せるというところです。それは神様の勝利なのです。
使徒パウロのエフェソの教会への手紙 2・4~10
使徒パウロは神様の愛について語ってくださいます。私たちの罪は神様の限りない愛によって赦されています。罪によって死ぬべき私たちは、神様の愛に包まれて、イエス様と一緒に生き返ることができました。神様の命は大きな恵みであり、心の力、希望、人生を満たす喜びです。イエス様の生き方を通して、またイエス様の死によって、神様の愛は慈しみ豊かな恵みで満たされた心だと明らかにされました。罪によって神様から遠去かった私たちの心を、神様はこの世を創造したときのように作り直しました。だから私たちの行いはイエス様の命によって新しくなり、私たちの人生もイエス様と一致して神様の心を現わす生き方になっていきます。
ヨハネによる福音書 3・14~21
イエス様が、ファリザイ派に属し真実を探し求める人に出会います。二コデモでした。当時、哲学者ソクラテスの言葉が流行っていました。「マイエウチカ」です。それは先生の言葉や知恵によって新しく生まれ変わるということです。イエス様の話しを聞きながら、二コデモの心も新しく生まれ変わろうとしています。イエス様が「上を(十字架を)見るように」ニコデモを導いています。使徒ヨハネにとって「見る」と「信じる」は全く同じ意味をもっているので、二コデモは十字架を見てイエス様の話によって、神様の救いと御技を見させられています。つまり神様の愛を理解することによって、新しい世界に新しく生まれることになります。四旬節の第4主日の特徴は「喜び」です。「ドミニカ レタレ」といいます。悲しみと罪の中で生きてきた者たちには、イエス様の死と復活によって大きな希望が与えられています。世界の歴史、人々の歴史、その中に神様の愛の働きを見ることができれば、私たちがどれほど大切にされていたものだったかがわかり、その時に私たちの目が大きな光を見るようになり、新しく上から生まれることになっています。キリスト信者が神様と同じ目で十字架のしるしを見ることができれば、そのむごいしるしの中で、命と愛を見る(信じる)こともでき、神様と一緒に生き神様と同じ思いと行いを成し遂げることができるのです。        モヨリ神父

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 聖書による勉強会{使徒言行録の朗読と解説}があります。ご参加お待ちしています。

毎週の一言 B年 四旬節第三主日

2009年03月14日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

「春の鳥」と言えば一般に鳴禽類(めいきんるい)を指し、春禽(しゅんきん)とも呼びます。陽気が増すにつれ、彼らは繁殖期に入り活発に動き回り、声にも張りがでてさえずりだします。人家近くや野山でその声を聞いたり姿をみかけると、思わず心がはずみ楽しくなってきます。  四旬節が進んで、復活祭に向かっています。神様の言葉を大切にしながらより深い喜びを味わいましょう。神様の言葉を通して新しく気づくことが多くなっています。私たちには辛い時期がありますがそれは神様のせいではなく、むしろそれを通してみ摂理である神様がご自分の愛情を示してくださいます。そしてそれを乗り越えるように手伝ってくださいます。私たちの目の前にある十字架を見つめるようにしましょう。それは私たちの目の前に開いた本です。その中に知るべきこと、あるいは覚えることが沢山あります。私たちはどのように愛し合いながら生きるべきか覚えましょう。
使徒パウロのコリントの教会への手紙 1・22~25
使徒パウロは私たちの目の前に十字架のしるしを置いて、その意味を理解するように話してくださいます。長い歴史の中で、神様からのしるしを求めてきたイスラエル人たちは、十字架のしるしを見ても、つまり十字架につけられたイエス様を見ても神様の愛を理解せず、つまずき再び、メシアの敗北だけを読み取りました。哲学的であるギリシャ人たちも十字架のしるしを理解せず、愚かな矛盾に満ちたしるしだと使徒パウロの話を聞かず離れました。しかし使徒パウロは聖霊に支えられて、皆の前に十字架のしるしを置いてその意味を力強く語りました。神様はご自分の限りない愛を示すために、弱い者愚かな者を通して、私たちにキリスト・イエスの本当の知恵と本当の力強さを示してくださいました。使徒パウロはそれだけを宣べ伝えるために、自分の人生を尽くしました。人間の思いと違って神様の思いはより深い知恵、より強い力で人間を愛し導いてくださっています。
ヨハネによる福音書 2・13~25
この箇所で、イエス様は典礼、あるいは神様への真の礼拝を力強く教えてくださいます。イエス様が教えてくださる神様の礼拝は、神様の言葉を聞き入れることです。神様の赦しを得るのは生贄の数々、また商売によってではなく神様の言葉を聞くことです。イエス様は神様の言葉を聞かない人に対して、また神様にするべき礼拝を商売にかえる人に対して憤りを感じて、神殿から商売人を追い出しています。このしるしによってイエス様がいくつかの真実を教えてくださいます。まずご自分の正体は、旧約聖書に預言者が語るようにメシアであることを示しています。神殿は神様に出会う場ですがむしろ、本当の神様と出会う場はイエス様自身です。イエス様が神様の聞くべき言葉であり、私たちに神様の心を示すしるしです。イエス様の体は新しい神殿であり、神様に出会う場であって、真の礼拝ができる所なのです。神様の住まいである人間の体も商売の場ではなく神様に礼拝する所なのです。         モヨリ神父

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毎週の一言 B年 四旬節第二主日

2009年03月07日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

「啓蟄」とは24節気の一つで3月6日頃にあたります。この頃になると風の冷たさが日一日と和らぎ、大地も温かい日差しを浴びてどこかふくらんでくるように感じられます。冬眠していた虫、地虫、蛙、蜥蜴、蛇なども眠りから覚めて現れ始めます。「地虫出づ」ともいえます。このような小さな命の蘇りはイエス様に従った私たちにとって、より大きな出来事の参考になるのではないでしょうか。命のあり様でさえ区別されている人間ですが、聖書によると生き物は全て神様の命を誉めたたえるものになっています。命を評価しないものは神様を拒み、神様にとって大きな痛みになっています。当主日の朗読に思い起こされることは、ただこの真実です。神様は命の主であり人間が生き、罪や死や苦しみから蘇り、豊かに生きるように希望されています。
使徒パウロのローマの教会への手紙 8・31~34
もし年間の主日に第二朗読が独特な課題で進んでいるとすれば、待降節と四旬節における第二朗読は当時の典礼的な思いを深めてくれます。四旬節の間、節制と洗礼式への歩みを強調する朗読の中で、使徒パウロも適切な助言を与えています。まず使徒パウロは神様の観点や思いの中に入り込むように勧めています。そうすれば神秘的な出来事を見出します。私たちに神様が送ってくださったイエス様が私たちの運命と一致して、私たちの罪を取り除き新たな力と豊かな命を与えてくださいます。これは神様の義(慈しみ)と言われています。神様の右に座っておられるイエス様が、聖霊と共に私たちのために執りなしてくださいます。このような真実を前提にして、神様は私たちを罰せられるものではなく、むしろ私たちの代わりにイエス様が死なれたことによって、イエス様と一緒に復活させ、より豊かな命を与えてくださいます。このような出来事は洗礼の儀式で素晴らしく明らかにされています。
マルコによる福音書 9・2~10
イエス様と3人の弟子たちとの一生忘れられない経験が語られています。イエス様と弟子たちがエルサレムに向う途中のことでした。弟子達にはイエス様がメシアであること、また十字架のご受難に向かわれることはすでに分かっていました。しかしまだ理解されていないことは、イエス様の死が大きな喜びにつながることでした。人間にとって言葉だけでいろいろ理解するのは場合によって難しいものですが、実際的な経験によって目と心が一度に開かれる時があります。さて弟子たちが神様に出会ったできごとに注目しましょう。山に登ったこと、そこでイエス様の姿が変わったこと、イエス様の服の白さがこの世のものとは思えない輝く白さであったこと、突然現れた雲のこと、その中からの神様の声などの聖書による表現は、神様と人間の間の神秘的な存在を示しています。その場面に巻き込まれた使徒ペトロは他の弟子たちの代わりにも「ここにいるのは素晴らしい!」と叫んでいます。なぜならその時、弟子たちはイエス様の本来の姿を見ることが出来、今度復活されるメシアである神の子を身近に見つめることができたからです。その時から弟子たちはイエス様の言葉だけを聞くべきだと悟ったのです。
                             モヨリ神父
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