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酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

東松浦半島(佐賀県)一泊旅行〔1日目〕

2020年07月14日 | 旅行記

「東松浦半島」と言っても九州以外の方はご存知ないかもしれませんが、イカで有名な呼子(よぶこ)がある唐津市と、九州電力の原発がある玄海町から構成されている、博多から車で1時間半ほどの風光明媚な地域です。

今回の一泊旅行のメインはざっと3点。

  ①「七ツ釜」(国指定天然記念物)を観る(遊覧船「イカ丸」に乗る)
  ②「呼子」でイカを食べる
  ③「浜野浦の棚田」、「大浦の棚田」(「日本の棚田百選」)を観る

もちろん、道中、いろいろと楽しみます。

今回の行程図はこんな感じ。

(東松浦半島をざっくり一周する感じです。)

 

朝8時前に博多を出発、まずは「七ツ釜」を陸上から観るスポットをめざしますが、道中、東松浦半島の❝2時❞の位置あたりにある湊地区の「湊八坂神社」にお参りします。

昔々、この里で疫病が流行ったため、村人たちがお祭り・祈願したところ、たちまち病が治ったという故事により、疫病・厄を祓う神として、「湊疫神宮」、「やくじんさん」と呼ばれ崇敬されているそうです。

(境内に置かれている「疫」のオブジェ(?)。)

湊八坂神社は、佐賀県を中心とした特徴的な鳥居の一群「肥前鳥居」の最古級の鳥居が現存していることでも有名。(右柱上部に慶長二年(1597)の寄進銘あり。)

(境内に建つ、こちらの鳥居。)

背景に見える狛犬もおそらく鳥居と同時代に寄進されたものと考えられています。

(妙にかわいい。)

大雨、コロナの災禍が治まることをお願いしました。

9時を少し回っていますが、九州各地で大雨が降っているためか、コロナの影響か、社務所は閉まっていますので、御朱印はいただけませんでした。

 

同じ湊地区に「立神岩」という巨岩の絶景スポットがあります。

(左の石碑に「湊の立神岩」と彫られているのですが、除草など手入れされていないので、埋もれ気味。)

ここは九州のサーフィン発祥の地だそうですが、この日は駐車場に車はなく人影もなし。

立神岩は、湊地区の海岸沿いに林立する巨石奇岩の中のひとつで、高さ30mの2つの岩が寄り添うように立つ姿から「夫婦岩」の別名があるそうです。

(すみません、写している角度が悪いのか、どの2つの巨岩が「夫婦」なのか、今一つ分からず。)

 

さて、ここから「七ツ釜」を陸上から観ることができる「七ツ釜園地」までは10分ほど、すぐに到着です。

(誰もいません。(笑))

園地を5分ちょっと歩くと、展望台に至ります。

(この先が展望台への散策路です。)

こんな感じで整備されていますので、歩きやすいです。

散策路を進むと、右手に柱状節理の絶景が見え始めます。

展望スポットへの最後のアプローチ、左手には「象の鼻」が見えます。

(一番突き出ている所。よく見ると、❝鼻❞先で磯釣りをしている人がいます。)

展望台に到着、これが「七ツ釜」!

(柱状節理の奇岩帯に7つの洞穴があるのですが、死角になって7つ全部は見えません。)

玄界灘の荒々しい波に玄武岩の断崖が深くえぐられ、その名の通り7つの洞穴が並列して形成されました。最大の穴で間口3m、奥行き110m。

以前の福岡勤務時代に妻と来たことがありますので、七ツ釜は2度目ですが、この最も近くから観ることができる展望台は初めてです。

今回の旅の目的のひとつは、呼子から出ている七ツ釜遊覧船「イカ丸」に乗って、海上からも七ツ釜を観ること、、、こんなイメージです。

(「イカ丸」。ネットより拝借。)

園地は広大で、岬の北端には、神功皇后が朝鮮出兵の戦勝祈念の際、土器を捨てた場所との伝承がある、皇后を祀る「土器崎神社」があります。(今回、そこまでは行きませんでした。)

 

七ツ釜遊覧船というと、ここから車で10分ほどの呼子から出る「イカ丸」が有名ですが、実は、この園地の駐車場から海に向かって3分程行くと、「さちまる」というイカ釣り漁船による、もう一つの遊覧船があります。

ちなみに、「イカ丸」:料金1800円、所要時間40分、「さちまる」:料金1000円、所要時間20分。

「さちまる」のセールスポイントは、「イカ丸」よりもかなり小型の漁船なので、洞穴の奥深くまで進入できること。

「『さちまる』がいたら乗ってみようか。」ということで行ってみたのですが、漁船の姿はなく、今日は運行していないようです。

(「本日欠航」のプレートが。かなり怪しげなプレハブですが、ネットでは評判は上々のようです。)

 

ということで、呼子に到着、さっそく「イカ丸」へ!

(「さちまる」と違って安定感は抜群です。(笑))

停泊中の「イカ丸」。

(なかなかの造形美です。(笑))

出港してすぐ、東松浦半島と「加部島」を結ぶ「呼子大橋」を紹介する案内ガイドが流れます。

「呼子大橋は、『新さが百景』の第1位に選ばれました。」、、、第1位ってすごいけど、もっといいスポットがあると思うけどなぁ、とつぶやいてしまいました。(すみません。)

七ツ釜に近づいて来ました、、、先程の七ツ釜園地の展望台は右の断崖の奥あたりだと思います。

(「イカ丸」はデッキに出ることができます。)

ギリギリまで近づくだけかと思いきや、かなり入って行きます。

「そろそろバックギアを入れないとぶつかる!」と思うくらい攻めます。

(もちろん、ぶつかることはありません。)

後退する「イカ丸」、横を見ると、これまた見応え十分な景色が。

(見事な柱状節理。)

かなり後退しました、、、これで港に引き返すのかと思ったら、7つの洞穴のうち唯一貫通している一番左の洞穴に向かいます。

ちょうどいい所でのシャッターチャンスを逃したのでこんな感じになりましたが、実は、この貫通した向こうの光の姿が観音様に見えるというスポットなんです。

ネットでの下調べで知っていたのですが、「さちまる」でないと見ることができないと思っていたので、「イカ丸」でも見ることができてラッキーです。

港に戻って来ました。

(呼子の海の生物を鑑賞できる半潜水型海中展望船「ジーラ」がちょうど出港していくところです。)

「マリンパル呼子」の「イカ丸」、大満足の楽しい40分でした。

 

呼子観光は、港の駐車場に車を停めれば、「マリンパル呼子」はまさにここですし、名物「呼子朝市」もすぐそこなので、かなり効率よく動けます。

なので、下船後「呼子朝市」に行くのが王道ですが、そろそろお昼時ということで、お目当てのイカのお店が混む前に行こうということで一旦呼子を離れます。

妻は3度目、私は4度目の来店となる、呼子のイカの名店「大和」(やまと)。

(呼子から10分かかりません。)

20年以上昔の福岡勤務時代に地元の方に教えてもらって以降、「呼子のイカならここ。」と通っているお店です。

妻よりも私の方が来店数が1回多いのは、東京勤務時代に職場旅行(2015年)で来たことがあるからです。

こちらは店舗横の巨大生けす。

今年はイカが不漁だとニュースでやっていましたが、立派なイカが元気に泳いでいます。

いつも「いか活造り定食」を注文しますので、今回はそれと「いか天ぷら定食」にしてみました。

いつもながら見事な活造り。

(ハサミが添えられているのはゲソを切って食べるため。)

初めて注文した天ぷら。

定食に付ける汁物は絶対「えび味噌汁」にすべし。

(これだけでも定食として成立する美味しさ。)

案内された席に座って横を見ると、こんなパウチが貼られていました。

(ロケで来たのですね。)

ちなみに、お隣の席を見てみると、同じパウチが貼られていて、「お隣のテーブルで撮影されました!! 旅猿」。(笑)

切り身を食べ終えた活造りのイカは一旦引き上げて、残りの部位を解体して天ぷらにしてくれますが、これがまた、天ぷら定食のイカとは部位が違うのか、違った味わいで美味しい。

毎回のことですが、「大和」、大満足でございました、ごちそうさまでした!

 

呼子朝市の時間は、7時半から12時まで、、、ということで、朝市は終わっていますが、呼子に戻って来ました。

(駐車場が1時間100円なので気軽に何度でも利用できます。)

「呼子朝市通り」に行ってみました。

大正時代から続いているという呼子朝市は、輪島(石川県)、勝浦(千葉県)とともに「日本三大朝市」。(日本三大朝市については、輪島、勝浦、宮川(岐阜県高山)という説もあるようです。)

毎日開催で、約200mの朝市通りに50軒近くの露店が並ぶそうです。

(が、12時を過ぎていますので、パラソルの店もなければ、歩いている人もいません。)

ドアが閉まっていましたが、交流スポットのような所にマスコットの「ケンちゃん」、「サキちゃん」がいたので、夫婦ともどもガラスドアに張り付いて写メ。(笑)

(ケンサキイカ(剣先イカ)のキャラ。)

朝市通りの一番奥に「鯨組主(くじらくみぬし)中尾家屋敷」があります。

残念ながら建造物内の撮影が禁止だったので写真がありませんが、当時の捕鯨とこの地域の賑わいのことが勉強できました。

ちょっと字ばかりになりますが、こんな感じです。

今や「呼子=イカ」ですが、かつては北から南へ回遊する鯨の捕獲基地でした。捕鯨シーズン(12月~約4ヶ月)には、羽差(はざし)(モリを射る人)・水夫など約1000人、船約50艘がチームとなって漁に出ていました。その鯨漁の中心が鯨組主の中尾家。江戸時代から約180年間、捕鯨業を営み、巨万の富を得ていた中尾家の屋敷は、築250~270年と言われる町家建築です。(「鯨一頭、七里浮かぶ」(7つの集落が潤う)と言われていたそうです。)

「主屋」と別棟「勘定場」跡から構成されていますが、この「勘定場」跡の2階で20分は続くかという史料ビデオ「小川嶋鯨鯢(げいげい)合戦」(鯨=雄、鯢=雌)を観ていると、大漁の祝い歌(確か「鯨大唄」って言ってたかなぁ)の一番の歌詞とメロディを聴いてびっくり。

「祝い目出度の 若松様よ 枝も栄える 葉もしげる」、、、何と、博多の「祇園山笠」の「祝いめでた」と同じ!(合いの手は少し違いましたが。)ルーツが気になるところですが、ネット上にもヒントになる情報が全くなく、とりあえず、二番以降の歌詞が違うので、めでたい歌の「枕詞」みたいなもので、特に西日本に共有の一番なのだろう、と根拠レスな仮説を立ててみました。

 

さて次は、呼子大橋で結ばれた「加部島」へ渡って、肥前最古と言われている、海上守護の神で、佐用姫伝説が伝わる神社、「田島神社」へ向かいます。

「新さが百景」第1位の呼子大橋を渡ります。(笑)

橋を渡っている最中はこんな景色です。

(妻撮影。)

呼子から10分ちょっとで到着。

田島神社の建立は、天平時代(7世紀末~8世紀中頃)で、海上守護神として広く知られ、遣隋使や遣唐使も航海の安全を祈願して参拝したそうです。

歴史ある神社ということで、様々な寄進の品があり、元寇の碇石、豊臣秀吉が名護屋在陣の時使用した太閤石、松浦党の武具など。こちらは、大江山の酒呑童子の退治で有名な源頼光が寄進した鳥居。

海に面した鳥居から登って行きます。

登って振り返ると、こういう景色です。

田島神社の御祭神は「三女伸」で、宗像大社と同じ。同じ玄海の海上守護ということを考えると、田島神社と宗像大社には何か関係があるように思えます。

田島神社には、「日本三大悲恋物語」(「羽衣伝説」、「浦島伝説」または「竹取物語」)の一つ、「松浦佐用姫伝説」にまつわる佐用姫神社があります。

ここに祀られている「望夫石」(ぼうふせき)は、恋仲となった大伴狭出彦(おおとものさでひこ)が百済に向けて出航することとなり、佐用姫は、寂しさと悲しみの中、無事の帰還を祈り続け、ついには石になった、と言われています。(その後、大伴狭出彦は無事に帰還した、と説明に書かれていました、、、悲恋ですねぇ。)

田島神社も今日は社務所は閉じられていますので、御朱印はいただくことができませんでした。

 

加部島を出て「名護屋城博物館」・「名護屋城跡」に向かうのですが、偶然にもナビがこの道を選びました。

今、インスタ映えするとネットで評判の「加部島の一本道」、、、確かに、いい景色です。

この一本道、鳥獣害対策をしている畑の所から始まります。

 

再び呼子大橋を渡って、唐津市の鎮西エリアにある、「名護屋城跡」・「名護屋城博物館」へ。

ここもこれまで2、3回通ったことがありますが、訪問するのは初めて。

博物館が驚くほど立派です。

常設展示・企画展示ともに無料というのも驚きです。

豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を中心に、日本と朝鮮半島との歴史に関して展示されていて、無料とは思えないほど見応え十分。

広大な敷地は、もちろん名護屋城跡なのですが、豊臣秀吉が諸大名に競わせるようにわずか5ヶ月で築城させた名護屋城は、当時、大坂城に次ぐ巨大さを誇っていたそうです。

(名護屋城天守は、最後は、江戸時代の一国一城令により人為的に破却されたそうです。)

ここに、金箔瓦を用いた五重七層の天守を誇る巨大城があったとは想像もできない、石垣と坂と草木の一帯です。

名護屋城跡の散策は、協力金100円を納めて、ここからスタート。

(見える池は「城のかげ溜池」と言うそうです。)

このあたりが大手口。

蒸し暑かったのと、この後の棚田をゆっくり見るために、本丸跡までは登らず、手前の東出丸(千人桝=出陣の時兵士の数を把握した)まで。

名護屋城を中心とした半径3km圏内には、全国から参集した大名の陣屋が130以上建てられ、20万人を超える人々が集まる城下町が出現し、当時、「京をもしのぐ」賑わいだったそうです。

パーンしてズームすると、呼子大橋が見えます。

名護屋城跡、ここをじっくり散策すれば半日コースではないでしょうか。

 

名護屋城跡まで来ましたので、せっかくなので、「波戸岬」まで行ってみることに。(と言っても、10分ちょっとですが。)

駐車場を囲うように直角に並ぶ2棟の❝長屋❞のサザエ・アワビ焼きの店は健在です。

(結構お客さんが入っていましたね。)

砂浜は以前来た時と同じように、漂着物か、相変わらずゴミが散乱していました。

(ゴミが写らないように撮影。)

「玄海海中展望塔」、営業中。

(家族連れが入って行く姿が見えましたが、今日は海がちょっと濁っているんじゃないかなぁ、、、。)

波戸岬の碑。

ハートのオブジェも以前と同じようにありました。

(ハートの向こうで並んで写真を撮ると、永遠の愛で結ばれるそうです。)

このオブジェの隣にある石碑です。

「波戸岬はハート(心)岬である、、、」と彫られていますが、「波戸」は「はど」と濁りますので、ちょっとどうかと思います。(笑)

 

さて、いよいよ、夫婦で楽しみにしていた「浜野浦の棚田」です。

改めてそのロケーションを確認すると、これまで何度かキス釣りに来たことがある「仮屋湾」の近く。

さすが有名な棚田が数多くある佐賀県です、浜野浦の棚田も、駐車場・展望台完備。

(主に「コシヒカリ」が栽培されているそうです。)

浜野浦の棚田は、玄海町の小さな入り江に面した浜野浦地区にある、海岸から駆け上がる階段のように斜面を幾重にも連なる棚田。(面積11.5ha、田圃の枚数283枚。平成11年「日本の棚田百選」認定。)

写真の技術がないので、これが限界ですが、生で見ると、それはそれは見事なもので、いつまでも見ていられます。

展望台には「恋人の聖地」というオブジェがあります。

正直あまり似つかわしくない感じだったので、帰宅後気になって調べてみると、平成18年4月に始まった、少子化対策と地域活性化を目的とした全国規模のプロジェクトで、プロポーズをするのに最も相応しい場所として、桂由美さん、假屋崎省吾さんらがメンバーの「恋人の聖地選定委員会」により「恋人の聖地」認定となるそうで、全国で100ヶ所を超える❝聖地❞が選定されているとか。

浜野浦の棚田の一番の見頃は、水張りが始まる4月中旬から田植えが終わる5月上旬、水平線に沈む夕日が海と水田をオレンジ色に染め、畦道が描く幾何学的模様が出現するタイミング。

(この景色。ネットより拝借。)

全国から大勢のカメラマンがこの一枚を撮るべく押し寄せるらしいです。

プロポーズするのに一番いい雰囲気の時はカメラマンでごった返す、、、なかなか現実は厳しいですね。(笑)

今日は、私たち夫婦だけ。棚田の絶景をしばらく堪能させていただきました。

道路脇の一画にハスが美しく咲いていました。

(早朝なら、棚田に負けないくらい美しく咲いていると思います。)

 

続いて、「大浦の棚田」です。

今回の宿「国民宿舎いろは島」近くの棚田です。

大浦の棚田は、浜野浦の棚田ほど有名ではなさそうですが、景色のコントラストは全く見劣りしない、見事なものです。

雄大さという意味では、大浦の棚田は浜野浦の棚田よりもかなり大規模です。

大浦の棚田は、大浦岡、大浦浜、満越の3つの集落にわたっていますが、鎌倉時代から江戸時代にかけて営々と築かれてきたものだそうです。(面積30ha、田圃の枚数約1000枚(昭和35年頃は1200枚を超えていたそうです)。平成11年「日本の棚田百選」認定。)

大浦の棚田の一番の見頃は、浜野浦の棚田と同じ時期。

(この景色。ネットより拝借。)

ここも私たち夫婦のみ。ゆっくりと鑑賞させていただきました。

 

これにて一日目の行程は終了。雨にも降られず、一日楽しく観光することができました。

今日の宿「国民宿舎いろは島」へ。

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