毎日暑いっ!
今日も夕方から蒸し蒸しで駅から歩くだけでも汗びっしょりになりました。8月も下旬になっても一向に暑さが和らぐ気配はないですね。
さて、夏休み前にふらっと入った本屋で買った軽めの本です。
宮部みゆき氏の最新刊は、珍しく短編集。
最近どちらかと言えばお堅い本が多かったので、同氏の久々の新刊につい手が出ました。1ヶ月半は読み続けていた「決定力を鍛える」とは違って、スルスルと読めました。
宮部みゆき氏と言えば、私が読んだだけでも、「蒲生邸事件」、「クロスファイア」、「誰か Somebody」、「火車」、「理由」、「模倣犯」、「本所深川ふしぎ草紙」、「ぼんくら」、「日暮らし」、「ブレイブ・ストーリー」など、ヒットメーカーです。
特に、「火車」、「理由」などは秀逸だと思います。最近の小説家の中でも好きな一人です。
素人が偉そうに何ですが、同氏の小説が質が高い上に読みやすいのにはいくつか理由があると思います。
まずは何と言っても、ストーリーテラーとしてのレベルの高さ。
更には、時代物にしても現代物にしても、その背景・環境を解説的に書かず、ストーリーの中で読み手に理解させるナチュラルさと平易さ。
そして、何よりも、複雑な物語が徐々に収斂してくる時に醸し出される人間模様や人生の機微など、読後感が読み手の心に響くこと。
つまり、同氏の小説は長編・中編でこそ輝くと思うわけです。
そう、この短編集「チヨ子」はイマイチでした。
全短編とも、人間のはかなさや切なさを、ホラーや超常現象という「装置」を借りて表現しているのですが、これでは同氏の小説の素晴らしい要素が出て来ない。短い分、「装置」を借りなければならない無理があるんですね。
よって、「装置」の無理さ加減は5つの短編の長さ順に小さくてすむので、短編の出来も、その長さの順に良かった(マシだった)と感じたのも偶然ではないのではないでしょうか。
もっとも、私の短編のイメージは星新一氏のようなタイプですので、「チヨ子」の評価も人それぞれでしょうね。
もうひとつ、「チヨ子」は新刊といっても、過去に執筆された短編をかき集めて編集されたものですので、同氏の「今」とは違うのかもしれません。
宮部みゆきは僕も好きな作家です。大学の頃「火車」を呼んで衝撃を受けました。読み終えた後、何とも「やるせなさ」が残って考えさせられる話ですよね!ちなみに「理由」も「火車」と同じテイストで好きです。この2作品は何となく松本清張の「砂の器」のような雰囲気がして「深い」話ですよね。
ちなみに「誰か」もかなり期待して読んだのですが、感想は「・・・え?」って感じでした(これから読む人ごめんなさい)。
同氏の短編集は「人質カノン」を読みましたが、moさんの「チヨ子」と一緒でいまいちだったので短編集はそれ以来読んでないです。
他のお気に入りは荻原浩という作家です。宮部みゆきとは正反対で「浅い」話の方が面白かったりします。昔、営業をしていた時に「神様から一言」という小説を読んでかなり救われました。
以前の書き込みに書いたとおり、「戦う司書」も再度、チャレンジしてやっと残り3話まできました!実は後半の方が面白かったんですね~序盤で挫折して損しました。後半の中身なら深夜枠でなくて日曜の夕方枠でも放送できるような・・・気もします。逆に前半は深夜どころかCS枠ですが (_ _)
同氏が稀代のストーリーテラーであることは間違いないですね。長編でも疲れない作家なのですから、ずっと長編を書いてもらいたいものです。
「チヨ子」の巻末に、同氏がどうしてもうさぎの着ぐるみを来たくて、この短編を書いたという趣旨にも受け取れる記述がありましたが、もったいないですね。
読書は一期一会、その時の自分に合った本に巡り合えるのは幸福ですよね。
今は読む気にもなれませんが、ズドーンと重い本なら福永武彦の著作がいいと思いますね。本の内容もさることながら、構成が(当時)先駆的でした。
一つの事象を複数の登場人物を主語にしていくつかの章から書いて、最終章で収斂させるという「技」を初めて使った作家です。確か、「廃市」だったかな(記憶違いかも)。
今はこの福永武彦の技法を真似る作家がたまにいて、その著作に出くわすたびに「真似てやがる」なんて思ったりします。
話がそれましたが、「戦う司書」、世界観命のアニメですね。最近は、ちょっとおとなしく「夏目友人帳-参-」をCATVで(帰郷のたびに)見てます。
そのうちまたアニメ談義をしましょう。
では。